1-1 皆月の戦う理由

 専用の水中に埋められた牢獄の中で、煙草を吸いながらレッドは考えていた。

 本来なら煙草を自由に吸えるようになり上機嫌なはずなのだが、その顔は渋い。


 彼は負けた。しかも、おおよそマーダー異能殺人者とは思えない地味で普通の女に。

 レッドの能力は強い。身体能力に関しても、世界でトップクラスに入るだろう。


 しかし、相手は能力を消す能力を持ち、能力としか思えない異常な身体能力まで有している。

 二つの能力を有している存在は確認されていないが、レッドの頭はそこまで固くは無い。そういった者がいる可能性はあると考えており、問題はどうやって攻略するかだ。


 あまりにもマーダーとの相性が良い皆月の能力を打ち破れるかもしれない方法を、レッドは複数思いついている。

 しかし、確信があるわけではなく、そんな不確かな戦い方を選ぶこともできない。少しでも勝率を上げるためには、やはり頭を悩ませるしかなかった。

 トントン、とスピーカーから音が聞こえた。


「あの、こんにちは」

「……あぁ!?」


 レッドが目を開いた先には、狂おしいほどに殺したい相手が、なんとも情けない顔で立っていた。



 仕事ならば上杉も同行しているだろう。だがその姿は見えない。皆月は一体何の用で訪れたのか。

 レッドが不信に思っていると、皆月はぎこちない笑みで紙袋から菓子折りを取り出した。


「お、お近づきの印に」

「いや、どうやって渡す気だ。許可が出るわけねぇだろ」

「そうなんですか!?」


 あわあわしている皆月を見て、なぜこんな女に負けたのだろうかと、レッドは少しだけ気落ちする。

 しかし、皆月は皆月でふざけているわけではない。菓子折りのことは忘れ、キュッと唇を結んだ。


「あの、レッドさんに教えてもらいたいことがあります」

「断る」

「はい、実は……えぇ!?」


 邪険に扱われるかもしれないということは皆月も考えていた。しかし、内容を告げる前から断られるとは思ってもおらず、思考が止まってしまう。

 その様子を見ていたレッドは、ふと思い立つ。こいつのことを知るチャンスなのではないか、と。


「なぁ」

「は、はい」

「オレの質問に答えたら、オレも質問に答えてやる。どうだ?」

「いいですね! わたしもそう提案しようと思っていたんです!」


 もちろん嘘であり、少しでも面子を保とうとしただけである。だが、それを見抜いていながらもレッドはツッコムことを放棄していた。

 レッドは新たな煙草へ火を点け、少しだけなにを聞くか考えた後に口を開いた。


「その身体能力は自前か?」

「いえ、マーダーとなってから目覚めたものです。この目の能力もそうです」

「……」


 まさか素直に答えるとは思っていなかったため、レッドは眉間を押さえる。マーダーにとって、自分の能力は隠すものだ。もちろんレッドだって、他には教えていない切り札の一つや二つはある。


 だが皆月は違う。レッドならば知っているかもしれない情報を得るためには、真摯に対応をせねばならないと考え、正直に打ち明けていた。


 色々と言いたいことはあったが、それをグッと耐えて、手を前に出す。次はお前の番だ、と。

 直後、皆月の顔に影が落ちる。


「……炎を操るマーダーを知っていますか?」

「オレ」

「レッドさん以外にです」

「そんなのいくらでもいるだろうが。なんで探してるのかは知らねぇが、もうちょっとなんかねぇのか」


 この世界に異能殺人者マーダーの数が少ないとはいえ、炎を操るマーダーなどいくらでもいる。皆月の質問は端的だが、情報が足りていなかった。

 自分でもそれに気付いたのだろう。改めて、別の情報を追加した。


「褐色の肌で、首にトカゲみたいなタトゥーが入っている男でした」

「知ってる」

「ですよね……」


 皆月はこの仕事へ就くようになってから、もう長いことその人物のことを追っている。機密文書などを見られる立場にはなく、データベースへのアクセス権すら無い。そんな彼女にとって、出会う人へ問うことは、唯一の情報収集手段だった。


