Agnus Dei 3

「結局、あんたもアヤノも、どう惹かれたのかはわからないのか」

 僕のひとり語りに、セリナは相槌を打った。彼女は話を聞くのが巧いと思う。

「もし、それがわかるのであれば苦労しないよ。条件付けでそこを殺しさえすればいいのだから」

「愛する人の身体になっといてよくそんなことが言えるな」

 呆れた緑色の瞳が僕を見つめた。

「愛じゃないよ。これは単なる執着」

 セリナは大きくため息をついて、何かをつぶやいたけれど、僕にはよく聞こえなかった。


 誰かが、「恋愛とは契約のもとに成り立つ営みである」なんて洒落たことを言っていたけれど、それが正しいとするならば、僕らは恋人同士ではなかった。けれど、僕はアヤノを他の誰よりも知っていて、他の誰よりも知られていることを自覚していたし、少なくとも僕から見れば、アヤノは僕を特別に思っていたことは間違いないのだと思う。けれど、お互いにそれを確認したことは一度もなかった。それは、確認する必要がなかっただけなのか、それとも、僕もアヤノも、確認してしまえば、元のふたりに戻ることが永遠にありえないと知っていたのか、今となっては確かめようもない。何より、Vと守衛のそういった関係は公には禁止されていた。はっきりと、決まりにはなっていなかったけれど、そういう不文律を皆が持てた時代だった。古い時代。けれど、良さは今に比べれば多くない、ただ古いだけのあの日々。幸せだったかと聞かれれば、人並みかそれ以上には、と答えるだろうし、実際僕はアヤノと過ごした日々が、人生の中で最も美しかったと確信を持って言えた。

 だからこそ、僕はこの身体で転生を試み、Vになった。


 それは、あの日。

 東京詰所トウキョウ・ステーションに、あいつが現れた日。

 分厚い隔壁を、世界最大の人口を誇っていた城塞を、幾重にも折り重なった人々の暮らしを、巨大なドラゴンはあっという間に破壊した。

 厄災の意味も込めて、それは「零式レイシキ」と呼ばれた。かの竜こそがドラゴンの元凶。これを倒すことこそが、Vの最後の仕事であり、人類の到達目標になった。

 幾多ものドラゴンを切り裂いてきたアヤノが、たった数分で他の犠牲者と同じになってしまった日は、僕の知らないところで、世界じゅうで有名な日になった。

 そしてそれは、僕——サエグサ・ハルカがもう一度誕生した日でもあった。

「ごめん……なさい……」

 僕の腕の中で、彼女は誰かに何度も謝っていた。彼女が倒せなかった唯一の竜は、今や詰所ステーションのあらゆる部分を破壊し始めている。

「ハルカ」

 僕は確かに、アヤノがそう呼ぶのを聞いた。

「倒せなかった……」

 あの日、僕はどうすればいいのか、わからなかった。

 そして、どうすればいいのかわからないまま、ここまで生きてきたのだった。

 今にも崩れ落ちそうなぼろぼろの躯を抱えながら、僕は東京詰所トウキョウ・ステーションの奥深く、今の中央東京詰所セントラル・トウキョウ・ステーションの最終戦略層まで駆け込んだ。いくつもの指紋認証を抜けて、同じ守衛の先輩——レイ・ホウリュウに助けを求めたのだ。

「ハルカ! それは……コウサキ・アヤノなのか?」

 アヤノの躯は、僕以外の人間にとっては、もはやそれと認識しがたいものだったということに、僕はその時気がついた。

 そして僕は首を縦に振った。

「お前……まさか」

 僕は首を、縦に振った。

 気が付けば、僕はアヤノの身体を手に入れ、代わりに僕だった身体を手放していた。アヤノの空虚な肉体を僕の脳髄が満たし、彼女は猛烈に拒絶しながらも、結局は僕とつながってしまった。

 だから僕は、サエグサ・ハルカであり、コウサキ・アヤノでもある。

 レイ・ホウリュウ。彼とは北京ベイジンからの留学生だった時に知り合った。猛烈な勢いで増えていくドラゴンの生態を研究する傍らで、守衛としての責務も果たしていた。僕は、彼がコギソ・フミコというVと恋仲になっていることを知っていたし、彼も、僕とアヤノの関係を知っていた。だからこそ、彼は僕の願望を、僕よりも知っていた。

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