迷い混んだ世界のコロナパンデミック

7ふぐ神

第1話

 目覚めるとカーテンの隙間から差し込む光が眩しい。

 最近は夢見が悪く目覚めが悪い。それに何故かいつも見る夢は同じで、大学の昼休みに友達と食堂へ行く途中にめまいがして階段から転げ落ちるのだ。


「うぅ‥‥‥‥頭痛い‥‥‥‥怠い」


 唸りながら重いからだをベッドから引き剥がすように起きあがる。顔を洗って服を着替えると冷蔵庫から野菜ジュースを取り出した。


「あれ‥‥‥‥切らしてたか?」


 いつもは冷蔵庫に常備しているはずの野菜ジュースがない。仕方なく代わりに牛乳を取り出した。

 菓子パンを牛乳で胃に流し込み、時計をみると九時を過ぎている。


「うわ、もうこんな時間!」


 俺は大学へ行くために慌てて家を出た。




 大学の百人くらい入る教室は必須科目の英語の講義が終わって生徒たちでガヤガヤと騒がしい。教室にいるのは殆どが一年生で、二年生がちらほらと混ざっている程度だ。


 コホッ、コホッという咳が喧騒のなかに消えていく。

 俺と同じ一年生で友達の中嶋が心配そうな顔をしていた。


「大丈夫か?」

「うん‥‥‥‥だいじょうぶ」


 一週間ほど前から咳がでて体が怠い。

 微熱があるし、風邪でも引いたんだろうか?


 次の講義のために足早に移動する生徒たちが多い中、俺は体が怠くてノロノロと移動のための準備をした。


「次の授業、松波のだろ‥‥‥‥怠いよな」

「‥‥‥‥そうだな」

「なあ、今からハンバーガーでも食いに行かない?」


 ハンバーガーかぁ、松波教授の授業は出なくても何とかなるかな?

 出席日数も足りてるし、今日は小テストもないはずだ。


 了承の返事をして二人で授業をサボってハンバーガーを食べに行った。



 平日の昼間の時間帯は空いていて空席が目立つ。ハンバーガーとポテト、飲み物を買って席につき、他愛ない話をして時間をつぶしていると常と違う友人の行動が目についた。


「コーヒー、ブラックで飲めるようになったんだ」

「ん? 俺いつもブラックだろ」


 なに言ってんだという顔の中嶋に内心でツッコミをいれる。

 いや、お前いっつも砂糖三個はいれるじゃん‥‥‥‥すっげ~甘党だし。

 そんな俺には気づかず中嶋は涼しい顔で話しかけてくる。


「今日もバイト?」

「うん、中嶋もだろ?」

「うん‥‥‥‥最近バイト多くない?」


 俺が昨日も一昨日もバイトだと言っていたのを思い出したようだ。


「‥‥‥‥先月使いすぎたからな」

「また課金したのかよ!」


 呆れたように言われ、ばつが悪くなり曖昧に答える。


「‥‥‥‥まあな」

「ほどほどにしとけよ」

「‥‥‥‥うん」


 俺はゲームにはまっていて、よく課金してガチャをまわしている。欲しいアイテムが出るまで何度でも課金してしまい、先月は使いすぎてモヤシ生活を送っていた。


 モヤシ生活とは、一人暮らしをしている俺が仕送りとバイトで稼いだ金まで課金にまわしてしまい、三食モヤシを食べてしのぐことから命名した。


 朝食はモヤシのみ、昼飯は家から弁当箱にモヤシを入れて持っていく。


 弁当箱を開けると一面モヤシだ。中嶋がそれを初めて見たときは驚きで固まっていた。

 中嶋も今じゃモヤシ弁当見ても、またか~って呆れてるだけだけど。


 晩飯もモヤシを食う。

 三食すべてモヤシを食う‥‥‥‥だからモヤシ生活だ。



 ぼ~としていたら中嶋が最後のポテトを口に入れていた。


「バイトの時間だから‥‥‥‥俺、そろそろ行くわ」

「ああ、またな」


 中嶋と別れて暫くしてから俺も店を出て、バイトに行くため駅に向かった。バイト先は家の近くのコンビニのため大学からだと電車で三十分ほどかかる。


 一人暮らしをするときに、大学からもっと近い場所にしたらどうか、と親からは言われたが迷わず今の場所を選んだ。大学の周りは近くにスーパーがひとつあるだけだ。

 一年生と二年生のうちは大学の近くに住んで、三年生くらいから街中で部屋を借りる生徒が多いという話だったが、俺は大学に入ったら直ぐにバイトもするつもりだったから街中で駅の近くのアパートを借りた。

 だからバイト先は、大学からは時間がかかるが自宅からは近い。



 電車の中では数人が咳をしているが誰も気にしている様子はない。

 新型コロナウイルスが出始めた頃は、電車の中はマスクをした人だらけで、咳をしようものなら視線が突き刺さった。何度も咳をすると周りの視線に耐えらずにスゴスゴと電車を降りる人までいたほどだ。それが今ではマスクこそしている人が大勢いるが、咳をしても嫌そうな顔をするものがいるくらいだ。

 同じことの繰り返しで本当に慣れとは怖いものだなと思った。


 降車する駅に着くまで、いつものようにスマホでゲームをしようとして微かな違和感に気づいた。


 おかしいな、こんなアイテム持ってたっけ? 


