3-1 最強のついていない日

 男は悪人と呼ぶに相応しい人生を送ってきた。

 子供のころから悪ガキで、喧嘩をすれば負けたことはなく、中学生になれば不良となり、無免許でバイクを転がし、喧嘩で人を殺して少年院へ送られた。マーダーとして覚醒したのもそのときだ。


 自分は特別だと、能力のことを理解した男は、少年院を脱獄し、好きに生きることにした。気に入らないやつを殴り、ヤクザの用心棒で金を稼ぎ、気に入った女を無理矢理手籠めにする。たまに人を殺してしまうこともあったが、それもまぁ、男にとっては仕方のないことだった。

 歳は二十代前半。普通に考えれば狂気の人生だが、男にとっては順風満帆な人生と言える。


 ……それに、初めて陰りが差した。


 追い詰められた男の前には二人。一人は金色の髪、赤い瞳、黒のスーツに赤いシャツ。そしてもう一人はスーツ姿の地味な女だった。


「いいか? てめぇはちょっとそこで見て学べ」

「はい、レッドさん!」


 どうやら男のほうが上司かなにかなのだろう。こいつを始末すれば、女は大した相手じゃない。男はそう判断した。

 なにも警戒した様子を見せず、平然と歩を進めるレッドを見て、男は能力を発動させる。喧嘩は先手必勝。それが男の考えだった。

 レッドの足元に泥沼が発生する。後は飲み込まれ、遺体も見つからずに終わり。それが、男の手口だった。


 しかし、レッドは軽く地面に左手を振り、炎を奔らせる。

 ただそれだけで、沈むこともなく歩いていた。


「は? な?」


 意味が分からず、男は何度も能力を行使する。だが、結果は変わらない。炎で乾かされた泥は固まり、人を沈み込ませることはできなくなっていた。

 まだやりようはあったのだが、泥が効かないと判断してしまったのだろう。男はレッドへ殴りかかり……ボコボコにされ、地面へ転がった。


「で、今のを見てどう思った?」

「レッドさんは強いと思いました!」

「ちげぇよ猿が! 動物園に帰れ!」

「さ、猿じゃありません……」


 肩を落とす皆月へ舌打ちをし、レッドは男の両肩と股関節を踏み抜く。激痛で男は悲鳴を上げたが、うるせぇと顔面を蹴り上げられた。

 男の額で煙草の火を消し、新たな煙草を咥える。サッと皆月がライターを取り出し、火を点けた。


「機嫌とりをしてるんじゃねぇ! いいから、今の戦闘について答えろ!」

「は、はい」


 レッドは普通に自分で煙草に火を点け、苛立たし気に男の腹を何度も踏んでいる。呻き声を上げているが、もちろん気にすることはない。

 皆月はじっくりと考え、だが考えすぎると遅いと怒られるため、躊躇いながら言った。


「相手は泥を扱うマーダーで、炎でその泥を――」

「そんな分かり切ったことはどうでもいいんだよ!」

「うぅぅ……」


 はぁ、とレッドは息を吐き、男への蹴りを強めながら言った。


「能力には相性や強さがある。今回、相性だけで言えばこいつのほうが有利だっただろうな。水分を含んだ泥で炎を消す方法はいくらでもある」

「ふむふむ」

「だが、強さが違った。宇宙最強のオレに比べ、このチンカスはミジンコ以下の実力しかなく、しかも努力もしてねぇ。運良く雑魚の相手しかしてこなかったんだろう。だが、赤ん坊がドラゴンには勝てねぇってことだ。ドラゴン知ってるか?」

「見たことはないけど知ってます」

「そうか」


 レッドに蹴られ続けながら、話を聞いていた男は怒りで滾っていた。

 確かに、自分は油断をしていたが、そうでなければ結果は違ったと思っていたからだ。


「大事なのは、能力ってのは強くできるってことだ。そのためには、まず使いこなせるようになる必要がある。てめぇ、クイーンの能力と拮抗してたらしいな」

「はい! わたしの力も中々だと――」

「勘違いだゴミカス。あらゆる能力に対して優位なお前が、なんで拮抗してんだよ。圧倒的な差で勝つのが当然だろ。つまり、てめぇは能力に関して未熟な赤ん坊ってことだ。良かったな、こいつよりはマシだぞ」

