第七話 外に出た途端に豹変する美少女

 キヨトが、目覚めた時、すでに太陽は沈みかけていた。

 夕暮れ時に起きる昼夜逆転の生活に、今ではすっかり慣れてしまった。

 ただ、それだけだ。

 別に悪いことをしている訳ではない。


 だが、ここでもどっぷりと染み付いた常識がキヨトの心にトゲを刺す。

 酷く間違ったことをしている気がどうしてもしてしまう。

 だから、起きたばかりだというのに、キヨトの心はいつも酷く憂鬱になる。


 しかし、今日は不思議とそうではなかった。

 あの重苦しい気分にならない。

 これも、昨日あの女と話したおかげなのだろうか・・・


 この日は、久々に何かをする気になれた。

 床に乱雑に置かれた大学受験の参考書の一つを手にして、ローテーブルに置く。

 床に座り込んで、おもむろに中身を開く。


 こんなことをやっても、意味がないんじゃないか・・・


 そういつもの声が聞こえる。


 だけど・・何もしないよりはいいだろう。


 今日は珍しく、怠惰な自分を抑えることができた。

 最初は嫌々やっていたが、いつの間にか、そのまま本にかじりついていた。

 強烈な空腹と尿意に促されて、キヨトは、ようやく本を閉じる。


 スマホを見ると、時刻はすでに21時を回っていた。

 数時間、勉強していたことになる。

 その時、何とも言えない満足感が自分の心に溢れているのを、感じた。


 勉強をしたことが嬉しいのではない。

 自分をコントロールして、自分が本来やりたいと思っていた行為ができたことが嬉しいのだ。

 ゲームをやったり、アニメを見る時は、いつも言い訳をしていた。


 本当は、自分がやりたいことじゃないからだ。

 ダイエットをしたいのに、食欲に負けてドカ食いをするようなものだ。

 だから、いつもその行為を終えた時は酷く虚しい気持ちになっていた。


 だが、今日は自分を制御でき、やりたいことができた。

 小さな・・ほんの小さな満足感だったが、気分は晴れやかだった。


 スーパーに行って、食い物でも買ってくるか・・


 キヨトは、その晴れやかな気分のまま、外に行こうと玄関に足を運ぶ。

 ちょうど、その時だった。

 チャイムが鳴った。


 こんな時間に・・・誰が・・まさか・・


 キヨトは、脳裏に浮かんだ嫌な予想を間違いだと確認するために、急いで、玄関のドアスコープを除く。

 だが、その悪い予感は的中していた。

 ドアスコープに映っているのは、あの女・・サエの顔だった。


 まさか、本当に来るとは・・・


 だが、鍵は閉めているのだ。

 このままやり過ごせば・・・


「キヨトさん。サエです。開けてください。」


 キヨトのそんな考えは、サエの声で、あっという間にかき消されてしまった。


 このまま騒がれたら・・・


 そう思うと、鍵を開けて、サエを家に入れざるを得なかった。


「こんばんは。キヨトさん。」


 サエは、相変わらずその可愛らしい外見には不釣り合いなくらいに、無表情な顔つきで、淡々と挨拶をする。


「ど、どうも。あの・・」


 キヨトが反応する前に、既にサエは、靴を脱いで、部屋に上がる。

 そして、そのまま、廊下を進んで、奥のリビングルームにあるソファーに腰掛ける。

 まるで、自分の家のように遠慮なく上がりこんでくる。

 キヨトはその後を慌てながら、追いかける。


「あの・・サ」

「キヨトさん。今日は外に行きませんか。ずっと家にいて、退屈していたんです。」


キヨトが言葉を発する前に、サエは自身の要望を抑揚のない事務口調で伝えてくる。


・・勝手なことを・・両親が探し回っているんじゃないのか・・


「あの・・サエさん。ご両親が外で探しているんじゃないんですか・・見つかったら・・」


 そう・・見つかったら、俺は、あらぬ誤解をかけられんだよ・・


「大丈夫です。さっきあの人たちとは、それで会話しました。それも家に置いてきたから。あの人たちは、わたしは家にいると思って、安心しているはずです。」


サエはキヨトが手に持っているスマホを指差す。


「え・・・一緒に住んでいる訳じゃ・・」


「住んでいないですよ。一人で暮らしてます。あの人たちは、かなり反対していましたけど・・・だいたい、人と一緒になんて暮らせる訳ないじゃないですか。」


 その時、サエははじめて感情らしい感情・・・顔を歪めて、嫌悪の表情・・・を浮かべる。


 俺と同じ一人暮らしだったのか・・じゃあ・・昨日戻りたくないって言っていたのは、実家にということか・・


 つまり、実家にいるのが嫌になって、今は一人暮らし。

