海豚の着物――拾

 依然として明滅は繰り返されているけれど、その色が段々と青に統一されていく。


「家族の付き合いって難しいよね。話の出来ない相手でも家族なら話さなきゃいけないしさ、逃げる事は最後の手段だしね。近いからこそ我が侭で傲慢になっちゃうんだ。でも世界は変わったよ。あれから一万年以上も経った。今の僕たちには幸か不幸か家族がいないんだよ。虫になっているかもしれないけれど、虫になった人間は百億ほどもいるんだから見つからないだろうね。お前は逃げ切ったんだよ。取りあえず、今はそれでいいじゃない。後で話を聞いてあげるからさ、灯屋に来てよ。落ち着いたら庭にも出してあげられるから」


 綿あめは、もう淡く青い光を放つだけになっている。

 それが一つずつ消えていき、一つ残った。

 その光に手を伸ばすと玉虫がいた。

 玉虫をそっと虫籠に入れると、今度は静かに送られてくれるようだ。

 綿あめの幻が消えていく。

 人々の騒がしい声が聞こえ始めると、僕はあの痛いばかりの幻を少し恋しく思う。



 結局、僕たちは珈琲店の中で遭難していたわけだけれど、店内は酷い有様だった。

 まず床が砂に変わっている。これには身に覚えがあった。幻に巻き込まれる直前に、落ちたら痛いだろうと思って砂に変えたのだ。

 竹で飾られた壁は焼けていたり割れていたり血塗れだったりと見るも無残だ。

 珈琲を淹れる機械もお洒落な珈琲カップも粉々。木机なんかは昔を思い出して枝を伸ばし、花まで咲かせている。これではもう使い物にならない。

 もちろん猫男と猫女の死体もある。見慣れた尾人の姿はしていないし、女の方は食いちぎられている。猫男の方がまだ見れるくらいだ。


 店の外で大勢の尾人が騒いでいる。

 壁から距離を取っているのは見た者の恐ろしさと、おそらく虫の天災の影響で入る事ができなかったからだろう。

「これは困ったね」

「そうだな」

 そう話す僕たちとは裏腹に、ヤマトは店中うろついてから言う。

「見つけたのは狐男だけだ。シラユキって狐女がいねぇ」

「いない?」


 僕はそんなはずないと思い、死体をひっくり返してみるけれどいない。狐男はそれを見ただけで倒れてしまった。都合がいいのだけれど、気の毒だったなと反省した。

 さて、見まわした店内には割れた窓が一箇所、鍵の閉まった裏口が一箇所、晴れた空のよく見える天井が一箇所ある。

 つまりどこからでも逃げられるのだ。けれど外の尾人たちは僕たちの方ばかりを見ていて、他に注意を向ける人は見当たらない。

「これじゃ取締局になんと言えばいいのか……」

 ノウミが頭を抱える。


「この時代に取締局はないよ。尾人たちは誰かに支配されることが大嫌いだからね。誰も取り締まろうなんて考えないんだよ。だから昔と同じで国は幾つもあるけど、ゆるい纏まりなんだ。取締局の代わりに国ごとに兵を組織しているけど」

 僕の説明に納得のいかない顔をするノウミ。

「それでは国同士の戦が起きるだろう」

「いいや、戦は起きない。他人に興味が無いんだろうね」

 ヤマトが厨房の奥から「自分を見失ってんだよ」と口を挟む。

 すると、ザワザワと揺れていた外の人ごみが急にぱっくりと割れる。


「国兵が来るよ」

「どうする?」

 僕が言うと、ノウミが不安そうに聞く。

「僕たちは天災に巻き込まれた尾人なんだから、そのように話すよ」

 そこへ、大きな金槌のような斧を背負った国兵が小走りでやって来た。

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