第22話

 教室は突然のゾイノイドの襲撃と、それを追ってきた明日香に対する仕打ちに静まり返っていた。


「いやあっ! やめて!」


 響くのは明日香の絶叫のみ、フィーフィールトは鼻息も荒く、その薄い布をめくろうと指をひっかけようかというところだった。


 明日香は、さらに身を固くし、歯を食いしばった。その時。


「ぐへええええええっ!」


 今度はフィーフィールトの絶叫が教室にこだました。どちらかというとヘビー級の体躯をしたゾイノイドは、教室の後ろの黒板にまで飛ばされ、壁にめり込んでいた。


 同時に、明日香の身体にその肢体を隠せるほどの大きな布がかぶせられた。


「神聖なるミッションで何をしているのか、この下衆が」


 そこにいたのは長身で金髪のゾイノイド、今日の衣装は先日に比べれば、という限定付きだが、比較的まともな忍者風装束だった。


「メスト!」


 フィーフィールトを蹴り飛ばしたのは、彼と同じ陣営のメストだった。なぜ彼がここに来て、明日香を救ったのかは理解できなかった。


 だが、明日香は安堵のため息をつくと同時に、その布で体を隠しながら教卓の上で嗚咽した。


 悔しかった。恥ずかしかった。情けなかった。


 今までなかったありとあらゆる感情がほとばしって止まらなかった。


 そんな明日香を尻目に、壁から復帰したフィーフィールトは上席であるメストに非難めいた視線を送っていた。


「メストの大将、こりゃどういうことで? 俺は敵兵器を壊すのが仕事だ。壊す前に何をしたっていいじゃないですかい?」


「アスカは誇り高き戦士であり、私の好敵手だ。その彼女に対して非礼は許されん。そもそも、貴様には騎士道というものがないのか!」


「き、騎士道で? それはいったい?」


「ふむ、つまらん。所詮は下級隷属の身だな。我々のミッションはこの星の者を殲滅することが目的ではない。それは説明を受けているだろうが」


 ことさらに不快な表情を作り、メストは吐き捨てる。だが、フィーフィールトは臆することなく食らい下がった。


「大将、お言葉ですがね、俺はこいつらを嬲り者にしてもいいって話で、このミッションに志願したんだ。上手くやれば上級貴族に加えてもらえるとも聞いたんですぜ」


 泣きながらも、明日香は二人の会話を聞いていた。そして、そのおかげで次第に冷静さを取り戻す。


(これは、どういうこと……? この二人の間でミッションに関する整合性が取れていない……?)


 そういえば、メストはフィーフィールトをあまり好んでいないような発言をしていた。


 明日香はゆっくりと教卓から降りようとした。だが、床に足がついて立とうとした瞬間に、がっくりとひざが折れた。まだ力が入らない。


 よろけて倒れそうになったところを、たくましい腕ががっしりと支える。


「あ……」


「さっさと仲間を呼ぶがよい。その姿では今日は戦えぬであろう?」


 メストの騎士道精神は、もしかすると地球人を知るために集めた偏った知識の産物かもしれない。だが、それでもフィーフィールトに比べればどれほどのものか。


 敵ながら、明日香たちがメストに対して一定の信用を置くのは無理からぬことなのだ。


 明日香は緊急信号を発信した。程なく深月たちが来てくれるだろう。だが、それまでの間この場がどう展開するかはわからない。


「大将、あんたのやってることは利敵行為になりますぜ。いいんですかい? このことを俺が上に報告すりゃ、あんただってただじゃすまねえ」


 性根に相応しいセリフを吐くゾイノイドに、メストは冷たい視線を送った。言葉がなくとも、その視線だけで肝胆寒からしめるに充分なほどに。


「……ちっ、仕方ねえ、今日は帰るとするか」


 フィーフィールトは身をひるがえし、教室の窓から飛び出していった。この段になって、ようやく傍観していた教師たちからも安堵のため息が漏れる。


「メスト……私を助けるとは、どういうつもりですか?」


 白い布で覆われたまま、明日香はメストに問う。


「ふむ、助けたわけではない。貴公は私の敵だ。だが、私以外の者にあのような辱めを受けるを、私は良しとせぬ。貴公を打ち倒すは私の剣だ。私を打ち倒すかもしれぬのも貴公の剣だろう。あのような下衆にどうこうされたくはない。ただ、それだけだ」


 超然と言い放つメストの言に、偽りはなさそうに思えた。この男は、数あるミッションの中で特に近接戦闘にこだわり、剣の使い手としての明日香を高く評価していた。そして、それは明日香も理解していたし、明日香もメストを評価していることは間違いなかった。


