【肉】

 前回の記事に多少批判の声が挙がったようだが、筆者は取材内容について施設側からいくつかの制約を課されている為、あの内容ですら事の全容は伏せている。

 そこから、さらに編集部の厳しい審査、校正を通過する為、この実録コラムはいくつもの人間の善性フィルターを通しているといっても過言ではない。無論、内容が内容だけに、筆者も編集部も常軌を逸した文字列を添削、修正している内に、人間としての善性が麻痺してくるのかもしれないが、それでも真実から眼を逸らさず、どうか最後までこの実録コラムにお付き合い頂きたい。



 2人目に取材したのは、羽鳥絵理沙はとりえりさ。齢、32、性別、女。

 この名前は世間の記憶に新しいかもしれない。彼女は逮捕された当時、メディアから”箱女はこおんな”という異名を付けられ、世間の注目を集めた。本名はともかく、この異名は一度は耳にしたことだろう。

 佐保さぼ洋館一家殺害事件。一家4人が殺害された事件である。被害者は美術商を営んでいた父親の羽鳥洋一はとりよういち(49)、その妻、羽鳥千絵はとりちえ(51)、長女の羽鳥安奈はとりあんな(22)、次男の羽鳥翔はとりしょう(20)。

 容疑者は当時18歳の羽鳥一家の末娘、羽鳥絵理沙である。この一家殺害事件が他の事件と違い、取り立てて世間の注目を集めたのは、18歳というあまりに若い容疑者の年齢と、前述した”血の箱”という常軌を逸した死体遺棄方法だったからであろう。

 


 羽鳥絵理沙は美術商一家の末娘として生誕した。両親は地域や職場でも評判の美男美女夫婦であり、長女の羽鳥安奈はミスキャンパスに選ばれるほど容姿端麗で聡明な才女であり、次男の羽鳥翔は街を歩くだけで芸能事務所にスカウトされるほどの美青年であった。

 羽鳥家はこの親にしてこの子あり、という言葉そのままの美形一家であった。末娘の羽鳥絵理沙だけを除いて。

 無論、筆者はルッキズムに囚われているわけではない。鏡を見れば、自身が他人の容姿にどうこう言えるような立場ではないと再確認させられる。だが、この事件概要を深く知れば、人は見た目に寄らず、というのは綺麗事であり、やはり世間の人々はルッキズムに呪われていると言わざるを得ないだろう。

「一番最初に自分が他の兄弟と違うと感じたのは、七五三の時でした」

 羽鳥絵理沙は語る。七歳の時、七五三祝いの撮影を懇意にしているスタジオのイベントで行った際、着物姿の自分だけを見て苦笑いを浮かべる人間がいることに気が付いたという。

「その後、家族全員で写真を撮ったんですけど、完成した写真が家に届いて壁に飾られた時に、もしかして私だけ、って思ったのを覚えています」

 実際に、羽鳥絵理沙の幼少期の写真を事件資料として目を通したが、確かに幼い子供といえど、将来に美形を望めるほどの容姿ではなかった。だが、それはまだ容姿についてこだわる必要のない幼少期の話である。子供に限った話ではないが、どんな容姿をしていようと健やかに育てば、親としてそれ以上の幸せはない。それは人の親であれば、誰しもが願うことだろう。

 羽鳥絵理沙の実母実父である羽鳥夫婦も、例外ではなかった。それどころではなく、非の打ち所がないほどの立派な人格者だったという。これは夫婦の知人らによる証言である。

「順風満帆って感じの一家でしたよ。外から見てもそんな感じだし、二人とも決して家庭の愚痴を言わないんです」

「私もそうでしたけど、やっぱり年頃の子供を育てるっていうのは大変で、愚痴のひとつでもこぼしたくなるものなんですよ。それでも、羽鳥さんは絶対に子供達の事を悪く言わなかった。子供の話になる度に、嬉しそうに言うんですよ。この前はどこどこで、どういうことをして、どういう風に子供たちが可愛かったかって」

「夫婦そろって馬鹿親ね、私たち、って笑ってました。本当に幸せそうで」

 これは、羽鳥絵理沙の姉兄も同じだった。単なる容姿だけでなく、二人の人格者としての心も受け継がれていたようである。二人の友人らの証言から、その人格者としての一面が垣間見える。

「安奈から翔君や絵理沙ちゃんの悪口なんて、聴いたことありませんでした。家族の話になると、いつも楽しそうに話すんですよ。反抗期なんて無かったんじゃないの、って思えるくらい」

