つきのものがたり

溝口 あお

第1話


 ある朝のこと。この街に新しくできたマツモトキヨシの外の陳列棚に、注目の特売品とはいえ平然とナプキンが並んでいるのを見た。



 初めて生理が来たとき、母は少し真剣な表情で専用のショーツとナプキンの使い方を説明し、トイレからなんとも言えない表情で出てきたわたしに、気にしなくていいよ、みんなこうなるものだから。と気遣わしげに声をかけてきた。でもわたしは特に傷付いてはいなかった。おしめを履いたみたいにごわごわした感覚に慣れてなかっただけで。小学五年生の頃だった。

 生理が来たことよりも、当時のわたしがひどく恥ずかしい思いをしたのは、そのことを父に知られた時だった。せめてその口から、生理来たんだって?なんてわたしに直接聞いてこないで、黙っていて欲しかったというのが本音だ。


 生理が来ていることはみんな知っているだろうけれど、知らんぷりしていて欲しい。女の子同士でのもう生理が始まったか否かのお喋りの、密やかで親密で、特別な空気は好ましく思えた。けれど初潮を迎えた日の食卓に御赤飯を出すという(家庭によるのだろうか。因みにうちでは出なかった)風習があることを知った時は、なんだか慎みをもって秘めておいてもいいだろう事柄を大っぴらに公言してしまうようで、潔癖とデリカシーを重んじる年の頃には受け入れ難いことだった。


 わたしは中学生の頃から、生理によるからだの不調が酷かった。生理がくる一週間前から気分が沈み込む。頭が痛い。なんだか気持ち悪い。とにかく朝起きるのが辛いなど。そうしていざ生理が巡ってくれば尚のことその症状は酷くなり、加えて激しい痛みに襲われる。だから市販の生理痛の薬は必需品で、痛みを抑えなければ深夜や早朝問わずわたしを叩き起こし、そのまま満足に寝かせてはくれない。

 不調には個人差がある。なかなか語り合える機会が今は得られず、みんながその期間をどう乗り切っているのかが分からない。こちらとしても好きで不調を顔に出しているわけでもないけれど、けろっとした顔で普段と変わらない様子を装っても、わたしの場合はばれてしまう。今わたしは生理ですと公言しているのと同じだ。

 だというのに、いつからだろう。悟られても昔ほど嫌に思わなくなったのは。そして多少なり恥ずかしくても、生理用品を男性店員のいるレジへ持っていけるようになったのは。


 少し考えてみた。わたしの場合、年頃の頃に意識しすぎた反動で、恥じらい飽きたのではないかと。そして生理というものが、男女平等を謳う社会の中では、実は個人と女の子たちだけの秘事とするには無理があるということ。


 秘事であるには変わりなく、それでも目に見えにくい女子特有の現象を、公言しない公事として受け入れてもらえているお陰で、助けられていた場面はたくさんあったように思う。例えばロキソニンや湯たんぽをくれるだとか、一緒に歩く速度を緩めてくれるだとか、さり気ない気遣いによって。

 知っているだろうけれど、知らんぷりをしていて欲しい。はやっぱりどうしても変わらない。けれど、どうか願わくば、最優先に優しくするべきだとか労わるべきと声を大にして主張こそしないけれど、無理解で無神経なことはなるべく控えてほしいと思う。手負いの獣はその人自身ではないことは知っていて欲しい。



 ある朝、マツモトキヨシの外の陳列棚から一つ、ナプキンの袋が地面に転げ落ちた。歩きながらそれを少し遠くから見ていると、通行人のほとんどが見て見ぬ振りをして駅を目指している。

 拾うのにはやはり勇気がいる。その気持ちは分かるから、無視した人たちを非難する気にはなれない。


 すると、わたしの前を歩いていた男の人が、さっとそこへ駆け寄り、袋を拾い上げて棚へ戻した。

 きっと迷いがあったろうに。恥じらいもあったろうに。それでも彼は颯爽とやってのけ、駅へ向かった。


 ああ、きっとあの人はいい人なんだろうな。


 顔も知らぬその人の細身な背中を思い出しながら、わたしはこの文章を書こうと決めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つきのものがたり 溝口 あお @aomizoguchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