 そう、この先も続くはずの、必死に抗う手段のはずだったのだ。

 あれ? と皆月は首を傾げる。


「じゃあ、次はオレだな」

「ままままま待ってください! 今、知ってるって言いましたか!?」


 どうせ知らないだろうと決めつけていたのだろう。想定外の答えに、皆月は動揺を隠せない。なんとしても、その男の情報を得なければならない。

 しかし、それは皆月の事情だ。レッドは鼻で笑った。


「ハッ。知りたかったらオレの質問が終わってからにしろ」

「うっ……分かりました」


 逸る気持ちを抑えようと、皆月は胸元を握る。

 そんな彼女に対し、レッドは一番聞かれたくないであろう質問をした。


「お前、人を殺したことがねぇよな? あまりにも甘すぎるし、同類の臭いがしない。どうやって能力に目覚めた?」


 ドクンと、皆月の心臓が脈打つ。毎晩のように夢に見る、思い出したくないが決して忘れてはならない過去が脳裏に過る。

 しかし、やっと掴んだチャンスを失うわけにはいかない。話すと決めたとき、皆月の顔からスッと表情が消えた。


 ――復讐だな。


 その顔を見て、レッドは聞く前に悟る。だが止めるつもりはなく、顎で先を促した。


「……二年前。高校を卒業したわたしは、大学へ進学しました。ある日帰宅すると、妙に家の中が焦げ臭くて、火事かと慌てて家に入りました」


 淡々と、静かに、思い出す必要もないほどに覚えていることを告げる。皆月の胸には、暗い炎が灯っていた。


「そこには、褐色の肌をした首にトカゲのタトゥーが入っている男、と……」


 皆月は言葉に詰まる。

 だが、レッドに気遣うような情は無い。話を続けさせた。


「男と?」

「……黒焦げの状態で呻く、両親の姿が、ありました」

「へぇ」


 黒焦げの遺体なんてレッドは見慣れている。その状態で生かすことだって、多少難しくとも不可能では無い。

 だからこそ驚きもしなかったが、一般人である皆月には衝撃が強かっただろう。下唇を強く噛み、血が滴り落ちた。


「男はわたしをチラリと見ましたが、あまり興味が無かったのでしょう。家に火を放ち、その場を立ち去りました」

「わざわざ殺さずとも、火に巻かれて死ぬと思ったんだろうなぁ」


 しかし、そうはならなかった。レッドが聞きたいのはこの先だ。

 皆月は震える両手を見ながら言う。


「逃げてと、殺してくれと、両親が訴えるんです。わたしは医者じゃありません。ただの素人です。でも、生きているのが不思議なくらいで、助からないのは分かっていました。だから――」


 闇に染まった瞳がレッドを見る。とてもマーダーらしい皆月の顔に、レッドは薄く笑った。


殺しました・・・・・。その声が聞きたくなくて、でも逃げ出すわけにもいかず、包丁、を」


 ガクリと、皆月は崩れ落ちる。

 その後、皆月は殺してくれという両親を殺し、異能殺人者マーダーとして覚醒した。なんとも報われない話だ。

 マーダーの事件は異能殺人対策課が対応する。そこで皆月は犬となる道を選んだ。特例として、殺人者としての扱いは受けずに。


 話を聞き終えたレッドは、それならばあり得るだろうと納得して頷き、そして言った。


「まぁ、覚醒したこと以外はよくある話だ」

「……は?」


 皆月の瞳が怒りに染まる。両親が理不尽に殺されたことを、ありふれた話だと言われたことが彼女には許せない。

 しかし、レッドはもう一度言った。


よくある話だ・・・・・・

「っ!?」


 実力では勝っていたとしても、経験ではレッドが勝る。その彼が言う以上、例えどれだけ納得ができずとも、皆月は口を噤むしかなかった。

 怒りで震える皆月に対し、レッドはポツリと言った。


「サラマンダー」

「え?」

「お前の仇の二つ名だ。この世界で、オレの次に強い炎の使い手だろうな」


 話は終わりだと、レッドはゴロリと寝転ぶ。まさか素直に教えてもらえると思っていなかった皆月は、目を白黒とさせた。

 ……そして、勘違いをした。もしかしたら、彼は話の分かる良い人かもしれない、と。


「あの、レッドさんは三人で行動をしていたんですよね? 《トラフィックライト》でしたっけ。資料で読みました」

「……それがどうした」

「《アイスマン》、《エレキング》、そして《アッシュロード》。組織を作り、肥大化していく他のマーダーと違い、たったの三人で対抗できたほどに強かったんですよね!」

「だから、それがどうしたって――」

「あの! サラマンダーを倒す手伝いとかって、お願いできません、かね?」


 レッドならば居場所を知っているかもしれない。レッドには戦力もある。強い仲間だっていた。

 それならば、彼が協力をしてくれるのならば、サラマンダーへの復讐も簡単に果たせるのではないだろうか。そんな普通の考えに至るのは自然なことだった。


 しかし、レッドはとてもつまらないものを見る目で言った。


「利用しようって考えが透けて見えてんだよ。てめぇの都合にオレを巻き込むな。そんな甘い考えをしてるから、てめぇの両親はオレたちみたいなのに殺されたんだろ」


 お前が弱いからだ、と言われたことは分かっており、ダンッと皆月は壁を叩く。

 だがレッドの指摘は全てではなくとも間違っておらず、なにも言い返すことはできなかった。

 くるりと背を向け、皆月はポツリと言った。


「……わたし、やっぱりあなたのことが嫌いです」

「奇遇だな。オレも大嫌いだ」


 そのまま皆月は立ち去り、レッドは煙を揺蕩わせる。

 通路には、皆月の痕跡を残すよう水滴が落ちていた。

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