「妹の絵理沙ちゃんと一緒に出掛けてるのをよく見ました。買い物に行くと会ったりするんですよ。いつも、安奈ちゃんはしっかり絵理沙ちゃんの面倒を見てました」

「翔はあんまり姉妹の事を話さなかったけど、冷やかされたら本気で怒るんですよ。内心はやっぱり大切に思ってたんでしょうね」

「一度、別の友達が絵理沙ちゃんの容姿について悪口を言ったことがあったんですよ。中学生の頃だったかな。そしたら、翔君が激昂してそいつに掴みかかったんです。あんなこと初めてでしたよ。いかにも優等生ってやつだったから」

 


 上記の事柄はもちろん周囲の証言、いわゆる他人目線の羽鳥一家に過ぎないが、どこを切り取っても人格者としての面が見えることから、被害者4人はルッキズムなどに眼もくれない聡明な人物だったと伺える。

 だが、羽鳥絵理沙だけは、そんな出来過ぎたような温かい家庭の中で、冷え切った眼で自身を見つめていた。

「10歳の頃からでした。私のコンプレックスは強くなっていきました」

 容姿端麗、才色兼備、眉目秀麗な家族の中で、唯一羽鳥絵理沙だけが浮いたような容姿をしていた。(このような書き方をするのは、羽鳥絵理沙自身が取材の中で、当時の自分をそう呼称してほしいと嘆願してきたからであり、決して筆者の本心からの言葉ではない)

 年齢に関係なく、女性なら尚のことであろう。自身の容姿が他者からどう思われているのか、子供ながらに羽鳥絵理沙は勘付いていたという。

「私の容姿について何か言ってくる人は、姉や兄がそれとなく諌めてくれていたみたいです。だから、周りのみんなは私を腫物みたいに扱ってました。それを知らない人からも容姿については言われたことがあります。酷い言葉で。だから、私がどういう存在なのかは、幼いながらに認識してました」

「美男美女一家の中で、唯一醜い容姿で産まれた女、ってことに」

 思春期を迎え、異性を意識しだす年頃の少女にとって、それがどれほどの苦痛であったかは計り知れない。そしてこの頃より、羽鳥絵理沙は周囲から一線を引かれたような扱いを受けるようになったという。

「腫物みたいな扱いから、みんながやたらと私は普通の容姿だ、って扱いに変わっていったんです」

「例えば、明らかに私よりも可愛い女子が、男子に向かって絵理沙ちゃんは可愛いんだから、って言ったり。見た目の悪口ばっかりいう男子たちが、絶対に私のことは口にしなかったり」

 これに関しては当時の学友たちが取材を拒否している為、真実は定かではないが、察するに彼らは冷戦、もとい暗黙のいじめを敢行していたのではないだろうか。

 周囲から冷えた手で撫でまわされるような扱いを受け、羽鳥絵理沙は徐々に心を閉じていった。口数は減り、内向的になり、何をするにしても自分の容姿が気になり、他人に干渉するのが億劫になった。

 全てを打ち明けられるような友人もできず、クラスの中で孤立していき、11歳、小学5年の頃より、羽鳥絵理沙は保健室で授業を受けるようになった。授業といっても、その内容のほとんどが自主学習であり、カーテンで仕切った部屋の一画で黙々とプリントに向かう日々だったという。

「クラスメートだけじゃなくて、先生の視線にも耐えられませんでした」

 そんな学校生活は、中学生になっても続いた。極力、人の視線を避ける為、登校も早い時間に車で送迎してもらい、カーテンで仕切った保健室の一画に机を置き、ひたすらプリント学習で学業に努めた。イベントや体育の授業には出ず、時折心優しい教師が穏やかな言葉で嗜めても、羽鳥絵理沙は耳を塞いで人前に出ることを拒否した。

 だが、そんな慎ましくも真面目に学業に励んでいた羽鳥絵理沙を追い詰める出来事が起こる。13歳、中学1年の秋のことである。いつものように他者からの視線を遮断し、保健室でひとりで勉強していたところに、突如たくさんの人間が大挙して押し寄せた。

 入り口の扉を開け、仕切りのカーテンを取り去り、輝かしい笑顔で羽鳥絵理沙を取り囲んだのは、同じクラスの、といっても、ほとんど見たことのない顔ぶれの学友たちであった。学友たちは一切の曇りなき瞳で、口々に羽鳥絵理沙の名前を呼び、ハッピーバースデイの歌を高らかに歌いだした。

