第7話 開校

最終章 開校

 

 講堂の薄暗い倉庫に一人の男子生徒が入ってきた。名札には仲空と書かれている。

 周囲をきょろきょろしながら恐る恐るの足取りだ。

 倉庫には椅子が積み重ねられていて埃が積もっている。

 半透明ガラスがはめられた小さな窓から光が差し込み、埃を貫いて光の柱を作っている。


 男子生徒、仲空はびくびくした表情を浮かべながらも制服の内ポケットから油性ペンを取り出す。

 仲空の表情が引き締まった。

 ペンのキャップを外し、背筋を伸ばしてコンクリートの壁に向かう。

 いったん目をつぶってから脳裏にイメージし、目を開くやイメージを大胆に壁へとペンで描き上げる。

 壁に現れたのは不死鳥伝の主人公ジョーイが走る姿だった。

 ジョーイが逃げているのか追っているのか、それともどこかに向かっているのか。

 見る者によって大きく受け止め方が変わりそうな絵だった。


 仲空は一息ついて倉庫を出ていこうとする。そこに上から声が降ってきた。

「あたしは誰かに会いに行こうとしているって思うなあ、このジョーイ」

 仲空はぎょっとして振り返った。

 天井裏のパネルが一枚ずれていて、そこから女子生徒が顔をのぞかせていた。

「ジョーイだ!」

 仲空は小さく叫ぶ。

「え、あたしのこと?」

 そう言いながら女子生徒は降りてくる。菜津野だ。

「ジョーイに会えるなんてうれしいよ!」

 男子生徒は憧れの目を菜津野に向ける。

「どうしてあたしがジョーイなの」

「そりゃ、逃げながら戦ってるからさ。ジョーイみたいでかっこいいじゃないか! なあ、サインもらえないか」

 仲空は学生手帳を差し出した。

 受け取った菜津野はさらさらとジョーイを描き、ちょっと考えてから菜津野とサインして返す。

「だったら君は親友のホルストかな」

「どっちかといえばネルガだね」

「ああ、そんな気がする」

 菜津野と仲空は笑いあった。

「実はネルガに頼みがあって来たんだ」

「いいぜ、ジョーイの頼みなら!」

 二人は拳をぶつけ合う。

「あたしたちが考えてるのはね……」


 岩尾島の港は久々に賑わっていた。

 初夏の風は生暖かく日射しも強い。

 入港したフェリーから続々降りてくる乗客たちは立派なスーツに身を包む者も多く、額から流れる汗を高そうなハンカチで拭っている。岩尾学園とメディア封鎖特区を監査しにやってきた議員団だ。

 一方、動きやすそうな服装で大きな荷物を担いだ者たちもいて、鋭く目を光らせている。問題を見つけてやろうとやってきた取材陣だ。


 岩尾学長がにこやかな顔で出迎え、教師たちが客を案内する。

 客たちは列をなして学園への道を上がっていく。

 取材のカメラマンたちが大型レンズの付いたカメラで撮影を始め、シャッター音があちこちに響き渡る。


「ようこそ岩尾学園へ。今日から開校三年祭です。我が校三年の精華をご覧になってください」

 いつもは苦虫を噛み潰したような顔の学長が今日は笑顔を貼り付けて議員たちを応対する。

「ふむ、特区の効果をだね、このタイミングで見せてもらうのがだね、重要なのだよ、特区の更新とだね、市民からの応援はつながっておるからね」

「そこはもう、市民の皆さまからのご期待に応える展示をそろえておりまして。メディア封鎖によって勉強時間と運動時間がいかに向上したかを直接ご覧いただきたく」

 学長は議員たちと談笑しながら列の先頭を進んでいく。

 

 列は校門をくぐって校庭に入ってきた。

 監査議員団大歓迎の案内の看板が立っていて、行き先が矢印で示されている。

 一行はそちらへと誘導されていく。

 そちらに行く予定だったかと疑問が学長の頭をかすめるも、議員団の相手が忙しい。


 列は講堂へと飲み込まれていった。

 講堂はカーテンが閉められており明かりも消されてよく見えない。

「ようこそ皆さん、今日はあたしたちが受けている学園でのすばらしい教育を発表します!」

 講堂のスピーカーから女子生徒の声が響き渡る。


「こんな予定はあったか?」

 学長は小声で教師に問うが、教師は困惑した声で「いいえ」と返答する。


 全員が講堂に入った。

「どうぞお座りください」

 案内に促されて一行は暗い中を進み、用意されていたパイプ椅子に各々座っていく。

 

 全員が座り終わると、

「それでは発表を始めます」

 講堂のステージにするするとスクリーンが降りてきた。

 プロジェクターからの光が当たる。

 三、二、一、零、カウントが進んで映像が始まった。

「この岩尾学園では外部のメディアに触れることができません。そんな中で生徒たちの自主的な創造性が花開きました」

 黒板に描かれたマンガがスクリーンに映し出される。

 議員や取材陣がざわつく。

 学長は怒鳴ろうとしかけて、それでは議員を前の大失態になることに思い至り、歯を食いしばる。


「学長から聴かせていただいた人生の物語、その感動に私たちは創造の翼を伸ばしたのです」

 学長を描いたマンガの黒板が映し出される。そして、それに見とれる学長。

 監視カメラから撮ったとおぼしい映像だ。いつの間にしかけられていたのか。

 まずい、まずいぞ、学長は口の中でつぶやく。


 議員団からは戸惑いの、取材陣からは感心の声。


 次の映像が始まる。

 学長の背筋が凍っていく。

 だめだ、それだけは、まずすぎる。


 映像が流れる。

 学長マンガを読み終わった学長は、しばらく放心した後に、チョークを手に取り、恐る恐る黒板に線を引いた。よれよれの線が切れ切れに描かれて、しかしそれは確かに学長マンガに登場してきた強敵、ジョーイを描いていた。


