2-4 そして初戦の幕は下りる

 皆月は焦れていた。

 アンデッドと寝返ったマーダーの無力化。それを行うためには飛び出したいところだが、もしそうすれば、この場は瓦解すると理解していたからだ。


 耐えるしかない。この状況を変えるなにかが起きるまで。

 自分にそう言い聞かせていたが、ふと横の方から僅かな熱さを感じた。今までの彼女ならば気にしないほどのものであったが、レッドの言葉が過る。


 ――能力の発動には、何かしらの予兆がある。


 押し寄せた炎が一団を包む直前、何事も無かったかのように消え失せる。レッドの教えが無ければ、目を向けることすらしなかっただろう。

 あの助言で、皆月は命を拾っていた。


「ほう」


 皆月は声の聞こえたほうへ目を向ける。

 そして、その姿を確認した瞬間……感情が爆発した。


「ああああああああああああああああ!」


 見紛うことなき憎い仇に、皆月は感情を抑えられない。だが、近くにいた男は慌てて皆月を止めようと抱き着いた。

 それは、皆月がいないと生きられないと思ったからではない。彼女を庇っての行動だった。


「離し――」


 男の体を貫いた矢が、そのまま皆月の左肩へ刺さる。勢いは弱まっていたが、その体は後方へ吹き飛ばされた。

 皆月は痛みで顔を顰めたが、それで怒りが鎮まったわけではない。

 感情のままに立ち上がると、また炎が押し寄せたので打ち消す。同時に放たれた矢にも目を向けたが、そちらにはなぜかなんの変化もなく、僅かに身をよじることしかできず、右肩に刺さった。


 右肩と左肩に刺さった矢の影響で、皆月は腕を上げることすら叶わない。

 前髪がパサリと落ち、アンデッドたちは行動を再開した。



 ヨルは目を瞬かせていた。ようやく姿が露わになった少女が、自分とクレープを食べた相手だったからだ。

 しかし、まぁそんなこともあるのだろう。心がざわつくほどの変化は起きない。


「長く生きていればこういうこともあろう。バトラーよ、あれ・・を殺せ。驚くことだが、恐らく能力を打ち消す能力者。未熟ではあるが、我が眷属とするに値する」

「仰せのままに」


 確かに、皆月の能力は強力だ。しかし、視界に入った能力を打ち消す能力だと分かってしまえば、そう恐れるものではない。馬鹿正直に正面から戦いでもしない限り、いくらでも対応のしようがある。

 皆月に炎が放たれたが、彼女は頭を振って目を見える状態にして打ち消す。だが、できるのはそこまでだ。此度バトラーが放った矢は同時に三本。そのどれもが必殺の一矢だった。


