第二話 アステリオスⅠ(4)

 この訓練では、自分たちがどういった理由で集められ、なんのために血反吐を吐くような思いで己を鍛えているのか、それを知るための座学も受けていた。

「我々は、公には存在しない組織となっている。お前たちがここで受けている訓練を知る存在は、極一部の人間に限られている。さらには訓練内容ともなれば、ほんのひと握りだけだ。それは、お前たちの存在を徹底的に秘匿するためであり、この訓練の最終試験を終えた際、お前たちの活動の優位性を最大限にするためでもある」

 まるで教室――というよりは会議室のような部屋。

 長机に折りたたみのパイプ椅子が二脚並び、そこに相部屋のパートナーが並んで座るようになっていた。

 和弘の隣には亮介が座っており、とても退屈そうだった。

 前の席には、紅一点となる女性ペアが座っていた。

 名前は確か、雨宮藤子あめみやとうこと、もうひとりは――

「我々が属する組織は、便宜上『Security Information Agency』――通称SIAシアと呼ばれている。我々は、国家に対し不利益をもたらす内外の敵の排除を目的としている。そして、その敵を排除するのが、お前たちだ」

 ざわ、と雰囲気が変わる。

「SIAは、六年前のビル爆破テロをきっかけに構想された組織で、その構成員は警察庁、公安調査庁、そして当時の防衛庁の三庁によって成り立っている。先のビル爆破テロでは、お互いがお互いの足を引っ張り合い、情報を隠し、相手を出し抜こうと無謀な突入計画などを推し進めた結果、人質ごとビルが爆破された。それを重く受け止めた政府によって、国を脅かすレベルのテロが起きた際、あらゆる手続きなしで即応できる情報組織の創設が計画された。それがSIAだ」

 隣に座る亮介が、教官にバレない程度にこっちに視線を向けてきた。

「だから、非公開組織なわけだ」

「どういうことだ?」

 特に考えることなく話を聞いていた和弘は、正面を向いたまま口を小さく開いた。

「存在しない存在だから、警告なしで発砲できる。殺しが許容されているわけだ。国を守るっていう大義名分いいわけを隠れ蓑に、その気になれば、誘拐や拷問、それに――」

「加納」

 教官に目をつけられた亮介の名が呼ばれる。

 和弘を含めた、亮介以外の十一人の視線が集まる。

「はい」

「何か質問でもあるのか?」

 それは暗に、黙って講義を受けろという意味だったが、亮介は転んでもただで起きる男じゃないことを、和弘だけは知っていた。

「あります」

「ほう」

 教官は怒るわけでもなく、むしろ興味を示すように目を細めた。

「言ってみろ」

「内外の敵と言いましたが、国内の敵っていうにはつまり、裏切り者ということになるのでしょうか?」

 その発現内容に、誰もが動揺し、教官さえも目をかすかだが見開いていた。

「そうだ。残念ながら、日本国内の自国民においても、国益、国民に不利益をもたらす輩は存在する。そういった輩は、法の網目をかいくぐり、私欲のために何でもする。そういった輩の悪事の証拠を集め、法を執行させるには時間がかかる。そういった輩を速やかに排除するのもまた、我々の仕事となる」

 亮介の質問に対する回答だったが、気がつけば、教官は全員を見渡しながら言っていた。

「SIAには特殊作戦部隊が存在している。SOFソフと呼ばれるその部隊は、警察や自衛隊から集められた精鋭中の精鋭だ。戦闘技術ならば、お前たちは足下にも及ばないだろう。だが、お前たちが属するのはSOFではない。お前たちがここで学んでいるのは、のちに特殊部隊に所属するためではない。お前たちは、それぞれが独立して普段は世間で生活し、必要な状況に応じて対応する。お前たちの役割はひとつ――暗殺者となることだ」

