2

 ボクはこうみえて護身術が使える。それもおそらく、攻性の、護身術だ。数少ない子どもを、常在する低強度の危険から守るため、真に実のある護身術を習わせるのが親の教養の証明である現在いま、そういった大人の事情とはまったく関係ないところで、ボクは必要に迫られて修めた。訂正、大人は関係していた。でも教養の証明という意味じゃない、ということだ。もっと動物的な意味での、証明だ。常在する低強度の危険の、その証明だった。

 だからボクは他の、もっと一般的な護身術について詳しく知っているわけではないのだけれど、一般に護身術と呼ばれる生存技術スキルは危機を回避するための手段として考案されたはずで、まず脅威から逃げること、そのチャンスを作り出すことが前提にあると思う。だから、恐怖で身体がこわばってしまわないように、声で、大声で、悲鳴で自分を鼓舞する方法を真っ先に教わるんじゃないのかと、ボクは思う。もちろんボクの修めた護身術も、最初に声の出し方を教わった。

 でも、意味が違った。

 威嚇――距離を、間を、スペースを確保して、流れを自らに引き寄せるための、攻性の、悲鳴。

 だからボクは、バカの潔い踏み込みと想起された過去の記憶に脅威を感知して排除すべくほとんど反射的に、刷り込まれた身体感覚をなぞっている。

 ――うわあああああああああ吼えながらボクは、拳を振るった。右の裏拳が、「アサダテツヤ」の性格がインストされたN・Oを持つアンチ/バカのあごへと吸い込まれていく。バカは声に驚いて目を見開いていて――――次の瞬間、ぐりんと白目をむく。かくん、とあごが落ちるように口をあける。裏拳はバカのあごを打ち抜いて、振り抜かれて、夕焼け空を一瞬だけ背景にして、体育座りの膝の位置に、戻っている。少し、手の甲が痛い。

 白目をむいたまま、バカの顔がゆっくりとずれてメガネがずれ落ちて、身体もメガネを追いかける。力を失った身体も土手の傾斜にあわせてくずれて、転がっていく。ゆっくりと加速して、雑草の上をごろごろ転がっていく。一度大きく跳ねて、護岸のコンクリの上で停止する。動かない。水切りの、石投げのがきんちょが三人、あっけに取られたように、それを見つめている。近寄っていく。死んだんじゃねぇ、と言いあっているのが聞こえる。三人のうちのひとりがじゃんけんに負けて足を伸ばして、バカをつつく――バカの上半身がむくりと起き上がる。笑い出す。けたけたげらげら笑い出す。がきんちょが逃げ出す。自転車に乗ってがきんちょが逃げる。ぎゃあああああ悲鳴が遅れてがきんちょたちを追いかける。ぎゃあああああ叫んでバカが立ち上がる。ボクを見あげて「すっげ」とつぶやいたのが口の動きでわかる。メガネは当然ない。裸眼。しかし迷うことなく、片足でけんけんしながら土手をのぼる、こちらへのぼってくる。左足の、ジャージのすそがぷらぷらゆれている。身体の動きにあわせて前後左右にゆれている。だからけんけんしてのぼってくる。板を片方なくしたスキーヤー。そんなイメージ。バカは途中で足を、びっくりするぐらい白い左足を拾う。その時になってようやくボクは、理解する。バカ/アンチ/アサダテツヤは義足だ、と。

 バカは、復帰計画プログラム用アンドロイドとその制御AIは、インストールされたクラスメイトに合わせて、身体をカスタマイズする。服装をカスタマイズする。髪型を、顔のかたちを、表情の作り方を、髪のいじり方を、スカートと靴下の距離を、スペック上本当は必要のない最新のモバイルデヴァイスを、身体の傷を、ロスト・ヴァージンの記憶と傷を、自身の身体へと与え改変カスタマイズし続ける。だからアンチの身体はインストールされたクラスメイトの身体だった。だからアンチが義足なら、当然「アサダテツヤ」も義足なのだろう。でも、最初に組み敷いた時にはそんな感じはしなかったような――、

「どうした、ん?」

 手が目の前にあった。バカが立っていて、義足は左足の位置に収まっていて、右手がボクの目の前に差し出されている。立て、という意味なのか。せっかくだからつかんでやる。引っぱられる。押してやる。それを見越していたのか腕を引くだけでバカはバランスを保つ。均衡。悔しくなって今度は引く、と見せかけて余力を残した状態でバカが反発してくるのを待って押そうとするのだけれどバカはそれをも見越していて思いっきり手を引くからボクはお尻が浮いて立ち上がってその勢いのまま土手を転がりそうになる。

 でも、転がらない。

 とどまっている。

 ボクは。

 とどまっている。

 でも、立っている。

 バカは、左足を前に右足を後ろにして、つないだ手を一本の線にして、しっかりと立っている、均衡を保っている。土手を転がらないよう、ボクを支えている。

顔は――見ない。ボクは見ない。手を振り払って、ボクはどしんと、座る。座って膝のあいだに顔をうずめる。河も見ない。雑草のすきまにオレンジ色をしたアメ玉が、ひとつ。

 バカも、座る。メガネを拾い、かける。見なくても、わかる。空気が震える。音がそう伝えている。

「ほんとは、さ」

 バカが言った。

「謝りたかったんだ」

 ボクはなにも言わない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る