 しかしこの時は、忘れてるだけかと思って深く考えなかった。





 電車を降りて駅前にあるバイト先のコンビニに入る。

 コンビニのバイトはレジの他に宅配便や切手やタバコなどの販売、料金代行収納などに商品の品出し・陳列、清掃などやることが多い。


 レジに並んだ客をさばいていく。客足が途絶えたところでコホッ、コホッと咳がでた。


「佐々木さん、風邪ですか?」

「うん‥‥‥‥」

「まさかコロナウイルスじゃないですよね?」


 バイト仲間をみると真剣な顔をしている。


「風邪だよ‥‥‥‥最近はコロナってきかないけど、少なくなってるんじゃないの?」

「まあ‥‥‥‥そうだよね‥‥‥‥最近聞かないよね」


 電車が到着して、駅から出てきた客が店内に入ってきたので話を止めた。結局バイト終了の時間までその話題がでることはなかった。




 翌日も怠い身体で大学へ行くため電車に乗る。

 何故か今日は咳をしている人が目についた。夏風邪が流行っているのかと単純にそう思った。咳をしている人が気になるのは自分も咳をしているから余計気になるのだろうと思い、いつものようにスマホを鞄から取りだした。すぐにスマホのゲームに夢中になって、周りから聞こえてくる咳も自分の咳も気にならなくなっていった。





 大学では掲示板の前に生徒が大勢いて騒がしい。何かあるのかと掲示板へと向かうと、集団の中に中嶋の姿を見つけた。


「中嶋」

「佐々木‥‥‥‥掲示板みたか?」

「いや、見てない‥‥‥‥掲示板、何だった?」


 混んでいる掲示板を視界の端におさめて中嶋に訊いた。


「大学でコロナにかかった生徒がでたらしい」

「ほんとかよ!」

「ああ」

「学校休みになるのか?」

「いや、ならないって‥‥‥‥アルコール消毒だけは置いとくからって書いてた」

「‥‥‥‥まあ、薬もあるしな」


 冬から始まった新型コロナウイルスは最初の頃はワクチンも薬もなくて感染拡大に世界中が神経質になっていたが夏になった今では治療薬ができて落ち着いてきていた。


 大学で発生したコロナウイルスも心配していた感染拡大はなく、いつもの日常が戻ってきた。その頃には俺の咳もでなくなっていて、やっぱり風邪だったんだとほっとしていた。


 そして俺のなかで周りへの違和感が大きくなっていったのもこの頃だった。


 コーヒーに砂糖を三個は入れていた中嶋がブラックで飲んでいたこと、ゲームに見知らぬアイテムがあったり、あるはずのアイテムがなかったこと、シフトが一緒になったことはなかったが佐藤というバイト仲間の存在を俺だけが覚えていなかったことなど。


 違和感はひとつひとつは小さなものだったが、幾つも積み重なると無視できないものになっていた。


 そして違和感は母親からの電話でおかしいと確信させるものになった。

 俺のいる地域でコロナウイルスが流行しているのを心配して、夏休みの間だけでも田舎で過ごしたらどうかという電話だった。


「悠太が帰ってきたら涼太も喜ぶわ」

「‥‥‥‥涼太って、誰?」

「なに言ってるの、弟じゃないの」

「(弟?)‥‥‥‥冗談だよ」

「そんな冗談、笑えないわよ」

「ごめん」

「いいわ、待ってるから夏休みになったら直ぐ帰ってらっしゃい」

「うん、そうするよ」


 電話を切って会話に出てきた俺の弟について考えた。

 俺には弟はいない‥‥‥‥いや、俺が十歳の時に弟は交通事故で死んだ。その弟が生きている!?


 俺がおかしくなったのか‥‥‥‥周りがおかしいのか。


 確かめるためにも夏休みに入ると直ぐに俺は実家へと帰ろうと考えたが、結局帰省することはできなかった。



 電話で話した数日後から咳がでだして、微熱が続き身体が怠い風邪のような症状が二週間ほど続いた。

 その間も風邪だろうと思って大学を休むことはなく、病院にも行かなかった。



 ……一時はおさまってきたと思われていたコロナウイルスの感染者は日を追う毎に増えていった。

 大学でも電車でも咳をしてる人が多くなり、バイト先でも店長やバイト仲間がコロナウイルスにかかっていき、俺の周りではコロナウイルスの患者が増えていった。

 そして再び流行りだした新型コロナウイルスには治療薬が効かず、幼児やお年寄り、持病のある人達に多くの死者がでた。


 日本で外出禁止令が発動されて、食料品の買い出しや通勤以外は禁止され、同居の家族以外と会えなくなった。


 呼吸が困難になるくらい咳が酷くなり、意識が朦朧としている俺の部屋に防護服を着た集団が入ってきたところで意識がなくなった。



◇ ◆ ◇



 病院のベッドに寝ている青年に一組の夫婦が寂しそうに話しかけている。その姿を見ていると、青年の母親が『下の息子を交通事故で亡くして、私達にはこの子だけなの』と話していた時の寂しそうな顔を思い出す。

 青年は一年前に大学の階段で転げ落ち、意識をなくしてから一度も目を醒ましていない。検査では植物状態ではなく、脳は正常に機能しており、特に日中は普通に生活している者と同様に脳が活動しているという検査結果がでている。身体はベッドの上にあるというのに、彼の精神は何処に行ってるのだろうか。

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