「……うぅぅぅ」


 男だけでなく、皆月の自尊心もボロボロだった。

 しかし、レッドの話してくれたことは、すでに皆月も知っていた内容である。知らなかったのは、自分の力が未熟であり、まだ上があるということだ。


 ――強くなれる。


 皆月は拳を握る。だがそこで、ふとあることに気付いた。


「ということは、レッドさんと最初に戦ったとき――」


 全力で来られていたら負けていたのか? ということを聞こうとしたが、その言葉はレッドに遮られた。


「まぁ、能力の強化は今後の課題だな。とりあえず、今日はこいつを殺せ・・

「はい! はい? ……いやいやいやいやいやいや!?」


 先ほど聞こうとしたことなど頭から吹き飛んだ。それもそのはずだろう。殺さずに強くなりたいと言ったはずなのに、殺せと言われたのだから。

 しかし、そうくることはレッドも分かっていたのだろう。僅かに青筋を浮かべてはいたが、まだギリギリ冷静さを保ちながら言った。


「あのな? 人を殺したくねぇってことは、殺さないように手加減をしないとならねぇんだよ。つまり、慣れるまで殺しまくって、殺さず動けなくできる力加減を覚える必要があるってことだ。よし、殺せ」

「い、いやいやいやいやいやいやいやいや!?」


 言っていることは分かる。だが、できるはずがない。

 普通のマーダーならばできるのかもしれないが、皆月の精神は一般人に近い。訓練で人を殴れるようになることすら、多大な心労で乗り越えたものだ。

 無理無理と首を横に振る皆月に対し、レッドの怒りは限界を迎えた。


「だからてめぇは弱ぇんだろうが! さっさと殺せ!」

「無理ですって!」


 この押し問答をチャンスだと思ったのか、倒れていた男は能力を発動させ、泥の槍で二人を攻撃する。しかし、皆月の能力で、一瞬で消えた。

 目を白黒させている男の顔を、レッドが強く踏みつける。ビクリ、と男の体が跳ねた。


「こ、殺したらダメです!」

「殺してねぇ。よく見てみろ。ギリギリ生きてるだろうが。こういう力加減ってやつを、お前は覚える必要があるんじゃねぇのか? 分かったら殺せ」


 顔は僅かに陥没し、鼻は砕け、歯もほとんど折れているが、確かに男は生きている。

 だが、それを皆月にできるかと言えば、それは話が別だった。


 ……結局のところ、皆月に殺すことはできず、それに苛立ったレッドが男を殺そうとするのを止めるという、いつもの結果に終わった。



 数日経ち、一度も結果を出せていない皆月は途方に暮れていた。

 トボトボと向かった先は、言うまでも無くクレープ屋だ。ズキリと、両肩が痛む。脳裏には、ここで出会ったヨルの姿が浮かんでいた。


 足を止めていると、猫耳のついた青いパーカーを着た銀髪の少女が、クレープ屋へ近づくのが見える。歳は皆月より少し下だろう。

 彼女は受け取ったクレープを食べながら、皆月へと近づいて来る。

 この先に用があるのだろうと皆月は思っていたが、彼女はなぜか目の前で足を止め――クレープを顔へ押し付けた。


「……ふぇ?」

「アハハハハハハハハハハハハハ! 顔が、顔がクリームだらけだね! イチゴもくっついてるよ!?

 ……あー、面白かった。はい、ハンカチ貸してあげるよ!」

「あ、ありがとうございます?」


 受け取ったハンカチで顔を拭いながらも、皆月はただただ困惑していた。


 ――どうしてクレープを押し付けられたの? どうしてハンカチを貸してくれたの? どうしてわたしはお礼を言ったの?


 そんな混乱している皆月に、今度はペットボトルの水が掛けられた。踏んだり蹴ったりである。


「ごめんごめん、ベタベタしててとれないよね? でもこれでだいじょーぶい!」

「ありが、とう?」

「いえいえ!」


 指でVサインを作る少女の顔には、まるで悪気というものが浮かんでいない。心の底から親切心で行った、と思っているように感じられた。

 皆月がさらに混乱していると、少女が言う。


「不幸な顔しているよりは困った顔のほうがいいし、できれば笑っていたほうがいいと思うよ。ボクもそう教えられたからね!」

「……うん」


 確かに笑っていた方がいいとは思う。だが、やり方というものがあるのではないか?

 ようやく思考が追い付いた皆月が、年下の少女へ常識を教えてやろうと意気込んだとき……すでに彼女の姿は無かった。

 やりたいようにやり、言うだけ言っていなくなってしまった。それがなぜかおかしく、皆月は僅かに笑う。


「あー、もう! 次会ったら、絶対にお説教してやるんだから!」


 妙な少女に振り回されはしたが、少しだけ気持ちは晴れていた。

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