もうすぐボクはサヨナラを言う

川口健伍

1

 ボクは座っている。河原の土手の、雑草の上に座っている。日が暮れかけていて、周囲は真っ赤に染まっていて、川面はきらきらギラギラ乱反射。近くの、護岸のコンクリの上で、三人のがきんちょが水切りをがんばっている。一回、二回、三回、どぼん、どばん、ケラケラげらげら。落水の派手な音。回数をこなすことよりも、大きな石を投げて、投げ込んで遊んでいる。ケラケラげらげら笑っている。

 似たように笑おうとして、失敗する。舌打ちしてボクは、胸ポケットからキャンディを取り出す。包み紙を両手で開いてピン――と紙の反動でオレンジ色のアメ玉を打ち上げる。目で追って、口を開けて、ボクは待ち構える。

「って」

 鼻の頭に当たって、慌てて伸ばした手の先を転がって、アメ玉は草の間に消えていった。こういうときはなんでもない素振りで立ち上がるに、限る。「えい」とボクは膝に手をついて「どっこいしょ」立ち上がってお尻をパンパンと払って――妙な声が、聞こえた。橋のほうからだ。ボクの座っている右手側にアーチ型の鉄橋があって、その上を東西に国道が走っていて車もじゃんじゃん走っている。その車の通過音に負けない、大きな声、声、声。

 おーやっほいやっほいやっほい。おーやっほいやっほいやっほい。

 奇妙な、かけ声。そう、かけ声だ。一度だけ、聞いたことがある。部活の見学で体育館に行ったとき、かおちゃんとあきちゃんがけらけらおかしーって笑ってた――声は、集団で、橋を渡って、土手の上の、アスファルトの道を、こちらに、ボクに向かって走ってくる、徐々に近づいてくる。見なくても、わかる。

 声が、近づいてくる。

 だから、ボクは座る、座りなおす。膝のあいだに顔をうずめるように、座る。

 声が、奇妙なかけ声が、意味が失われた音の連なりが、背後を通り過ぎて――行かない。

 とどまっている。

 ボクが首だけで猛然とふり返ると、その場で駆け足をしながらあさっての方向を見つめてバカみたいに「おーやっほいやっほい」と言い続ける、男子がひとり、いた。訂正。バカがひとり、いた。名前をアサダテツヤといって、ボクは正確な漢字を知らない。別に朝田徹矢でも麻田鉄弥でも阿左田哲也でも、誰でもいい。だから、アサダテツヤで、バカだ。

 バカは部活指定の、紺と赤とが絶妙に配分されたジャージを着ていて、学校指定の白のスニーカーのすそからはびっくりするくらい白い足首が見えて、隠れて、見えて、隠れて、足踏みが止まった。テツヤと呼んでくれ、そうバカが言っていたのをボクは思い出す。誰が呼んでやるか。

 ボクは視線をあげる。スポーツ刈りに、黒く太いふちが特徴のメガネ。その最新のモバイルデヴァイスの奥には、黒い、バカの目。よくできた、グラスアイ。バカはアンドロイドだ。プログラムのために、ボクのクラスメイトの性格や体格を模してそのつどカスタマイズされてボクの前に現れる、アンドロイドだ。今週は「アサダテツヤ」の番らしい。「アサダテツヤ」になってから今日でちょうど、一週間が経つ。明日にはリセットされて、また別のクラスメイトがボクの前に現れる。そうやってボクはここ三ヶ月、生きている。

 ボクと目があうと、バカはにまーと笑って言った。

「杉山ぁ、今日も来なかったな、学校」

「うっせーよ、アンチのくせに、おまえなんかバグってろ」

「うーんうんまぁ、それはもっともだ、な」

 どっかと、バカはボクの隣に腰を下ろす。

「なんだよ、認めんのかよ、ポンコツ」

「高度に進化したアンドロイドは、人間と大差ない」

 言ってバカは肩をすくめる。ボクは座る位置をきっちり横に一メートルずらす。バカは眉をしかめる。でも、言葉は続ける。

「たぶん、君には理解できないだろうから簡単に言うが、アンチのここには、」

 と言ってバカは自分の頭を指差す。指は、長い。手が大きい。バスケには有利だろうな、とボクはぼんやり思う。かおちゃんとあきちゃんは結局、バスケ部に入部したのだろうか。ボクは、知らない。ボクは学校には行ってない。入学式の、その次の日から。

N・Oノーが存在する。Neuro‐Organism。神経配列された計算素子の塊がふたつ、アンチの頭部にはつまっている。N・Oノーはアンチの思考の、ファジーな部分を創造している。0と1ではとうてい割り切れない揺らぎを、創造している」

 先週がかおちゃんで、先々週があきちゃんで、その時にも思ったのだけれど、たぶん彼女たちは現在いまの彼女たちではなかったんじゃないのかな、ということ。ボクが知っている。最後に会った、入学式の次の日までの記憶っていうか性格でしかなくて、なんか、高校生になって三ヶ月経ってあった/なかったいろいろが、全然フィードバックされてなくて、そう、だからレンジが広いけれどボクはこの言葉を使う。彼女たちは、全然リアルじゃなかった。

「そのN・Oに、君のクラスメイトの性格をインストールし、合わせて身体をカスタマイズする。個別の身体感覚によって観測された情報を、N・Oにインストールされた君のクラスメイトは感情を右N・Oで、論理を左N・Oで各自に計算し、その計算結果をさらに左右の対消滅演算によって計算する。そしてようやくN・Oには純度の高い計算結果が生じる。そうやってようやく、人が意識と呼ぶものへと、昇華する」

