冬の向こう――3

 ヴァルを除く部下たちを下がらせたジウはテオに向き直った。

「テオ・ブルーアイズ。近年のヨルノリアで著名な記録作か」

 光栄です、というのは皮肉だ。秘密警察がその気になればテオに関する情報など容易く手に入るだろう。

「外出禁止令を出したはずだが?」

 テオはジウの氷のような瞳を見つめ返した。不思議なことに、ジウの瞳はどこかドロシーの凛とした瞳を想起させた。

「何のために、と聞いても無駄なんでしょう?」

 髪と同じ黒曜石がテオの目を逸れ、灯台を見上げる。

「北の守りがなぜ手薄なのか分かるか?」

「……」

「守る必要がないからだ」

 ここはヨルノリアの果て。強固な警備の代わりは踏み入れた敵の足にさえ噛み付く番犬。

「最初の質問に答えろ」

「……師が残したものを探しに」

「それだけのためにこんな辺鄙へんぴな場所へ来たのか? おめでたい連中だな」

 しならせた鞭のような女は嘲笑さえしない。

「我々にはこの国を守る義務がある。紙の本ひとつで守れるなら血は流れない。どれほど価値の違いがあるか分からんわけではないだろう。邪魔をするなら消えてもらう」

 テオは動じなかった。秘密警察に楯突くということはそういうことだ。


「あなたは……何も分かってない」

 ルシカの声がテオの後ろから訴えかけた。

「確かに記録作じゃ国は守れないのかもしれない。だけど、人は守れるわ。たとえ弱くて小さな声でも――私たちはちゃんと拾う」

 ルシカは搾り出すように続けた。

「それに私たちは――どうしてその人が残そうと思ったのかとか、誰のために書いたのかとか――そういうものを大事にしてる。だからそれを知りたい人を助けたいし、伝えたい人の想いを理解したい。大切な仲間ならなおさら力になりたい。それって、いけないこと?」

 まっすぐな言葉が春風のようにテオの中を吹き抜けていく。セントラルから遠く離れた北の地にいながら、あたたかな衝動が指の先まで行き渡る。

「その男にはノワールでの貸しがあるはずだ」

 見計らったようにダンが口添えをした。実際、ドール・ミーシュの宿泊代はナイトレイドが払ったらしい。ジウが振り返るとヴァルは「げっ」と顔を背けた。

「では忠告をしよう」

 ジウは視線を戻した。

「すぐにここから出ろ。お前たちは自ら狩り場に足を踏み入れている。二度目は無い」




「……誰が借りを作って来いと言った。私は力量を試せと言ったんだ」

 テオたちがいなくなるとジウはヴァルを睨んだ。

「しょうがねぇだろ、他に方法思い付かなかったんだから」

 相変わらずいい加減な相棒に呆れていると、視界の隅にこちらに近付いてくる影を捉えた。ヴァルは黙り、ジウは頬を強張らせた。一分の隙も見せまいと、赤い唇がきゅっと結ばれる。暗がりから現れたのはポケットに手を突っ込んだ男だった。鈍い青錆色の髪を無造作に分け、挑発するように垂れ下がった目には光がない。

「自治ねぇ」

 男の燻らせた煙草の煙が両者を分つように広がる。

「これで邪魔が入らねぇんだろうな」

「王はこの一週間城に籠りっぱなしで、軍も警察も我々の支配下だ」

 男は「へぇ」と曖昧に返し、足早に去ろうとする女豹の後ろ姿に投げかけた。

「俺に何か隠してねぇか?」

 ジウは足を止め、冷たく言った。

「私がお前に開示しているものなど僅かだ」

「はは」

 食えない女、と男は口の中で嗤った。




     *




 来た時と反対方向に追い出されたテオたちは仕方なく一本しかない道を進んでいた。

「敵と繋がってるような感じだが……なぜ逃げるよう忠告した?」

 後ろを警戒しながらダンが訝しむ。

「秘密警察も一枚岩じゃないか、もしくは――」

 突風が一行を襲う。どこか身を寄せる所を探さなければ。レインもコルルも限界だ。その時、後方の森から複数の影が出てきた。

「またか」

 今度はテオが責任を感じる番だった。コルルの手を繋ぎ、雪の上を走る。明かりの付いた民家が並ぶ通りが見えてきた。なだれ込むようにして家と家の間に収まると手前の裏口が開けられた。そこに立つ小柄な人物を見て、テオは目を丸くした。

「君は……」

「入って」

 結い上げた金髪に燃えるような瞳。レイチェルは全員を家に入れると鍵を掛けた。


「お久しぶりです。ブルーアイズ様」

「なぜ君がここに?」

「ここはドロシーの故郷で、古い知り合いが多くいます。ドロシーが調べたいことがあるというので私たちも一緒に」

 レイチェルは暖炉の前へ皆を案内しながら言った。

「あの一件以来、ドロシーは何か恩返しをしたいと常々言っていました。そんな時、記録作家を狙う者があるのを知ったのです。とにかく、間に合って良かった」

 ワイン色のワンピースを翻し、てきぱきと茶を入れるレイチェルの横には何冊かの記録本と開封された手紙が転がっている。テオがティーカップを受け取ると裏口の戸が叩かれた。レイチェルが扉に近付き、質問する。

「エレインの口癖は?」

 すると扉の向こうから響く声が返ってきた。

「“お願いだから化粧中は動かないで”」

「おかえりなさい」

 レイチェルが扉を開けると外套を被った人物が三人入って来た。手前の一人がフードを脱ぎ、香水の香りとともにドロシーの美しい顔が燭台に照らされた。ドロシーはハイドが再び鍵をしたのを確認するとクレアに外套を渡した。