 純粋に、入学当初から不登校に近かった学友を激励しようとクラス一丸となって企画したのか、それとも羽鳥絵理沙がどういう人物なのかをよく知っている人間がクラスメートを丸め込み、盛大な嫌がらせを企んだのか、事の真相は定かではない。

 だが、そのどちらにせよ、羽鳥絵理沙は最も恐怖していた他者からの視線に取り囲まれてしまった。

「みんな笑っていました。みんな笑っていたんです」

 学校中に響き渡るほどの悲鳴を上げながら、羽鳥絵理沙は気を失った。



 それを機に、羽鳥絵理沙は完全な不登校児となった。両親から進められてカウンセリングを受けたり、心療内科に通院したりしたものの、深く深く傷ついた心は癒えることはなかった。

「家族だけが私の理解者でした。家族にだけは自分の姿を見せてもよかった。だけど、他の人には絶対に見られたくはなかったんです」

 次第に外出するのも億劫になり、家に閉じこもる日々が続いた。両親はそんな羽鳥絵理沙を優しく見守り、積極的に外に連れ出そうとはしなかった。それは姉や兄も同じであり、決して妹を疎ましく思い、蔑もうとはしなかった。傷付いた妹の傍らに寄り添い、理解ある者として接した。だからこそ、羽鳥絵理沙も彼らには気を許していたのだろう。

 美術商を営んでいた羽鳥家は一軒家と呼ぶには少々躊躇うほどの、大きな洋館に住んでいた。これは羽鳥夫妻の美的観点から選ばれたものだったが、同時に多くの美術品を取り扱い保存する美術商という職業柄、より多くの物品の収容スペースを確保する為のものでもあった。

 その一室で、羽鳥絵理沙はベッドにうずくまり、毛布をかぶって日々考えていた。何故、自分だけが醜く産まれついてしまったのか。何故、こんなに醜い自分は、この家族の一員として受け入れられているのか。

 服をすべて脱ぎ去ると、部屋の隅に置いていた姿見を見た。自分の身体が映り込んでいる。他人に顔を見せない為に、常に前に下ろしていた髪の毛は、ガサガサに荒れ果てていた。決して食べ過ぎているという訳でもないのに、身体はどこの部位にも不要な肉が付いていた。荒れていて、肉割れのようになった皮膚が肉の重みで垂れ下がっていた。

 どうして、どうして私だけが、こんなにも醜いの?どうしたらいいの?

 


 部屋に閉じこもり、涙する日々が続いていたある日、転機は訪れた。美術商である羽鳥洋一が、ある美術品を長期保存のために家へと持ち帰った。それは『開花』と銘打たれた彫刻作品であった。

 『開花』の実物は今も証拠品として佐保警察署に保管されており、当時の事件資料にも実物写真が残されていない為、それがどのような造形をしていたのかは分からない。

 羽鳥絵理沙が説明するには、『開花』は抱えて持てるほどの小さな石膏彫刻であり、赤黒く着色された、まるで生肉のような質感の繭から、湧くように純白の花が出でている造形なのだという。

「父が取り扱っている美術品を家に保管するのは珍しくありませんでした。『開花』は無名な彫刻家の作品らしくて、買い手が付かなかったから当分長居することになるだろうな、って父がぼやいていたのを覚えています」

「でも・・・、私にはそうは思えませんでした」

「見た瞬間に目が離せなくなって・・・、父に許可をもらって部屋に飾りました」

「まるで、夢にまで見た光景が目の前に現れたみたいで」

 羽鳥絵理沙は憑りつかれたかのように心酔し、来る日も来る日もショーケースに収納された『開花』を見つめた。作者が一体この作品にどういう意味を込めたのかは分からなかったが、羽鳥絵理沙は妄信していた。

 この『開花』こそが、自分の信じる道だと。



 部屋の中で『開花』を見つめ続けて3年。18歳になった羽鳥絵理沙は、父が管理していた金庫の中から数百万に及ぶ大金を盗み出し、姉、安奈が着ていた黒のロングコートを拝借して羽織ると、母のものである黒のツバ広帽子、マスク、サングラスを着用して、真夜中に家出を決行した。

 何年振りかの外出だったが、事前に準備だけは周到に行っていた。インターネットの匿名掲示板で何度か書き込みを繰り返し、真偽入り乱れる情報を調べ上げ、掻い潜り、とうとう行きついたのは、非合法整形を生業とする無免許医。いわゆる闇医者だった。