 でも――結局ボクは現在いまのかおちゃんとあきちゃんを知らないわけで、それがニセモノだと感じる、その理由みたいなものをあえて言葉にするなら、それはたぶん彼女たちがそれまで知っていた、中学の頃のままだったから。ボクがよく知っている/いた彼女たちだったから。でも、それでも彼女たちはアンチだった。アンドロイドだった。一週間で消えてしまう、そういう存在だ。いつもそばにいてくれたのに――現在いまはいない。

「その泡沫のような計算結果ゆらぎは確かに信頼性に欠ける、ノイズに等しい欠陥バグと呼べるかもしれない。だからアンチは常にバグを内包しているのであって、先の言葉を否定することはできない。そしてポンコツであることもまた、否めない。なぜならいまだに君はここに座って学校に行こうとしておらず、計画の意味とアンチの有用性を見事に否定している」

「どこが簡単だよ、わけわかんねぇー、マジで言ってんの?」

「むろん、本気だ。雰囲気を出すためのこの口調はいささか、つーか、むしろかなりめんどーくさくなってきたからやめるけど、な」

 す、とまなざしをボクに向けて笑っている。そういう視線がひしひしと伝わってくる。だから「アサダテツヤ」はクラスの中で、特に女子に人気があるのだ、とバカ/アンチ/アサダテツヤが週の初め、自分で言っていたのを思い出す。だから復帰計画プログラムの最後に順番が回ってきたのだ、とも。最後――彼で、復帰計画プログラムは終了する。過度に進行した少子化と、それへの危機意識というやつはどうやらボクを放っておいてはくれなかったようで、今日まで復帰計画プログラムが進行していたのだろうけれど、彼でようやくおしまいになるという。彼で、「アサダテツヤ」で、最後だ。でも「アサダテツヤ」がそんなことを言うのか、そんな自意識過剰なことを。

 違う。ボクは違う、と思う。そこには、その思考には明らかに、プラットフォームの、アンドロイドそのもの視点が存在している。だから、全然リアルじゃない。

「じゃあそういうの、最初からやるなよ、ホントそういうの――」

 それにしてもこのバカの言う「有用性の証明」というやつは、どうやらボクが学校に行って授業に出てクラスメイトと仲良くして部活で汗を流して修学旅行ではしゃいで学園祭でライヴして夏休みにはみんなでプールに行って――なんにせよ学校生活を楽しむ、ということにあるらしい。決められた枠組みの中で個性を伸ばすことにあるらしい。

 ボクはまた、座る位置を一メートルずらした。バカの笑顔が硬化するのが、わかった。だから顔を向けて、正面から笑顔を見つめて、言ってやる。端的にボクは、言う。

「そういうの、マジでウゼェ」

「うわ、嫌われちゃったなぁ、おれ」

「うん、嫌い。今までのなかで一番嫌い。こんなのが同じクラスにいるって考えただけで、行く気も失せる」

「インストの順番、まちがえたかな……まぁ今さらか、な。いや、でもまちがってはねぇし、うん。――つーかなんでそう思うよ、ん?」

 そういうところだ、とは言ってやらない。絶対に言わない。そんなふうに簡単に踏み込んできて、でも決して不快には感じない、その潔さだ、とは言ってやらない。だってそれは「アサダテツヤ」自身のであって、隣に座っているバカのではないから、たぶん。入学式とその次の日しか学校に行っていないボクには彼と会話した記憶はないから……、たぶんないから正直言ってよくわからない。けど、それでもわかることがあって、それは先週までのアンドロイドとの会話――彼ではなくてかおちゃんやあきちゃんがインストールされたアンチとの会話では、そんな部分は微塵も感じなかった、ということ。だからボクは、それを「アサダテツヤ」固有の性格だと考える。そういう違いはちゃんと再現されるから。

 ボクは河を見る。アサダテツヤ/アンチ/バカから視線をずらして、河を見る。水面は流れているのかとどまっているのかわからない、ぐらい動きが見えない。でも河には当然、浅瀬も深瀬も早瀬も遅瀬もあって、一年の水量の変化でもって水面下でもこくこくとそのかたちを変えている。水面上でも、中州が大きくなったり小さくなったり、護岸が見えたり隠れたり、する。でも、いまは、ぎらぎらと夕暮れの光がすべてをのみ込んで水面は、静かに、だけど獰猛に、そこにある。きらきらギラギラ、そこにある。そのことに気がついてボクは――あー、やばいなぁ、と思うけれど涙をぬぐったり顔を隠したりはしない。絶対に、しない。自分が間違っているとも思わない。絶対に。

 バカも、気にしていない。

 うーん、と一度大きく伸びをして、首をぼきりぼきりと鳴らして、白のスニーカーの靴紐をほどいてむすんで、座る位置をずらそうとして――でもやっぱりやめて、こっちを、ボクのほうを向く。それがボクにはわかった。でもボクは、河を見ている、見つづけている。どぼん、どばん、ケラケラげらげ――河下から強い風が吹いて、笑い声がちぎれる、吹き飛んでいく、ボクには聞こえない。

「――つーか、もう言わないんだな、ボクって」

 思い出したようにバカが、言った。言葉は小さかったのに、はっきりと聞こえる。耳に残る。ボクは思い出す。この脅威的な、潔い踏み込みを、思い出す。だからボクは横目で、バカを見る。バカは泣きそう、に見える。どうしてかバカまで泣きそうに、見える。ボクは思う。思い出したことで、理解する。そうか、こいつ/バカ/「アサダテツヤ」だったのか――理解すると同時に、ボクは拳を振るっている。

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