 心配な親が、毎日電話でやりとりしたり、スマホで位置情報を確認しているってことか・・


 それにしても、よく親が許したものだ。

 金だって、かなり掛かるだろうに。

 サエの実家は、かなり裕福なのだろうな。


 そんな、想像をしばらくしていると、サエが、怪訝そうな顔をして、

「キヨトさん。早く外に行きませんか。」

 と、こちらを見ている。


「え・・あ・・はい・・えっと・・どこに?」


 サエは首をかしげて、少し考え込んだ後に、

「・・・どこでも・・いいです・・」

 と、ボソリとつぶやく。


「・・では・・・えっと・・・とりあえずそこらのスーパーに買い出しに行くのはどうですか・・・その・・食事を取る必要もありますし・・」


 自分で言っておきながらも、よくわからない言い訳を並べて、もともと行く予定だったスーパーに向かうことにする。

 一人暮らしで、両親が近くにいないのなら、とりあえずサエと一緒に外出しても、しかも、人があまりいない近くのスーパーなら・・・大丈夫だろう・・・

 そう脳裏に浮かんだ時には、サエは返事もせずに、もう玄関までスタスタと歩いていた。



 誰かと一緒に行動するなんて、久しぶりだから緊張する。

 だから、少し挙動不審になっているのではないかと心配だった。

 だが、マンションのエントランスを出たら、そんな不安はすぐに吹き飛んだ。


 それというのも、別の不安が生じたからだ。

 

 サエの様子が、明らかにおかしい。


 いや、家を一步出た瞬間からどこかぎこちなかった。

 それまで、無表情で冷静だった顔は、何かに怯えたような顔に変わっていた。

 キヨトの前には決して出ずに、ゆっくりと慎重に後ろをついてくる。


 その様子は、まるで、これから未開のジャングルに踏み入れるかのようにやけに大げさに見えた。

 そんなサエの様子が目に見えて変になったのは、エントランスを出た瞬間だった。


 ふと後ろにいるはずのサエの気配がないなと思い、数メートル歩いたところで、何気なく振り返った。

 すると、サエは、エントランスの前で、立ちすくんでいた。

 サエは、体を震わせて顔は完全に怯えきった表情を浮かべていた。


 今にもその場に倒れこみそうなほどだった。

 慌てて、サエの方へと駆け寄る。


「あの・・大丈夫ですか・・」

「え・・は、はい・・・だ、大丈夫です。す、少しすれば・・な、慣れますから・・」


 そうサエは、言うが、ちっとも大丈夫そうではない。

 壁に手をついていなければ、その場にへたり込むのではないかというほどに、サエの両足はガクガクと震えていた。


 今まで、能面のような表情しか見たことがなかったから、なおさら今の動揺している表情とのギャップに酷く驚いてしまう。

 しばらくそのまま、どうしたものかと近くで、サエの様子を見守っていた。


 だが、サエの状況は数分経っても、改善しなかった。

 いつまで経っても震えているサエの姿を見て、さすがにこのまま放置するのはまずいのでは・・と、思い、家に戻ろうと声をかけようとした時だった。


 「き、キヨトさん!」

 突然うわずった声で呼ばれる。


 「え・・は、はい!」

 

 突然の呼びかけに、思わず動揺して、素っ頓狂な声を上げてしまう。


「て、手を・・・わたしの手を握ってください・・・」

「え・・・」

 

 予想外の要求にキヨトは一瞬呆けた表情を浮かべる。


「お、お願いします!」


 サエは必死の形相でこちらを見ている。

 その気迫に押されて、キヨトは、まるで未知の獣に触るかのように、おそるおそる自分の手を近づける。


 なにせ、思春期を迎えてから、女性の手を握るのはこれがはじめてなのだ。

 手に触れた瞬間、サエはかなりの力で思いっきりキヨトの手を握ってきた。

 思わず、「いた!」と声を上げてしまう。


 「す、すいません!」


 サエは、申し訳なさそうに誤る。

 だが、その後も、握力はいっこうに弱まらない。

 痛みに耐えながら数分間、そのままの状態が続いた。


 手を握る力は相変わらずだが、サエの体の震えは除々に治まってきた。


「お、お待たせしました。それじゃ・・そ、外に行きましょうか」


 サエは平静を装った顔をしているが、未だに動揺しているのは明らかだった。


「えっと・・あの・・・手はこのままで・・」

「は、はい!手はこのままでお願いします!」


 まるで、バンジージャンプをする際の命綱のように、こちらの手を一層の力を込めて、握ってくる。

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