「合法的な手段は選べませんでした。家族は必ず反対するだろうと思ってましたから。だから、家族には頼らずに私は美しくなろうって決意したんです」

 夜行バスに乗り込み、タクシーを乗り継ぎ、家から数十km離れた都市部の歓楽街に辿り着くと待ち合わせしていた闇医者と合流し、整形内容と料金について綿密に打ち合わせした。闇医者は客の年齢と金額が相応ではなかった為、半信半疑のような態度だったが、現金をチラつかせるとすぐに手術場所へと案内した。

 手術場所はうらぶれた路地のビルの地下にある、ごく普通の整形外科だった。掲げられていた営業時間はとっくに過ぎていたが、闇医者は難なく扉を開け、中へと案内した。

 薄暗い手術室の手術台の上で麻酔をかけられる直前、羽鳥絵理沙は闇医者にひとつの願いを打ち明けた。その奇妙な提案に闇医者は首を傾げたが、報酬に差異はないと了承した。

 麻酔ガスを吸い込み、遠のく意識の中で、羽鳥絵理沙は神に祈っていた。もう二度と目を覚まさなかったらどうしよう。入念に闇医者の評判は調べたものの、騙されて臓器袋として売られてしまうかもしれない。そうなれば、長年待ち望んだあの『開花』のようになれない。嫌だ、お願い。私は『開花』のように、美しくなりたい。



 目を覚ますと、羽鳥絵理沙は見覚えのない薄暗い部屋でベッドに横たわっていた。闇医者と金は消えており、全身に包帯が巻かれていた。恐怖と痛みに震えながら枕元を見ると、書置きが置かれていた。

 三日間はベッドの上でじっとしていること。痛みは用意した薬を定期的に服用し、抑えること。自分で包帯を取り換えること。術後の傷に膿が溜まっている場合は、感染症の疑いがあるために

 書置きの最後には三日後にまた来訪すると記されていた。もちろん全身に及ぶ整形手術の術後ケアはこんなずさんなものではないが、そこは闇医者。羽鳥絵理沙自身も、非合法という手段を選んだ時点で、文句を言う気はなかった。身体中に激痛が走っていたが、命があるだけでもありがたかった。

 羽鳥絵理沙は闇医者の書置きの通り、ひたすら時間が過ぎるのを待った。部屋のドアは外から鍵をかけられており、開けようとしてもビクともしなかった。食料は用意されていたが、術後の吐き気と発熱から、まともに喉を通らなかった。用意されていた痛み止めの薬は一日で無くなり、残りの二日間は激痛を歯噛みして耐えながら過ごした。

 三日後、闇医者は約束通りに来訪した。包帯を取り去り、抜糸を行い、いくつかの薬を渡した後、闇医者は決してこの事を口外するなと言い捨てて消え去った。薄暗い部屋を出ると、風俗店らしき施設の廊下に繋がっていた。

 待ち構えていたように立ち尽くしていた別の男に案内され、裏口から外へ出ると、夜の賑わいを見せる歓楽街が存在していた。

 辿り着いた時と同じ服装で通りに立つと、店のガラスに反射する自分をまじまじと見つめた。そこには、あの焦がれるほど成りたがっていた、『開花』の純白の花が誇らしげに咲いていた。



 タクシーを使って長い長い帰路に着くと、羽鳥家では騒動が拡大し、警察沙汰にまでなっていた。18歳とはいえ、ずっと引き籠っていた娘が突如家から姿を消したという事実は家出では済まされず、羽鳥夫妻は捜索願を提出していた。

 羽鳥絵理沙が家のドアを叩くと、憔悴しきった顔の母親が出迎えた。どちら様ですかという問いに、お母さん、私だよ、絵理沙だよ、と答えると、羽鳥千絵は目を見開いた。姿は違えど、可愛い実の娘の声を発する女が、目の前に現れた。その事実は、娘が帰ってきたという事実に他ならなかった。

 同じように憔悴しきっていた家族に、驚かれながらも温かく迎えられ、羽鳥絵理沙は涙を流した。私もみんなみたいに綺麗になれたよ。そう言い放つと、衣服を全て脱ぎ去り、サングラスを外してその身を家族の前にさらけ出した。

 羽鳥絵理沙が期待していたのは、家族からの歓声だった。自分にだけ欠けていたものを、ようやくこの身に手に入れた。これで、自分もこの家族の一員となった。何の疑いもなく、私は『開花』したのだ。美しい一輪の花に。

 ところが、家族から浴びせられたのは、怒りと悲しみと嘆きの声だった。

 どうして、そんなことをしたの!痛かったろうに、辛かったろうに・・。

 容姿なんか気にしなくてよかった!整形なんかしなくたって、絵理沙は絵理沙。私たちの大切な家族に変わりはなかったのに!