「ここは創造性を生み出す特別な学園、誰もが、生徒も、教師も、学長も! 創造に参加できるのです!」

 その放送と同時に、カーテンが一斉に開かれた。

 窓から光が差し込んでくる。

 カーテンの裏に隠れていたのか大勢の生徒たちが姿を現していた。彼らが開いたカーテンの後ろには黒板が並んでいた。

 黒板には何も書かれていない。

「さあ、皆で書きましょう!」

「おお!」

 生徒たちが一斉に描き始める。

 ある者は不死鳥伝のキャラクターたちを、またある者は他のマンガを、そしてまた別の者はオリジナルの絵を。

 皆が好きなものを自由に黒板へと解き放っていく。


「どうぞ、お客様方も参加してください」

 取材陣たちも歓声を上げて黒板へと進み、描き始める。


 議員の一人が学長に言う。

「このように奥深い考えがあったとは、さすがだよ岩尾さん。これこそが教育の精華だ。特区の更新は間違いない」

 議員の本音がどうなのかは分からないが、勝つための流れを読んだ発言なのは間違いなかった。

「ええ、創造的な参加を促すのが私どもの教育なのです」

 内心の動揺を押し殺して学長はにこやかに答える。政治は潮目を読むのがなにより重要だ。今、潮目がはっきりと変わってしまった。滅びたくなければ乗っていくしかない。


 学長は怒りと憎しみを隠し、黒板に群がる生徒たちを睨む。取材陣や議員、そして教師までもが参加していた。

 どいつも、こいつも、私を仲間に入れてくれなかったマンガに捉われて。

 マンガやゲームやSNSは私と家族を断絶させる悪なのだ。

 暖かいつながりは現実にしかないのだ。

 こんなのは偽物だ。

 


 黒板の一枚には学長マンガの続きが描かれていた。

 本城美里と山田菜津野が作業している。

 まだ読んだことのないページに学長は思わず引き込まれる。


 生徒の一人がやってきて学長に言った。

「先生、感動しました! 他のページも読みたいです!」

 菜津野が学長にチョークを渡す。

「次のページ、一緒に書きましょう!」

 周囲からの歓声に押されて学長は黒板へと進む。

 促されて自分自身のキャラに線を入れる。

 自分が黒板の中にいた。

 それを見た生徒たちがまた歓声。


 なにもかも取り上げれば若者も俺たちを無視できなくなると思っていたのに。

 取り上げれば取り上げるほどやつらは俺たちの声を聴かなくなって。

 それなのに今、確かなつながりを感じる。


 学長は我知らず微笑んでいた。

 皆も楽しそうに笑っていた。

 学長の頬を一筋の涙が伝った。



★☆★


 メディア封鎖特区ジゴクはその目的を大きく変えて継続されることになった。

 あえて既存のメディアから隔離された空間で新たな創造に挑む。そのためには様々な支援が行われる。

 創造的な活動を行うための画材や機材、芸術道具、そして黒板。

 メディアに触れたければジゴクの外に出ることも自由だ。

  

 作家たちが創作に集中するため続々と押し寄せてきている。

 中には編集者に命じられて締め切り厳守すべく缶詰作業の者もいるようではあった。

 作家たちは学園を訪れ、生徒たちと刺激しあって帰っていった。


 美里もまた同様だった。


 港の桟橋にモーターボートが停められている。

 そこに美里と菜津野がいた。

 美里は荷物をモーターボートに降ろす。

「せっかくだから周りも取材して帰るわ」

「美里は卒業までいるんだと思ってた」

 美里はいたずらっぽい表情を浮かべた。

「わたし、高校はとっくに卒業済みなのよ」

 菜津野は一瞬ぽかんとしてから爆笑した。

 笑い過ぎたのか涙を流しながら、

「ほんと、美里らしいよ」

 つられたように美里も笑う。

 同じく笑い過ぎたのか涙。

「続きの本を描くから読んで」

「うん、ジゴクの外まで読みに行く」


 モーターボートに乗り込んだ美里がエンジンをかける。

 騒音が周囲に満ちる。


「あたし、ジョーイを超えたでしょ!」

 エンジン音に負けない大声で桟橋から菜津野が叫ぶ。

「ジョーイはもっと凄くなるのよ!」

 モーターボートの美里は言い返す。

 お互いに笑い合い、そしてモーターボートは発進した。

 夏の潮風が吹き抜ける。

 新たな物語が始まろうとしている。


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ジゴクのマンガ教室~あらゆる娯楽が禁止のエリアに拉致されたのでマンガを描くことにしました~ モト @motoshimoda

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