Kyrie 3

「人間に成り代わり、地球上に台頭したのが、ドラゴンです。かつて存在が予言されていた空想上の生物の名からそう呼ばれています。過大な放射線下環境で急速に適応した、この爬虫類の亜種は、鱗を発達させ、空を飛ぶ為の翼と肉を引き裂くための鉤爪を得ると、あっという間に地上の生物という生物を殺戮し始めました」

「よろしい、サエグサ、座っていいぞ」


 ふたりはほぼ同時に、己の得物を手にし、背中から翼を生やして広げた。

「ついてこられる人だけ、ついてきてください。無理そうだったら、待機してください」

 ハルカは仰天している新兵たちを見ると、寂しそうに微笑んでそう言った。

 彼女たちが翼をはためかせたとき、翼を生やして後について行こうとしている新兵は、わずか数名。

「結構多いな」

 すっかり硬化したまぶたをぱちくりさせながら、セリナはハルカに、彼女だけが聞き取れる高音でそう囁いた。地面を蹴り上げて、猛烈な速度で空へと飛び出す。

「無理してないと、いいけど」

 自らの身の丈と同じくらいの長さの剣を両手でしっかりと持ったハルカは、きっ、と前を睨む。

 一匹の巨大なドラゴン——といっても竜段レベル2程度だが——の周囲には、数匹の小さなドラゴン——間違いなく竜段レベル1だろう——が護衛をするかのように飛び回っていた。

ハーレム型。きわめて一般的な隊形だった。

 ハズレか。ハルカは舌打ちをしようとしてこらえた。

 セリナはさっそく己の得物——極めて標準的な大きさのなただが——を両手に握りしめてドラゴンの群れに突入する。たちまち向かってきた竜段レベル1の首が吹き飛んで、落ちていった。

 前衛に切り込み、雑魚散らしを行うのは彼女の役目だ。セリナの飛行技術は、敵ですらなかなか捉えられないほどに習熟している。

 ハルカはセリナに目を向けたまま、少しずつ速度を緩めた。程なくして新兵のうちのひとりが彼女に追いつく。セリナは竜段レベル2の爪をすり抜けて、竜段レベル1の群れを確実に葬っていった。鉈の色が黒く変色している。ハルカは目を細めた。

「ハルカさま、行かないのですか?」

 飛んできた新兵に声をかけられた。彼女の全身はすでに薄い鱗に覆われている。むくむくとした逞しい体つきに華奢な三つ編みが似合っていない。彼女の持つまさかりは、未だに美しい輝きを放っている。

 彼女の名前は、確か……ミツキ。

 不意に思い出した。新兵ではあるが、対竜装フォースの実装訓練で最も優秀な成績を残した者として表彰されていた記憶がある。ここまで真っ先に飛んできた辺り、自分に相当の自信があるのだろう。

「今行っては逆に足手まといだから」

 ハルカは諭すように、そう言った。

「でも、これではセリナさまが……」

 ミツキの目にはセリナがドラゴンの群れに翻弄されながら戦っているように見えるのだろう。実際はその逆であるのだが、戦闘経験がなければセリナの戦い方は非常に危なっかしく見えてしまうのも無理はなかった。

「セリナさま、助太刀します!」

 彼女の凛とした、よく通る声が天空に響いた。居てもたってもいられないと言った様子で、セリナに向けて直進する。

「ミツキ! 待って!」

「すみませんハルカさま!」

 止めようとするハルカをかわし、ミツキは全速力でセリナへと向かう。

 何か胸騒ぎを感じて彼女の上を見ると、竜段レベル1が一匹、ミツキを見つけて急降下しているが、ミツキは視界の死角に入っているのか気がついていない。

「あぶない!」

 ハルカは飛び出した。

 その声でようやく影に気づいて、ミツキは上を見た。獰猛な鉤爪が、彼女に向けて振り下ろされる。

 ぎいん。

 甲高い金属音が聞こえた。

 ばりっ。

 何かが破れる音が直後に響く。

 ミツキは目を見張った。

 ドラゴンの鉤爪は、ハルカの左腕だけで受け止められていた。

 ハルカは即座に右腕を振るう。深々と刺さった長剣が、鱗に覆われたドラゴンの腹を、まるで柔らかいもののように両断する。真っ黒な体液が、二人にべったりとかかり、ミツキの翼はぬめぬめと濡れて動かなくなってしまった。絶望的な重力が彼女に襲いかかる。

 じゅっ。

 何かが焼ける音がして、彼女は茶色い腕に抱き留められた。茶色の鱗がびっしりと並んでいる中で、小さくひし形に穴があいており、そこから濃い紅色の血が滲んでいた。

「すみません……」

 ミツキは、急に恥ずかしくなって彼女に詫びた。

「言ったでしょう、無理しないでって」

 どこか悲痛な声でハルカは言った。

 少し遅れてやってきた新兵たちにミツキを任せると、彼女はセリナへ視線を向けた。

 彼女は大きなドラゴンの周りをくるくると回っている。

「頼むから、見てて。もし奴らが来たら、逃げて」

 ハルカは残っている新兵たちにそう言った。彼女たちはごくりとつばを飲み込むと、ゆっくりとうなずいた。


「遅い!」

 ハルカが近づくとセリナは口をとがらせてそう言った。

「ごめん」

「まさか、ミツキ?」

「なんだ、知ってるの?」

「まあね。なんか危なっかしいから」

 セリナは顔をしかめて、両手に持っていた鉈を勢いよく放り投げた。鉈は竜段レベル2の身体に当たったものの、巨大な鱗に弾き飛ばされてどこかへ飛んでいってしまった。

「ちっくしょー」

 セリナは深い緑色に変色した掌を握りしめた。

 彼女の身体から神々しい光が漏れ始めるのを見たハルカが急に顔色を変えた。

「こら!」

 彼女はとっさにセリナを羽交い締めにする。

「んだよ! あいつに一発食らわせてやりたいんだって! 黙ってやらせろよ!」

「だめ!」

 ハルカはそう言うとセリナを蹴飛ばして、長剣を天に掲げて祈るように目を閉じた。

 茶色い鱗から紫色の高貴な光が漏れ出した。

「まったく本当に……」

 セリナの呆れた声をよそに、ハルカの身体はばりばりと肥大し、着ていた対竜装フォースを吹き飛ばした。

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