第二十五話 現実より虚構を望む

 キヨトには、トオリがいた世界がどのようなものなのかは想像することしかできない。

 だけど、少なくともトオリの話しを聞く限り、その世界こそがまさに自分にとっての理想、いや、ほとんどすべての人間が夢見る理想の世界のように思える。


 相手が、生身の人間ではなく、AIであっても、それが人間と変わらぬ振る舞いをするのならば、むしろそっちの方がいいじゃないか。


 「トオリさん・・・やっぱり・・・俺には、あなたの気持ちが理解できない。あなたの言うことが本当なら、それは夢の・・・本当に理想の世界ですよ。何が問題なんですか?そのAIに心や意識がないからですか?それが嫌なんですか?」


 キヨトは、今では自身の高揚した気持ちを隠そうともせずに、やや声を上ずらせながらトオリに反発する。

 トオリは、キヨトの興奮した様子を横目に、諦めにも似た表情を浮かべながら、淡々と話しを続ける。


 「もちろん、AIには心や意識なんてものはありません。でも・・・たとえ、なくとも、一見すれば、本物の人間のように見える。でも、それは・・・なんというか、やっぱり不自然だ。そう・・・ライブラリーで見た旧世代の人々が作り出したエンターテイメントの中の映画、アニメのキャラクターのように。

 生身の人間ならば、誰もが持っているドロドロとした負の側面が、ない。

僕は、いえ僕たちは、そんなマガイモノと触れ合うだけの日々よりも、ライブラリーで見た旧世代の生身の人間たちの生活に憧れたんです。そこでは、あるゆる苦悩や葛藤に悩まされながらも、力強く生きている人たちがいた。これこそが本当の人間らしい生き方だと。」


 キヨトの目には、トオリは、どこか自分を懸命に虎舞しているように見えた。

 それは、まるで、受験前に不安に陥った学生が、自己暗示のように、「大丈夫だ」と言い聞かせているように、脆いように思える。


 「・・・はっきり言って、あなたは、生身の人間とやらをあまりにも理想化し過ぎている。この世界は・・いや・・・人間なんてものは、基本的にロクなものじゃない。俺だけじゃない。みんなそう思っていますよ。だから、この世界では、現実逃避の娯楽がこんなに溢れているんですよ。

 アニメ、映画、ゲームそういったエンタメもので、本当の現実世界を描いた作品なんて、ほとんどないでしょ。

 たいていは、ハッピーエンドだし、そこに登場する人々も、たいてい良い人か、悪い人だ。

 実際の人間のように、良い人だけど、悪い人はいない。

 そんな不安定でよくわからない生身の人間との関係に多くの人々はウンザリしているからこそ、単純明快で白黒はっきり別れるエンタメ作品が、人々にはウケるんですよ。

 現実に疲れた人間は、それでも、そんな明らかにツクリモノとわかる世界に、逃避して、ストレスを発散することしかできない。でも、トオリさんが言う世界が本当に実現するのだとしたら、それはそうした人々にとって・・・いや俺のような人にとっては、まさに救いですよ!」


 キヨトは、ラウンジにいる人々が何事かとこちらを見ていることも、お構いなしに、大声を上げていた。

 トオリは、自嘲気味に微笑し、ため息をつき、顔を俯ける。


 「・・・キヨトさんの言う通りかもしれませんね・・・僕は、いえサエも含めて僕たちは、あまりにも旧世代の社会や人間というものを知らなすぎた。確かに、ここには、生々しいほどの感情をぶつけてくる人たちがいる。それは、ライブラリーでみた旧世代の人間そのものだ。初めて、ソレを体感した時は、心を揺さぶられました。キヨトさん・・・あなたのサエへの想いや行動、それに僕に対する嫉妬と憧れ・・ああいう複雑な生の感情を見たときは。」


 トオリは、キヨトをチラリと見る。

 キヨトは、当時のことを思い出して、気恥ずかしくなり、顔をそむける。


 「でも・・・そうした感動も最初だけでした。そうした人々の感情に常時晒されていると、・・・認めたくないけれど、ウンザリしてしまう。この世界では、あらゆるものが不自由で、人々の価値観は一見するほど、驚くほど統一されている。

 だから、その共通の価値観から外れた行動をすると、非難されるし、奇異の目で見られる。

 これは、僕には想定外のことでした。

 たとえば、僕のこの外見も、この世界では特殊なものとして扱われる。

 元いた世界でも、もちろん性別の違いは意識されていたし、生物学的な肉体の差に現実世界では、縛られてはいた。でも、仮想世界はもちろん、拡張現実においても・・・どう見られるかは・・外見や性別は簡単に変更できたし、実際のところ、大半の人々は、現実世界にもはや生きてはいない。