「とりあえず、感謝します。敵故に何もお返しできませんが」


「ふむ、お返しは熱い切り結びで頼もうか。それならば遠慮することはあるまい」


 ふ、と薄い笑いを浮かべ、メストは空間へと姿を消した。


 脅威がいなくなるや否や、傍観していた人々が明日香に駆け寄り、大丈夫か、などと声をかけるが、明日香の耳には心地よくは聞こえない。


 理解はしている。


 相手がフェデラーであろうがなかろうが、狂気の人物がいる中へ進んで入ろうなどとは、誰も思わない。


 自分が辱めを受けていても、それに手を差し伸べて助けてくれるような人はいない。ましてや、その先を期待すらされていたのではないかとさえ思う。


 考えてはいけない。


 心を戻してはいけない。


 心が戻れば感情が戻る。感情が戻れば、愛や慈しみなどの美しい感情だけではなく、憎しみや疑心、悲しみや嫉妬などの暗い思いも芽生える。


 自分はそれを背負って戦えるほど強くはない。


「大丈夫です……あまり、近づかないでください……まだ、安全とは……」


 その刹那、再びフィーフィールトが教室の窓から侵入した。様子をうかがっていたのだろう。メストが去ったことを確認し、さらにはマシンガンのような銃を携行していた。


「ひへ、こんなことで引き下がってたまるかよお。今度邪魔が入りやがったら、大将とて関係ねえ。ひえへへへ」


 再び蜘蛛の子を散らすように人々は教室から逃げ出した。まだ動けない明日香を残して。


 この状態で抵抗する術は何も持たない。精神力の消耗が体力の消耗にもつながり、スルトリアの顕現もままならない。


慧也けいや様……)


 なぜか、心の中に浮かぶのは神波慧也の名前。助けを求めているのか、祈りにすがっているのか、明日香にはわからない。数年ぶりに湧き上がる感情の奔流に、彼女は混乱の境地に陥りそうだった。


「地球人共、ゆっくり見てるがいい。お前たちの代理人が凌辱され、壊れるさまをなあ!」


 手にする銃器で周囲を威嚇しながら、ゆっくりと明日香ににじり寄ってくる。今度こそ、明日香は覚悟を決めた。メストがもう一度来る可能性など、考えるべきでもない。


「ひえへへへ、お楽しみの再開だ!」


 フィーフィールトが明日香を包む白い布に手をかけたのと、号砲が鳴り響き、教室の窓が一枚割れたのはほぼ同時だった。


 その音に驚き、フィーフィールトは慌てて明日香から距離を取った。


「そこまでだよ。これ以上は僕らが許さない!」


 銃口から白煙を上げているのは、慧也が手にするスミス&ウェッソンM六八六『ディスティングイッシュド・コンバットマグナム』だ。三五七マグナム弾を使用できる拳銃としては軽量で携行性に富む。


 緊急信号を受けて藍那あいなと慧也は深月みづきに抱えられながら超速で現場に到着したのだ。


「ひへ、抹殺対象がのこのこときやがったか」


 フィーフィールトは臆するでもなく、悪態をつく。


「深月、明日香を頼む」


「あいよ」


 慧也は銃口をゾイノイドに向けたまま、油断なくその行動を制している。対して、ゾイノイドの方は然して警戒するでもなく泰然としていた。


「明日香っち、大丈夫か?」


「あ、あまり大丈夫ではありませんね。でも、来てくれて助かりました」


 教室に脱ぎ捨てられているセーラー服と白い布にくるまる明日香を見て、深月はここで起こっていたことを理解した。


 明日香を慧也の背後にいる藍那に預け、深月もマシンガンをフィーフィールトに向ける。


「ここで死ね」


 躊躇なく、引き金を引いた。秒間十発以上を誇る深月のグレネード・マシンガンは一瞬でフィーフィールトをハチの巣にするはずだった。


 しかし、実際にハチの巣になったのは教室の後ろ、大きく窪んだ黒板だった。


 目にも映らない速さで、フィーフィールトは深月の背後に回っていた。


「ひへ、そんなにつれなくするなよ。けけっ、いい尻だあ」


「うわっ! こいつ!」


 いきなりいやらしい手つきで尻をなでられ、深月は振り向きざまに蹴りを入れるが、やはりそれはゾイノイドには届かない。


「ひへひへ、多勢に無勢だ、今日は帰るぜ。そいつを殺すのは簡単だあ。だが、それじゃミッションが終わっちまう。俺の目的は達せられねえからなあ」


 ひらり、と身軽に窓から飛び出し、加速装置を使ったのか、そのままいなくなってしまった。


 明日香はようやく服を着て立ち上がったところだった。まだふらつくのか、藍那が支えている。


「慧也様、ありがとうございます……申し訳ありません、不覚を取りました。本来護るべき方を戦場に招いてしまうなど……」


「いや、そんなことはどうでもいい。無事でよかった」


「あ……はい……」


 銃を持ち戦闘に臨んだ慧也の表情は、今まで見ていた物と随分印象が違った。それは、戦場に赴く男の顔だった。


明日香は思わずドキリとして、頬を染め視線を下へそらした。明日香の中の心の変化も大きく影響していたかもしれない。その様子を、藍那は興味深く観察していた。


「こほん、ま、取りあえず帰ろっか。検討すべき課題が、ちょっと多いような気がすんねんなあ」


 ぽーっとして立ち尽くす明日香に対して、わざとらしく咳払いをしながら、藍那は提案する。慧也と深月もうなずいて教室を出る。


 廊下には相変わらず野次馬という名の傍観者が大勢いた。


「はいはい~、あたいらはサムダ直属のコマンダーです。今日んことは内密に。施設の修復等に関しては、サムダより保証金が出ますので、連絡をお待ちください。よっしく」


 深月がてきぱきと処理をしながら、人込みをかき分けていく。とはいえ、どうせ何らかの処理で違う事件にすり替わりはするのだが。


 藍那と慧也で明日香を支え、その後に続いた。明日香の身体は、やはり深月と同じように重かった。

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