 未熟さに、弱さに皆月の頬を涙が伝う。その涙は顎から滴り落ち、地面へと――届くより早く、涙も矢も蒸発した。

 唖然としている皆月の首根っこが掴まれる。


「邪魔だ、すっこんでろ」


 ようやく現れたレッドは容赦なく、皆月の体を本部の中へ放り投げた。

 その出現に全員が動きを止める中、レッドは隣にいる上杉へ小声で聞く。


「どれだけ使える」

「まだ50%です」


 普段、レッドの力は10~30%ほどしか解放が許されていない。それを考えれば、50%とは本来なら十分過ぎる解放状況だった。


 しかし、それは普通の相手ならの話だ。

 相手は夜の国のクイーン、サラマンダー、バトラー。100%の力が使えても、確実に勝てるとは言えぬ相手だ。


 なのに、レッドは平然と歩を進めて前に出る。

 そして、なんの気負いも無い、いつもと変わらぬ歪んだ笑みを浮かべて言った。


「遊んでやるよ、ゴミクズども」


 自信たっぷりな態度を見て、レッドには勝算があるのだろうと皆月は考えた。

 しかし、そんなものはない。このままでは、彼はいつものように戦い、ほとんど抵抗することすら許されず、無様に死ぬだろう。

 ただ彼は、自分が自分であるためになにも曲げる気が無いだけであり、それこそが皆月とは決定的に違うところだった。



 ……絶好の機会にも関わらず、なぜか誰も動かない。アンデッドすらも完全に動きを止めている。

 僅かな静寂を斬り裂いたのは、まるで恋する村娘のように恍惚とした表情を浮かべ、頬を朱に染めていたヨルだった。


「アッシュロード! あぁ、アッシュロード! 会いたかった!」


 この言葉を聞き、現場の者たちは夜の国の狙いをようやく理解する。

 アッシュロードはクイーンと繋がっており、彼女は愛おしい人を救うために現れたのだ、と。

 しかし、そんなはずは無い。レッドは煙草に火を点け、煙と言葉を吐き出した。


「なんだてめぇ、また殺されに来たのか? 何千回殺されたら気が済むんだ? 今度こそキッチリ殺ってやるから覚悟しておけよクソ女」


 誰もが混乱している中、ヨルは見た目にあった愛らしい笑みで言う。


「あぁ、あぁ、もちろんだ。何度でも殺していい。……だが、とりあえず場所を変えようではないか。長い牢獄生活の後だ。あなただって、なにかおいしいものを食べたり、お茶を楽しんだりとかしたいだろう?」

「いや、別に」


 好きな人との時間を楽しみたい。そんなヨルの願いを、心底どうでもいいと言わんばかりにレッドは吐き捨て、彼女は肩を落とす。先ほどまでの恐ろしさは、完全になりを収めていた。

 レッドはガリガリと頭を掻きながら言う。


「大体、てめぇはなにをしに来たんだ? オレと遊ぶために来たんなら、全員連れて来いよ」


 明らかに不利な状況下で、レッドは不平を口にする。

 ヨルは肩を落としたまま答えた。


「その、許可が出なかったのだ。だから、とりあえず解放だけして、遊ぶのは別の機会にしようと……」

「時間の無駄だ。本当に頭が悪ぃな。何万年生きてるのか知らねぇが、脳みそ腐ってんじゃねぇか?」

「な、何万年も生きてはいない!」


 この訳の分からないやり取りを見て、誰もが唖然としている。

 気を抜いていないのは、レッドと上杉、ヨルと幹部たちだけだ。

 チラリと懐中時計を見たバトラーが、片膝を着いてヨルへ進言する。


「クイーン、時間です」

「し、しかし」


 救援が増え始めている時間であり、このままでは負けることは無くとも、少々面倒なことになる。

 元々時間が決められていた計画だ。クイーンの命を最優先と考えるバトラーとしては、自分が殺されたとしても曲げられない。


 チラチラと見て来るヨルに対し、レッドは追い払うように手を振った。


「帰れ帰れ。オレにはまだやることがある。ここから出る気はねぇ」

「……やること?」


 そんなことがあるのであれば、とうに果たしているはずの男だ。なぜ、それを終わらせていないのか。ヨルには理解ができず、目を白黒させた。

 鼻を鳴らし、レッドが答える。


「――最強を取り戻すんだよ」


 ヨルだけではなく、サラマンダーとバトラーまでもが目を見開く。

 他二人の仲間がいないとはいえ、アッシュロードは最強のマーダーだ。捕まったことは知っていたが、負けたという噂は信じていなかった。


「その口ぶりからして、まさか、一対一で負けたのか?」

「あぁ、腹立たしいことにな」


 信じられない、だが信じるしかない。ヨルは苦悩したが、撤退を決めた。

 いずれ、アッシュロードは最強を取り戻す。それからまた迎えに来れば良いという考えに至っていた。


 しかし、ふと一つのことを思い出す。

 帰る前に、これだけは聞いておこうと思っていたことが、ヨルにはあった。


「そうだ、お嬢さん。名前を教えてもらえるかな?」

「……わたし?」


 コクリと、ヨルは頷く。その顔は、二人で過ごした公園のときと変わらぬ愛らしい表情だった。

 とてつもない違和感、仇への怒り。様々な感情をない交ぜにしながら、皆月は答える。


「み、皆月」

「ん? あぁ、まだ新参者なのか。そういう意味では無い。我々が名乗る名とは、マーダーとしての名だ。お嬢さんの、マーダーの名を教えてくれ」


 アッシュロード、クイーン。

 そういったマーダーとしての名が、マーダーには必ず与えられる。


 しかし、皆月は事情が特殊だ。マーダーとしての名は持っておらず、それを伝えることができなかった。

 皆月が戸惑っていると、レッドが言った。


「――マーダー・マーダー」


 驚く皆月とは逆に、ヨルは納得した様子で頷いた。


「マーダーの力を封じる能力を持ったマーダー。マーダーを殺すことに特化したマーダー。そんなところか。覚えておこう、マーダー・マーダー。次会うときは、我が眷属に加わる栄誉を与えよう」