 まるで映画の世界のようだと、和弘は思った。

「これから先の訓練は、さらに過酷さを増すだろう。だが、それを乗り越えた先には、お前たちがここに来る以前よりはマシな人生を送れるはずだ。誰からも必要とされず、刑務所で一生を暮らしたり、殺されるまで逃亡生活を送り続け、いずれは殺される運命にあったお前たちが、ここでの訓練を修了すれば、国の役に立つことができる。お前たちの存在意義を、お前たち自身で掴み取ることができる」

 教官が熱を込めたように語り、筋肉質の右腕を上げ、拳を握りしめて見せる。

「以上だ」

 そして、その日の座学は終わった。


            ※


「あの教官は口がうまい」

 相部屋に戻るなり、亮介がどこか小馬鹿にするように言う。

「どういうことだ?」

「そう訊いてくる時点で、お前もまた、順調のこの計画通りになっているわけだ」

 そう言われると、少しだけムッとしてしまう。

 それが表情に出ていたのか、亮介が口角を釣り上げて見せた。

「まだ染まり切ってはいないようだがな」

「そう言うお前は?」

「俺か? 俺は利用できるだけ利用するだけさ。ここですべてを学び、吸収させてもらう」

「その先は?」

「さぁな」

 肩をすくめる亮介に、和弘はふと思ったことを口にした。

「亮介――お前は、ここに来た動機を憶えているか?」

「動機、か」

 亮介がほくそ笑む。

「理由じゃなく、動機。そうだな……」

 亮介は少し考える体を見せつけ、いったん間を空けた。

「ここに集められた、俺たちを含めたやつらは、おそらくは全員が十代の未成年者だろう」

「そうだろうな」

「そして、未成年であるうちに、社会不適合者――つまり犯罪者となった経歴がある」

 そう言って、亮介がこっちを見てきた。

 お前も罪人だろうと言わんばかりの視線。

 その視線を和弘は受け止めた。

 目を逸らす必要なんてない。

 和弘もまた、亮介の言った通り、犯罪者なのだから。

「俺は罪を犯した――殺人だ。で、逃亡した。警察もまいてやったさ。だが、あいつらにはずっと目をつけられていたらしい」

「SIAか」

「ああ。買い物に出かけて潜伏してた廃工場に戻ってきたら、広報官リクルーターって名乗る男が待っていたのさ」

「それで誘いにのった、と?」

「『キミの能力はとても稀有なものだ。それをこんな逃亡生活の果てに訪れる刑務所生活で終わらせるのは実に惜しい。だけど、私たちの下へ来れば、逃亡生活を終わらせることもでき、新たな人生を送ることができる。何よりも、力を手に入れることができる。二度はない。どうする?』――そう言われたら、ついて行く以外の選択肢はないだろ?」

 おそらくはリクルーターの声真似だろうが、作り過ぎていてどこか演技っぽく聞こえていた。

「和弘――お前は? なんのために誘いを受けた」

「俺は……」

 そう訊かれ、和弘は思い出そうとした。

 だが、思い出せなかった。

「お前は正常だよ。リクルートされて、最初に連れていかれた施設で何をされたか覚えているか?」

「それは……」

 言われて思い出そうとしたが、思い出せなかった。

 そもそも、自分は亮介の言う『何か』をされたのかすら覚えていない。

「お前は、自分が『相馬和弘』であることを疑っていない」

 亮介が何を言っているのか、理解できなかった。

 自分が相馬和弘であることは、疑いようのない事実だ。

「どうやら、俺とお前は、対極に位置しているらしい」

 どういう意味だと表情で伝える。

「もし俺を殺すことができる奴がいるとすれば、それは和弘――お前だけだろうな」

「俺が……お前を……」

 ずっと相部屋のパートナーとして、そして訓練では同じ組として、ずっと行動を共にしてきた。

 射撃訓練で点数を競ったり、近接戦闘CQBでやり合ったりもしたが、それでもお互いがお互いにとって高め合うことのできる存在であることは、もはや疑いようもなかった。

「だがな、お前を殺すことができるのもまた、俺だけということを忘れるなよ」

 自分以外の誰にも殺されるな――そう言われているような気がして、和弘はやはり亮介の存在が自分にとってはなくてはならないものになっていることを知った。

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