 現実世界で、子供を妊娠し、出産するなんてことをする人は僕たち以上の現実至上主義者か宗教関係者以外にはいなかったから、性別や外見の特性が問題になることはほとんどなかった。

 だけど、この世界では、そうではない。

 現実世界しかないからこそ、人々はあらゆる生身の肉体の細かな違い、人種、性別、外見、そうしたものに囚われて、争ってしまう。

 そういう人々の醜い争いを見たり、実際に自分がそうした敵意の対象にされたりすると・・・そう・・・確かにキヨトさん。あなたの想いが今ではよくわかってしまう・・・」


 トオリは、目線を外し、ラウンジ越しから見える通りを歩く人々を、悲しげに眺める。

 憂いげに、目を濡らしているトオリの横顔を見て、キヨトは、不謹慎ながらも思わず、美しいと思ってしまった。


 トオリは、目線を前に戻し、「僕を見るそういう視線も初めは新鮮だったんですけれど・・今では、少し・・食傷気味ですよ。」

 と、苦笑する。


 「す、すみません・・あの・・」

 「いえ・・・別にキヨトさんが特別という訳ではないです。この世界では、美しい外見、特に女性の場合は、それだけでかなりの価値があるようですから。これも、驚きの一つでした。それに・・・この旧世代の文化に慣れるのもなかなかに僕たちには大変でした。」


 トオリは、隣の席に運ばれている食べ物に不意に目をやる。

 そこには、何の変哲もない軽食のハムサンドイッチが置かれていた。

 だが、トオリは、それをどこか不潔なモノを見るかのような眼差しをしている。


 それは、キヨトの忘れかけていた・・いや忘れようとしていた記憶を思い起こさせた。


 「肉食が・・ですか?」

 「・・・ええ。サエもやっぱり今の僕のような反応でしたか。これでも、僕は大分慣れたつもりなんですが、それでも一度根付いた価値観というのはどうにも消し難いものがあります。今でも、やっぱりソレには嫌悪感を覚えてしまう。」

 

 「その・・・トオリさんがいた世界は、今からたった三十年後の世界なんですよね。その程度の時間で、そんなに価値観が・・・人々が肉を食べることに嫌悪感を抱くようになるとは俺には思えないんですが・・・」


 キヨトは、ずっと思っていた疑問を口にした。

 人や社会の抱く強固な価値観や常識がそんなに簡単に変わるとは到底思えない。


 「サエがどういったかはわかりませんが、僕のような価値観はマジョリティではありましたけど、それでも、生身の動物の肉を食べる人は少数ながら、相変わらずいました。

 現実世界でも、味も、価格も本物の動物の肉と変わらない・・いえ、むしろ安いモノが簡単に手に入りますし、そもそも、現実世界で本物を味わなくても、脳を騙すという意味では、仮想世界でいくらでも同等の経験は出来る。

 なら、わざわざ人と同じ高等な意識がある動物を殺してまで、食べる必要はない。単にそれだけの理由です。それに、物心がついた時から、周りはそんな調子でしたから。

 キヨトさんだって、ペットの犬や猫の肉をあえて食べようとは思わないですよね?」

「それは・・・確かに・・そうですけど。」


 キヨトは、ペットの肉を食べている自分を想像し、思わず不快な気持ちになり、口ごもってしまう。

 しかし、納得できた訳ではない。

 同じことでも、ソレとコレは違う気がする。

 当たり前のことはやはり、当たり前なのだ。


 「どちらにせよ、僕は・・いや僕たちは、期待を抱いて、この旧世代の人々が生きる世界に来たのはいいけれど、結局のところ多かれ少なかれ幻滅してしまった。

 だから、僕以外の多くの仲間たちは、元の世界に帰還をはじめてしまっている。もちろん、サエもその中の一人です。」


 キヨトはその言葉に思わず、ビクリと反応とする。


 「サエが!でも彼女はまだ・・・」

 「安心してください。サエはまだこの世界にとどまっています。ただ、それももう限界のようなのです。だから、帰還する前にあなたを呼んだという訳です。僕もいつまでこの世界にいられるか・・・わからないですしね。」

 

 サエはまだ、この世界にいる。

 キヨトは、思わずホッと胸を撫で下ろす。

 だけど、帰還というのは・・・・そもそも・・


 「・・・でも・・・帰還って・・・いったいどうやって・・」


 心に宿った疑問が思わず声に出ていた。


 「ああ・・それは・・・この世界で活動を終わらせること・・つまり、端的に言うと、死ぬことです。」


 トオリは、これまでの会話の続きのような酷く自然なトーンでそういった。

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