 レッドは戦ってすらいない。にも関わらず、姿を見せただけで、あっさりと戦闘が終わりを迎えたのは、敵が彼の恐ろしさを誰よりも理解していたからだろう。

 これで終わりだ。そのはずだったのだが、皆月はサラマンダーを睨みながら言った。


レッド・・・さん! わたしは、あいつを――」

レッド・・・?」


 皆月の背に冷たいものが走る。ヨルの目に、初めて怒りが灯っていた。

 アッシュロードが、レッドという名を呼ぶことを許す者は、彼が認めた者だけだ。そして、ヨルですらその名で呼ぶことを認められていない。


 しかし、皆月は認められている。ヨルの胸の内に渦巻く感情は”嫉妬”と呼ばれるものだった。

 クイーンの本気の圧へ、皆月は震えが止まらない。だがレッドは臆すこともなく皆月へ近づき、彼女の頭へ手を乗せた。


「こいつがオレに勝った唯一無二の最強だ」

「……っ」


 瞳に怒りと疑念を灯したまま、ヨルは背を向けて歩き出す。

 その姿が見えなくなり、圧が消えたところで、皆月はようやく意識を失うことができた。


 この戦いによる死者は少数。だが行方不明者は数百を超えるという異常な状態で、クイーンの襲来は終えた。



 ――翌日。両肩を射抜かれ入院している皆月の元へ、上杉が姿を見せる。彼は挨拶もそこそこに、皆月の耳へ電話を押し付けた。

 電話の相手は、予想外なことにレッドだった。


「おい、聞こえてるな、チンチクリン。鍛えてやるから役に立てよ」

「……えっ!? 弟子にしてくれるんですか!?」


 昨日の戦いで、自分の未熟さは痛いほどに理解した。

 皆月にとっては願ったり叶ったりの申し出だったが、レッドはすぐに否定した。


「弟子にする気なんてねぇ。ただ、あいつら相手に戦力を増やして困ることはねぇってだけだ」

「……レッドさんでも、一人じゃ厳しい相手ですよね。分かります。わたしで良ければ協力しますよ!」

「はぁ?」


 お前の力が必要だ、と素直に言い出せないだけだと思っていた皆月は、あれ? と首を傾げる。

 電話からは、レッドの不愉快そうな声が聞こえた


「あのなぁ、あんなやつらオレ一人でも99%勝てんだよ。だが戦う以上、勝率を上げようとするのは当たり前のことだろうが。残り1%を少しでも埋められるよう、死ぬ気で努力しろチンチクリン」


 皆月がなにかを言うよりも早く通話は切られる。

 名前を呼ぶことを許しているのは認めているからだ、という話を上杉から聞いた。曲がりなりにも、レッドへ勝利した自分を認めてくれているのではなかったのだろうか?


 頭を抱えようとしたが、皆月は腕が上がらない。無意識に動かそうとし、痛みで悲鳴を上げた。

 そんな二人のやり取りを聞いて、上杉は首を横に振る。


「レッドさんも、皆月さんも。戦いはこれからなんですから、もう少し仲良くしてほしいですね」


 呆れながらも上杉は、皆月への見舞いの果物を残し、自分もやるべきことをやるかなと、病室を後にした。



 車に乗り込んですぐ、上杉は電話を取り出し、ある番号へとかける。相手も連絡を待っていたのだろう。数秒で電話に応じた。


「もしもし? 連絡をしたってことはボクの出番かな?」

「えぇ、そうなります。出番は近いですよ、アイスマン・・・・・


 アッシュロードが仲間と認めていた二人の片割れ。トラフィックライトのアイスマンは、電話越しにニタリと笑った。

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