 どうしてそんな危ないことをしたんだ!闇医者なんかに身体を任せるなんて!生きて帰ってこれたのはいいが、こんなにも傷だらけで・・・。ああ、全身に縫った跡が・・・。

 ああ、良かった・・無事に帰ってきて・・・。けど、何で整形なんかしたんだ!死ぬかもしれなかったんだぞ!ずっと心配してたんだからな!みんなだ!みんな心配してたんだぞ!

 ひとしきり期待外れの言葉を浴びせられた後、羽鳥絵理沙は家族全員からの抱擁を受けた。美しい愛に溢れた家族の輪の中で、羽鳥絵理沙は呆然と突っ立っていた。

 どうして?どうして、私のことを綺麗になったねって言ってくれないの?どうして?どうして、綺麗になったねって、見違えるように美しくなったねって、前の姿なんかよりずっと可愛いって、私たちみたいに美しくなったねって、これでようやく羽鳥家の一員ねって、誰からも馬鹿にされないねって、お母さんにそっくりねって、お父さんに似て美形だねって、お姉ちゃんみたいに可愛いねって、お兄ちゃんみたいに格好いいねって、家族みんな容姿端麗だねって、美しくなって『開花』したねって、言ってくれないの—————。



 羽鳥家が落ち着きを取り戻した後、羽鳥絵理沙は自室に戻ると、『開花』を見つめた。脱ぎ捨てられたような赤黒い生肉の残骸から、咲き誇る一輪の花。

「私は『開花』になりたかったんです。だからこそ危ない橋を渡ってまで、綺麗になった。それでも、家族には私が見えていないみたいだった」

 醜い自分の姿を見るのが嫌で、布を被せていた姿見の前に立つと、衣服を脱ぎ捨てた。布を取り去り、全身を眺める。身体中に付いていた不要な肉は削げ落ち、荒れた肌はたるみを取るために切り取られ、顔は別人のように細く、美しくなっていた。身体中に残る縫合の跡を除けば、完璧といっていいほどの美しさがそこにはあった。

「何が足りていないんだろうって、考えました。今にして思えば、本当に愚かしい考えだったと思います」

「私はより完璧な、『開花』になろうとしました」

 


 家族全員が寝静まったその日の夜。羽鳥絵理沙は洋館の大広間に保管されていた美術品から、手頃なものを見繕った。それは等身大に近いドレスを着た陶器人形だったが、目を付けたのは、その入れ物だった。

 一辺が約2mほどの立方体。大型のガラスショーケース。中の陶器人形を取り去ると、それを大広間の中央部へと押して移動させた。

 次にキッチンへ向かうと、包丁を携え、両親の寝室へと向かった。二人とも、無事に娘が帰ってきたと安堵していたのか、それは安らかな寝顔だったという。

 二人の喉を掻き切った後は、姉、羽鳥安奈の部屋に向かい、同じように喉を掻き切った。その後、兄、羽鳥翔の部屋へと向かい、同じ作業を終えると、それぞれの遺体を大広間へと引きずって運んだ。

「誰にも気付かれないように、喉を狙いました。みんな何も言えずに、ゆっくり死んでいきました。私にとっては、それで良かったんだと思います」

「大切な家族の悲鳴を聴きたくなかったから」

 一家4人の死体は衣服を脱がされ、ひとりひとりガラスのショーケースの中に運び込まれた。円を描くように横たわらせると、全員の腹部を十字に切り裂いた。血がショーケースの底に満ちていき、赤く染まっていった。

 次に、全員の腹部から臓物を取り出し、それぞれの死体の周囲にばら撒いた。赤黒い内臓が、まるで魔法陣のように模様を描いたように見えた。

 最後に、4人の死体が描く円の中心に、闇医者から受け取ったものを丁寧に並べた。それは、整形手術の際に出た自身の”要らないもの”だった。

 手術の直前、闇医者に打ち明けた願いとは、手術の際に出た血や脂肪、切除した皮膚を術後受け取りたい、という内容だった。闇医者は首を傾げながらも了承し、術後来訪した際にビニール袋に”要らないもの”を詰めて手渡した。

