第二話 アステリオスⅠ(17)

 史人が目を覚まして最初に感じたのは、朝日の眩しさだった。

「ん……」

 視界がぼやけていることに気づき、史人は手探りで眼鏡を探した。

「はい。お父さん」

 焦点の合う位置まで近づけられた自分の眼鏡を受け取り、顔にかけると、クリアになった視界に春花が映った。

「ありがとう、春花」

 渡し終えた春花は、すぐに椅子に座り直し、視線を横へ向けた。

 史人が眠っていたのは、リビングの絨毯が引かれた居間で、すぐ横にはソファーが並んでいる。

 史人が地べたで寝ていたのは、ソファーから落ちたわけではない。

 重たい頭を持ち上げ、上半身を起こすと、ソファーで仰向けになっている和弘を見た。

「ずっと看ていたのかい」

「うん」

 ソファーの端の先に春花は椅子を置き、ずっと和弘の経過を看ていたのだ。

 自分自身で治療したこともあり、春花にとっては気が気でなかったのだろう。

 史人も起きていようと思っていたが、献血用に血をぎりぎりまで抜かれ、しかも家に戻るまでの過程で心身ともに過労がピークに達し、春花が創傷の治療を終えたのを見届けると同時に倒れるようにして眠ってしまった。

「感染症が怖いから、まだ安心できないの」

「そうか」

 知識のない史人からすれば、傷さえ塞げばいいものかと思っていたのだが、治療を手伝っている間、春花から色んなことを教えてもらった。

 春花は教材による知識だけでなく、実践でも何度も練習をしてきた。

 そう言った知識を、春花は動画配信サイトで学んでいた。

 家内や外出先などでの応急処置や治療法、身近なものを使って命を助ける方法など、サバイバルのような知識も含まれていた。

 だが、救急救命士にもなると、そういった臨機応変が求められるらしく、そう言えばドラマでも、ボールペンを喉に刺して呼吸を確保している場面もあったなと史人は思い出していた。

「ありがとう、春花」

「え?」

「春花のおかげで、彼は助かった」

「そんなこと」

 ない――と言おうとした春花を、史人は伸ばした手で頭を大げさに撫でることで言わせないようにした。

「いや、立派だ。命を救った。それは誇っていいことだ」

「……うん」

 恥ずかしそうに、だけど少しだけ誇らしそうに笑む春花が小さく頷く。

「じゃあ、お父さんは朝ご飯の準備をしよう」

「私、ちょっとだけ寝るね」

「ああ、ぐっすり休んで」

 リビングには、一段高くなったところに八畳間の和室があり、スライド式の襖で仕切ることもできるようになっている。

 春花はそこで横になると、すぐに眠りについた。

「本当に、ありがとう。春花」

 その寝顔に、そして和弘が生きていることに、史人は少しだけ心が軽くなったのを感じたのだった。


 治療は無事に終えたが、それから二日間、和弘は熱にうなされていた。

 その間、春花はつきっきりで看病をしてくれた。

 その献身的な姿に、史人は和弘のことを春花に託し、研究所に向かった。

 史人には、心に決めたことがあった。

 それはつまり、『アステリオス計画』を暴露すること。

 Lシステムの開発責任者だった史人には、この計画がSIAによる委託であるが、その内容までは知らせておらず、アステリオス計画のことも知らされていないことが分かっている。

 何せ、史人自身、アステリオス計画の概要は知っていても、その非人道的で倫理に反した内容までは把握していなかったのだから。

 そこで問題なのは、このアステリオス計画のことを、SIAの上層部が知っているかどうかと言うこと。

 史人がやろうとしていることは、内部告発だ。

 だが、IATは所長の田崎が関わっているため、所内の監査官は信用できない。

 すると残る選択肢は、SIAに情報を渡すこと。

 自室のパソコンで調べようとしたが、個人に宛がわれたパソコンでは痕跡が残るため、史人はIATのサーバ室に向かい、そこで直接SIAに関する情報を調べた。

 SIAには内部監査室が設置されており、史人はそこに目をつけた。

 普通なら、連絡する手段など皆目ないが、史人はここで自らに課していた禁を破った。

 IATは、防衛省の下部組織であり、その防衛省はSIAと繋がっている。

 つまり、ネット上では、防衛省を経由して、IATからSIAにアクセスすることができるのだ。

 だが、それらの間には、侵入検知システム――IDSが行く手を塞いでいる。

 これがある限り、外部からのアクセスは不可能であり、どこからアクセスを試みたのかもバレてしまう。

 不正アクセスへの対策だが、史人が開発しているLシステムはまさにそのIDSを発展させたものであり、そのシステムの構造も熟知していた。

 だから、まずはIATと防衛省に繋がりのある所員のパソコンをハックし、そこから防衛省の関係者にメールを送る。

 受け取った相手がそのメールを開けたと同時にウイルスに感染させ、防衛省関係者のパソコンを密かに乗っ取る。

 そのパソコンから、今度はSIAとの繋がりがある人物を探し、その人物のパソコンからSIAにアクセス、そしてSIAのネットワークに侵入するのだ。

 あとは、内部監査室のパソコンにメールを送り、Lシステムに関することで告発したいことがあると伝え、接触を図る。

 史人は、国内でも有数のハッカーであり、若い頃には何かと正義感を振りかざし、陰謀や悪事を暴いてやろうと企業や政府関連施設へのハッキングを行っていた。

 そのため、今まさにSIAの元となっている防衛省、警察庁、公安調査庁などに目を付けられていたのだった。

 それでも秋乃と出会い、春花が産まれてからは足を洗い、まっとうな人生を歩もうと改心した。

 Lシステムを開発しているのも、自分の能力を最大限に生かし、かつこの国のため、そして春花のためにできることがこれだと思ったからだ。

 それが蓋を開けてみれば、自分の知らないところで非道なことが行われていた。

 和弘と交わした言葉はほんの数回。

 それでも、彼が死んで当然の存在として扱われていることに、史人は昔の気概が甦り、怒りに震えたのだ。

 IATも防衛省も、内部からのハッキングはあまりにも容易で、自分でやっていながら、その防衛能力に不安を感じた。

 SIAは非公開始祖機とだけあって強固だったが、やはり内側からの弱かった。

 こういった面も史人は知っていたため、Lシステムが導入されれば、外部はもちろん、内部からの不正アクセスに対しても絶対の防壁を誇れるだろう。

 そして、眠れる怪物とアステリオスが、その対応策として機能することになる。

「ふぅ……」

 すべての作業を終えた史人は、サーバ室を後にし、その後は通常の業務に戻るふりをしながら、いつものように振る舞い、家へ戻るのだった。

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