五匹目

僕らの立ち位置――壱

 あれからふた月もかかってしまったけれど、ようやくほとんどの虫たちの心を解してやる事ができた。けれど全てではない。

 奥の虫籠には籠が一つだけ残っている。

 今、箱庭は虫たちで溢れている。そこへ交ざれない虫が一匹。

 その虫の話を聞いてやろうと思っていたところに別の問題も出てきたので、昨日はヤマトとミズハさんも呼んで話をしていたのだ。


 そうだ……いつも僕は間違える。

 ミズハさんを呼んだのは間違いだった。


 水槽以外は何もなくなった店でコオロギが跳ぶ。それを慣れた手つきで捕まえるノウミが「まだいたのか……」と溢す。

「いるだろうね。あの数だから」

 僕の返答にミズハさんとヤマトがワザとらしく、盛大な溜め息を吐いた。

 そしてヤマトがミズハさんにじっとりとした視線を向けて言う。

「あんたが溜め息吐くなよな」

「悪かったって言ってんだろうが。蔦野郎」


 何が悪かったのか。

 それはノウミが予想以上に魔力を集めてしまう事だ。


 それから日常生活だけでは魔力をたいして消費できない事だ。そして灯屋はさながら海豚水槽のようになってしまった。

 その為に引っ越しをしようと思ったのだけれど、ヤマトの店の都合で話し合いが夜になった事。

 その話し合いににミズハさんを呼んだ事が全ての原因だ。


 つまり僕の状況判断の無さが悪いのだけれど、その時になるまで……ミズハさんが酒を樽で担いで入って来るまで僕は僕の間違いに気付けなかった。

 それについては疲れていたのだと言い訳させてほしい。


「引っ越しの話し合いは進まないし……」

 ヤマトがなおもミズハさんに突っかかる。

「引っ越しするんだろ? 決まったじゃねぇか」

 少しは反省しているのか、小さな声でミズハさんが反論する。

「どこへ? どうやって? いつ? 俺はどうするかって所が全く進んでないだろう。それを話す為に集まったってのに。酒乱やるから……」

 ヤマトの言葉に、僕が思わず続ける。

「虫を逃がすから……」


 酒乱までなら話し合いを諦めて後日にすればいい。

 ただ昨日は、楽しくなっちゃったミズハさんが虫の大脱走をやらかした。酒乱のついでに箱庭の魔法を解除してしまったのだ。

 本人は後で「なぜか広い世界に出してやらなければならないと思った」と言った。

 人に聞かれてはいけない話し合いだったので、店には防音と防壁の魔法をかけていたのが幸いした。

 おかげで虫たちはそれ以上外には逃げられず、店や二階のあちこちに散らばったのだ。

 水槽に虫が近寄れない魔壁を作る時の、女王様が腹を抱えて笑う姿は忘れられない。


 割れた商品を片付け、通路に積み重ねられた物を退かし、ついでに引っ越しの準備までしてしまおうとしているのが今だ。とても清々しいとは言えない朝だ。


「蜜蜂に戻りたくなってきた……」

「戻してやろうか?」

 僕が溜め息交じりに言うと、いかにも面白がっているといった顔でからかうミズハさん。

「反省してないじゃないですか」

「してるって。それよりこんなに片付けちまって、すぐに引っ越すのか?」

「めちゃくちゃになったついでですからね。引っ越しで魔法を使えば、ここに溜まった魔力もだいぶ使えるでしょうし」


 僕が言うと、申し訳なさそうにしゅんとうな垂れるノウミ。

 その力が必要なんだから気にしないでと伝えると、どこに引っ越しても同じ事じゃないかと悩んでいる。

「海のそばに引っ越そうと思ってる」

 皆が手を止めて僕の話を聞く。

「海なら魔力が多く集まっていたって可笑しくないし、海豚が運んでくれるでしょ?」


 魔力は海の底で鯨が生む。生まれた魔力は水と共にあり、それを海豚が運ぶ。だから海のそばに魔力の渦巻く店があったっていい。そこから世界中に流れ出て行くのだから、きっと留まる事はないだろう。

「それじゃあ、後の問題は奥のミミズくんだけか」

 ヤマトが言う。

「女絡みなんだろう? 俺が聞いてきてやるよ」

 言いながら虫籠へ行こうとするミズハさんを必死に止める。

「ミズハさんとノウミはミミズくんとの接触禁止です!」

「何でだよ! お前じゃ駄目だったんだろ?」

 そう言って僕を振り切り、虫籠からミミズくんの入った籠を持って来てしまった。 チリチリとミミズくんが鳴く。


「で、理由はなんだっけ?」

 ヤマトがミズハさんの手の中の虫籠を覗き込みながら聞く。おそらく、耳はミミズくんの声を聞いている。

 僕は昨日までに聞いた話をする。

「女性に振られたそうだよ。納得がいかなくて会いに行ったら悲鳴をあげられ、浮気相手らしい見知らぬ男に殴られたとか」

「可哀そうだとは思うが……」

 そこまで言ったノウミの口を、ヤマトがしっかり塞いだ。


「それだけではないんだよ。次の日にその彼女が部屋に転送移動して来てね、飲み物に毒を混ぜたんだって。それを見てしまったから問い詰めると喚き散らしたんだ。それから彼女は取締局を呼んで、無理やり連れ込まれて毒を盛られたと訴えたそうだよ」

「うわぁ……」

 誰ともなく声が漏れる。

「その場でミミズくんは虫になったんだって。これを癒してやれる?」

 誰も何も言えない。

 僕もミミズくんにかける言葉が見つからなくて、泣き続ける彼の話を聞くだけだった。


 すると唐突に外から悲鳴が響く。

 僕はつい魔法を解除して店の扉を開け、外の様子を窺う。

 足元を駆け抜ける何かがあった。その何かはタタタッと走って机の上に立つ。

 フカフカの白い狐だ。鼻先に短い角がある。僕が扉を閉めると白狐が叫んだ。


「私に何したのよ!」

 その声と尾には覚えがあった。

「シラユキちゃん?」

 僕が言うと、白狐は毛を逆立てて怒りをあらわにする。

「そうよ! 気安く呼ばないで頂戴! ちょっと! あの時の店員までいるじゃないの。グルだったのね? 最低! 早く私を元に戻しなさいよ!」

 怒り狂う白い狐の魔物は、珈琲店での騒動の時に行方不明になったシラユキだ。まだ自分が魔物である事すら知らないのだろう。

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