Kyrie 10

「はっ!」

 エレナの気合いとともに巨大な鎚矛メイスが振り下ろされ、分厚いコンクリートの瓦礫は粉砕された。

 その裏に隠れていたフミコは瞬時に瓦礫の破片を蹴り上げ、エレナの真横に回り込む。

 鎚矛メイスを持つ左手の反対側から、その隙を狙って飛び込み、横一文字に薙刀を振るう。

 だが、フミコの薙刀が届く前に、エレナに不敵な笑みが覗く。

「ウラァ!」

 エレナは空中で全身を翻し、振り下ろした鎚矛メイスの勢いをそのままに、下からフミコを捉えた。

 だが。

「っ?」

 フミコの対竜装フォースを確実に砕くと思われたその一撃は空を切った。

 エレナの笑みに反応したフミコも、同じく咄嗟に身を翻し間一髪で鎚矛メイスをかわしたのだ。

 驚いたエレナは、首元に覚えのある冷たさを感じて愕然とした。

「勝負、ついたわね」

 彼女の喉元に薙刀を突きつけながら、フミコは努めて柔らかい声でそう言った。


 一時間ほど前に話を戻そう。


 コギソ・フミコ曹長は詰所ステーションの最下層、最終戦略層にある自室で、何を想うでもなく、ただ寛いでいた。

 人間の暮らしの舞台が地下へと移されてから、すでに半世紀を過ぎているが、それでも昼夜の区別は存在していて、詰所ステーション内の照明は時間ごとに光量を調整されていた。

 フミコは左腕にしたチタン製の腕時計を盗み見た。あと一時間で日付が替わる。エレナ率いる第三部隊が出撃するまで、おおよそあと九時間といったところだろうか。恋人と言うべきなのか、愛人と言うべきなのか、彼の部屋に立ち寄るにはまだ早いのは確かだが、かといってこの時間から商業層までわざわざ出向くのも馬鹿馬鹿しい。寝るには少し早すぎる。困ったものだ。時間の使い方がよくわからないのだ。

 何に苛ついてるのかしら。

 ふふ、とそんな自分を可笑しく感じながら、彼女は黒のタイトスカートの隠しポケットから、赤い小さな箱を取り出した。

 中から紙巻き煙草を取り出して、ガスライターで火をつける。フミコが生まれるよりずっと昔、まだ人間が地上で生活できていた頃は、このような原始的な嗜好品は禁止されていたらしい。それが、品質の割に異常に高価なところに繋がっているのだ。

 男好きのする真紅の口紅が官能的に尖り、その先から真っ白に濁った煙が勢いよく飛び出した。鱗で黒く染まった手に、紙巻き煙草は悠然と収まっている。

 欲求不満、なのかもしれない。

 最後に抱かれたのはいつだっただろうか、と想いを巡らせようとしたその時、部屋の扉がノックされた。

「エレナ?」

 見た目とその称号に反して、常に弱いノックで、エレナはフミコの部屋を訪れる。

「フミコ、いいかしら?」

「どうぞ」

「……ありがとう」

 黒い塗料で艶が消された鋼鉄の扉が重々しく開くと、エレナ・ペトローヴナ曹長が俯きがちに入ってきた。

 フミコは紙巻き煙草を吸い殻入れに投げ込んだ。

じゅっ、という音がして煙草の火は消える。

「眠れないのかしら?」

「いえ、そうではなくて。お願いがあるの」

 どこかで、そんな予感はしていたので、フミコは大して驚かなかった。

「訓練、かしら」

「ええ、出撃前に、お願いできないかしら」

 お願いできないかしら、だって。

 ハルカやセリナが聞いたらびっくりするだろうな、と柄にもないことを思いながら、フミコは腰に手を当てて、深く溜息をついた。

「ちょっとだけよ」

「ありがとう、あなたしか頼めなくて……」

「——そうでしょうね」

 フミコはエレナを外へと促す。

「許可、とってくるから」

 フミコは司令室へ向かうためエレナに背を向けた。

「いえ、屋内でも……」

「私が外でしたい気分なの」

 手加減してあげられるほど、子どもではいられないから、覚悟してね。

 と、彼女は言おうとして、やめた。エレナが見た目よりはるかに繊細であることを誰よりもよく知っているからである。

 部隊長と守衛長の許可があれば、旧・東京詰所トウキョウ・ステーションの跡地の一部に入ることができる。屋外訓練場として、最適の場所だからだ。

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