第7話 花とチョコレート

 勇者は王宮へ引き返した。おそらく、エウロパが何者なのか、女神に尋ねるためであろう。ついでに、エウロパの作業着と靴を受け取るやもしれない。さすがに裸足ではこの先、つらかろう。

 私とエウロパは、街の広場で勇者の帰りを待った。最初は、走り回って遊んでおったエウロパだったが、すぐに飽きてしまったらしく、今は、私と並んでベンチに腰かけていおる。

「お主は、どこから来たのだ?」

 私は、退屈そうにしているエウロパに話しかけた。

「どこって?」エウロパが私を見る。

「生まれ育った街があるのだろ?」

 エウロパの正体が気になった私は、それとなく聞き出す心積もりだった。

「うーん」とエウロパは低くうなった後、人差し指を立て元気にこういった。「!」

「空?」

「うん!」

 エウロパが明るく返事をする。そんなエウロパに、悪びれる様子は全くない。


 はて、空に住む者などおらぬはず。

 エウロパのいうことが本当ならば、私や魔物、さらに言えば勇者や女神にも存在を悟られず、ひそかに暮らしておったということか? そんなこと、にわかには信じられぬが。


 私は、エウロパを問いただすわけでもなく、ただじっと見つめていた。

 どこをどう見ても、やはり、純朴な少女にしか見えぬ。

 私の視線に気が付いたのか、エウロパが目を合わせてくる。

「にらめっこ?」無邪気にエウロパがいう。

「うむ」と適当にいう私はエウロパの瞳に吸い寄せられていた。

 その瞳の奥に、美しく輝く光彩を見い出したのもつかの間、それは、次第に深い闇へと塗り替えられる。真っ黒なその瞳からは、一切の光を感じない。

 暗闇のような瞳に耐え切れず、私はついに視線を逸らしてしまった。エウロパの容姿からは想像しえないほどの闇を、私は感じていた。

「ダンテの負け!」飛び跳ねるように、エウロパがいう。「ダンテ、よわーい」


 弱い、という言葉は聞き捨てならぬが、まあよい。


「魔力の配達は誰に命ぜられたのだ?」私は、さらに尋ねた。

「めいぜられた?」

 エウロパは首をかたむける。どうやら言葉が難しかったらしい。

「どうして私たちに声を掛けたのだ?」

 どういうわけか、その答は返ってこなかった。

 今までの元気が嘘のようだ。

 その、私とエウロパの間に静寂しじまが続いた。私は、会話を振り返り、自分の非を探ったが、思い当たる節はなかった。もしかすると、答えたくない質問は、黙秘する性格なのかもしれぬ。

「ねえ、みて!」と突然エウロパがいう。

 その声につられ、私がエウロパに視線を移すと、隣に座っていたはずのエウロパが姿を消していた。

 その出来事に、さすがの私も目を見開く。 


 これは、まさか、とき魔法か?

 いやだが、そうそう習得できるものではない。使えるのは、ほんの一部の神と勇者だけのはず。そもそもこの魔王ですらも、とき魔法は使えん。


 ふと気づくと、エウロパは私の背後に立っていた。そのエウロパが、私の首に抱き着く。

「すごいでしょー」といいながら、笑い声をあげるエウロパ。

「何をした?」

「アランの魔法だよ」


 ということは、本当に、とき魔法か?

 だとしたら、エウロパ。お主、何者だ?


 私とは正反対に、一寸も動じていない様子のエウロパは、私のすぐそばに腰かける。

 座るやいなや、今度は足をぶらぶらと振り始める。

 どうやら退屈らしい。

「ボヨヨンやってー」エウロパが私に向かっていう。

「ん?」と私は、思わず聞き返す。

 切り替えの早いエウロパに、私の思考は追いついていなかった。ともかく、私達に声を掛けた理由は諦めるとしても、今しがた発動した魔法については、やすやすと見過ごすことはできない。いや。だが王宮におったということは、エウロパは女神の類なのか。だとしたら、不思議なことではないかもしれぬが……。

「ボヨヨンだよ」といいながら、エウロパが私の太ももに手をのせる。

「ああ、いや、今はできん」

「えー」あからさまに不満そうなエウロパ。「ボヨヨンダンテ好きなのにー」


 変なあだ名をつけるでない。


「ダンテはなんかすごい魔法、使えないの?」

 エウロパにそう尋ねられ私は、返答に困った。私の使う魔法はすべて強力だ。だが、今は使えん。

 勇者や女神の持たない特別な魔法という意味であるならば、とき魔法は使えんが、代わりに私は同期魔法が使える。相手を体内に取り込む魔法だ。無論、勇者の様な強者つわものをやすやすと取り込めるわけではないが。いずれにせよ、魔法には変わらぬ。要するに、今は使えん。

「残念だが、今は使えん。ボヨヨンバブルもな」

「ふーん」エウロパは口を尖らせている。

 私の答えが不服だったのか、またもや足を振り始めるエウロパ。

 私は、エウロパを退屈させないようにと思い、頭の中で、話題を探った。

「先ほどのチョコレートはなかなかだった」私は言った。

 我ながら、気の利いた話題だと思った。

「え?」とエウロパが驚く。

「あの魔法は、誰かに教わったのか?」

「う、うん」と、エウロパは首を縦に振る。

 エウロパが口ごもり、どういうわけか、うつむいてしまう。チョコの話はしたくなかったのだろうか? だが、先ほどとは違い、完全な沈黙ではない。

 恐る恐るではあるが、私は質問を続けた。

「誰に教わったのだ?」

「えっと……、女神のおばさん」

「ふっ」と、私はつい吹き出してしまった。


 女神のおばさんは、あの年増女神に違いない。あやつしかおらん。他に、女神のおばあさんがおったような気もするが、それ以外はみな、若かったはず。

 あの女神、おばさんなどと呼ばれておるぞ。たまらなく愉快だ。


 私が顔をにやつかせていると、隣に座っていたエウロパが席を離れる。

 表情をもとに戻し、私は、エウロパの後ろ姿に注目した。

 少し離れたところで、エウロパが、ふと振り向く。

「ダンテは魔法、使えないの?」

「今はな」

「いつ使えるようになるの?」

「わからぬ」

 素っ気ない返答のようだが、これ以外に答えようがない。

 だが、悲し気な顔のエウロパを見て、すぐさま私は「いずれは魔法が使えるようになる」と付け加えた。

「じゃあ、ダンテの魔法が使えるようになったら、私――」

 エウロパが伏し目がちにいう。手を後ろで組み、どこか落ち着かない。

「……私」ともう一度、エウロパが口にする。 

 いじらしい様子に、心をくすぐられた私は、手を差し伸べたい一心で、「どうしたのだ」と声を掛ける。

 そうしてエウロパは、ためらいながらも、私の目を見て、こう続けた。 

「私、ダンテからお花、ほしいな」

 頬を真っ赤に染め上げるエウロパに負けず劣らず、私の顔も、熱くなっていた。

 思考が停止してしまった私は、エウロパに「ああ」と腑抜けた言葉を返すことしかできなかった。

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