 ”要らないもの”は、既に腐りだしており、異臭を放っていたが、構わなかった。赤黒い魔法陣の中心に並べられたそれは、あの『開花』の生肉の繭に似ていた。

「『開花』は、要らないものから解き放たれた美しさに溢れていました。私を醜くしていたのは、かつて私に付着していた”要らないもの”。それと———」

「私のことを綺麗だね、って言わない家族だと思ったんです」

 かくして、作品を収容するための”血の箱”は完成した。

 


 全ての準備が整った後、羽鳥絵理沙は浴室にて全身に浴びた返り血を洗い流すと、丁寧に髪を洗い、姉が使っていたトリートメントとコンディショナーで整えた。

「お化粧はしませんでした。私自身が、美しくなったと考えていましたから」

 一糸纏わぬ姿のまま家族団欒の場に戻ると、ショーケースの扉を開いて中に入った。扉を閉じ、密閉されたショーケースの中央に立つと、両手を開いて天を仰いだ。

「あの瞬間、私は初めてこの世に生を受けたと思いました。私にとっては、美しさこそが全てだったんです」

 翌日の朝、捜索願の件について審議するべく羽鳥家を訪れた警官によって、惨劇は発見された。逮捕寸前まで、羽鳥絵理沙はショーケースの中で眼を閉じ、両手を開き、天を仰ぐような姿勢で立っていたという。



 羽鳥絵理沙は語る。

「私は今も後悔しています。家族の命を奪ったことに。私は美しさに憑りつかれていました。家族はみんな美しかった。私だけが醜かった。家族は私のことを、醜くても家族だと思ってくれていました。私の中身を見てくれていた。でも、私の中に詰まっていたものは、”要らないもの”でした。それが私から剥がれた時も、家族は私の中身を見てくれた」

「でも、あの時の私はそれが分からなかった。何にも分かっていなかったんです。だから、、何にも感じなかった」

「それでも、私は『開花』に成れたことに関しては後悔していません」

「『開花』に成れたからこそ、今の私は在るんです」



 羽鳥絵理沙は精神鑑定の後、心神喪失者として判断され、この施設に収容された。その後、長きに渡る入院治療の末に、取材のような会話が可能になる程度には回復している。前述の通り、自身が犯した罪に関しても、反省と後悔の念を述べている。

 それでも、やはり彼女に憑りついたルッキズムの呪いは治療不可能なようで、羽鳥絵理沙は肉眼で姿を見られるという恐怖から、例え施設の人間だろうと対面接触は禁じられているという。

 彼女の収容されている病室は一切こちら側から見ることは叶わない。(今回の取材は前回のアクリル板を隔てた取材とは違い、音声のみで行われた。備え付けられている音響設備を使い、病室側に通じているマイクに向かって、まるで誰もいない周波数帯に交信するかのように質問を投げかけるのである。幸いにも、羽鳥絵理沙は断片的ではあるものの、取材に応じてくれた)食事は郵便受けのような扉の開口部を使って手渡され、会話はマイクを通じて行い、病室内の清掃時は別室に退避して行われ、身体的接触を伴う治療の際は鎮静剤を投与して眠っている時に行われるという。

 現在の彼女の姿は分からない。唯一、施設の限られた人間だけが見れる病室の監視カメラのモニターにだけ、羽鳥絵理沙の姿が映っているのだろう。

 逮捕当時の写真では、どこか影のある美少女という印象だった。あれから14年。彼女は今、どのような姿になっているのだろうか。

 美醜に囚われ、殺人者となった羽鳥絵理沙。彼女は生まれながらの殺人者だったのだろうか?彼女を殺人者にしたのは、彼女を取り巻くルッキズムに囚われた人々だったのではないだろうか?

 しかし、惨劇の引き金を引き、その犠牲者となったのは、美醜の念に囚われず、ルッキズムなどには眼もくれない、心優しき聡明な理解ある家族だった。美醜に囚われなければ、羽鳥絵理沙にも違った生き方があっただろう。

 しかし、そうはならなかった。運命という便利な言葉で片付けるのは少々意向に沿わないが、やはり羽鳥絵理沙は、成るべくして成ったサイコパスなのだろう。

 取材の最後に、マイクに向かってこう問いかけた。

「あなたはその病室という箱の中で、今も『開花』のように美しくあろうとしているのですか?」

 だが、取材の時間切れを知らせるブザーが鳴るまで、羽鳥絵理沙から答えが返ってくることはなかった。

 

 

 

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