「会えたのね」

「灯台の警備が動き出したので時々外の様子を窺っていたんです」

 ハイドがキッチンに荷物を置くのを手伝いながらレイチェルが答えた。

「メイエットさん。ありがとうございます」

 テオが言うとドロシーは「いいのよ」と微笑んだ。

「クレア、子供たちをお願い。ホットココアとお菓子もね」

「分かった」

 クレアが頷き、コルルとレインを連れて寝室へ行く。どうやらみんなとは和解したようだ。

「心配しましたのよ、記録作家狩りだなんて。ここへはお仕事で?」

 ドロシーは椅子に腰掛けた。

「いろいろあって……これを読む方法を探しているんです」

 テオはレースが敷かれたテーブルに星座文の紙を置いた。

「スノウセルね」

 女優の答えは早かった。

「知ってるんですか?」

「ええ。大昔に先祖が作った書庫です。知るのは一族の一部だけ。確か今は遠い親戚が仕事で使っていますわ」

 テオたちが戸惑っているのを見てドロシーは付け足した。

「誰か一族の者が書庫の場所と使い方を教えたのでしょう。それは書架番号よ。明日行くのならハイドが抜け道を案内しますわ」

「お願いします。それと子供たちを頼めますか」

「もちろんですわ」


 その後、遅めの夕食にあずかったテオたちはこれまでの足取りを話したり、リイリーンの話を聞いたりした。夜には気の利くレイチェルが温かいカモミールティーを差し入れてくれた。

「レイチェルから何か調べものがあると聞いたのですが」

 助けてもらった礼に力になれることなら、とテオは尋ねた。

「いえ、ただの身内のことですわ。先ほどお話しした親戚から『一族のことで少し不可解な点があるから調べて欲しい』と文を貰って。詳しい家系図がこっちにありますの」

「そうですか」

「しばらくはここに篭りっきりね」

 ドロシーは埃を被った本棚に向かって肩をすくめてみせた。


「実は明日……テオの誕生日なの」

 ルシカが唐突にそう切り出したのはロゼが大欠伸をし始めた頃だった。

「えっ」

「まあ」

 テオはきっかり二回、目を瞬かせた。隣を見るとなぜか発表した本人も照れている。

「そりゃめでたいね」

「おめでとうございます」

 寝ようとしていたロゼやドロシーたちが祝福し、ダンは「セントラルに帰った時に覚えていたら考えておく」と言って席を立った。

「私も今何も持ってないんだけど……これだけ」

 ルシカはテオの右手を取り、両手で包んだ。

「この先、テオの人生が光で満たされますように」

 そう言って祈りを込めるとテオの内側にむず痒い温もりを残して寝室へと消えたのだった。

 



 早朝、磨かれた大理石の手洗い場で顔を洗っていたテオはドロシーに呼ばれて手を止めた。

「貴方宛てに伝言が」

「伝言?」

 内容を聞いたテオはしばし考えて顔を上げた。

「あの、お願いがあるんですが」

 ドロシーは大きく頷いた。



 スノウセルとは最北にある古い書庫の名称で、ドロシーの家には「果ての場所」とも伝わっているそうだ。

 テオたちはしんと冷えた人影ひとつ無い道をひたすら歩いた。時折ガサッという葉擦れの音がしては足を止めたが、キタリスかキタキツネだった。そうしてようやく朝陽が大きな羽を伸ばし始めた頃、「果ての場所」は現れた。

 純白の化粧を施された樹々の間に、それまで息を潜めていたかのような退廃したドーム形の建物が佇んでいる。屋根から壁へと伝う氷柱のような細かい装飾や立派な門は金が剥げてもなお神秘的で、不可侵の霊峰にも思えた。


 小さなトンネルを通って中に入ると玄関ホールに出た。壊れそうな細さの螺旋階段と椅子が一脚置かれているが、両方とも蔦が絡みついている。

「俺はここで待つ」

 見張りに残ると言うハイドが椅子に腰掛け、テオたちは扉を開けた。

「わあ……!」

 飛び込んできた光景にルシカは感嘆の声をあげた。

 巨大な円筒形のホールにぎっしりと本棚が並び、吹き抜けの天井はガラス張りで積もった雪を突き抜けて光が差し込んでいる。まるで荘厳な絵画だ。

 真ん中から放射線状に骨組みがなされたドーム部分は二階に相当する位置にあり、一階は窓がいくつかあるがカーテンに覆われているようだ。

 ひとしきり首を回したルシカがぴたりと足を止めた。

「同じ香りがする」

 芳香の源を探して奥へと歩を進める。

「あった。スティラヘルヴァだわ」

 ホールを囲むように置かれていたのは無数の花壇で、そこには鬱蒼うっそうと何かが生い茂っていた。

「あの瓶の中身はここの空気だったのか」

 ダンが花壇に近付いて言った。良い記録作はページをめくるとその場の空気、音、何もかもが思い起こされるという。この場合は香りか。

 その時、螺旋階段を降りて来る音が聞こえてきた。開けっ放しの扉の前に現れたのはレインと変わらぬ歳の少女だった。


「星のともがらよ」

 おさげ髪の少女は目をこすりながら宣言した。

「私は星詠みのリズ。スノウセル聖堂書庫の司書だ」

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ヨルノリア・シークレットブック 琦月 きゐ @cafenoisu

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