第8話 メイド少女と異形の神編

 黄昏時。それは常世とこよ現世うつしよの境界が曖昧になる時間。

 悪霊どもが消え去り、夜の帳が下りつつある山の墓地。


 しゃらん……。


 どこからか鎖を引き摺る音が聞こえる。

 あたりに漂うあまりに濃密な死の気配を感じ取り、獣たちは皆、各々の縄張りを捨て一目散に山を下りた。

 鳥たちもいずこかへ飛び去り、草木の一本すらも己の存在を隠すように息を潜めて静まり返っている。


「とうとう地獄の獄卒までもが現世に出てくるとは。十王たちは相当お怒りと見える」


 亡者の血で真っ黒に染まった襤褸ぼろを纏った痩身の鬼の背後に、老執事が音もなく立つ。


『霊界の門が現世の側より開かれた。此度の事態は地獄が総力を挙げて解決に当たる。これは十王会議の総意である』

「ふん。これだけの数の亡者や妖怪どもを逃がしておいて何を今更。無能の尻拭いをさせられる地上の者の身にもなっていただきたいものだ」

『貴様ッ! 十王を愚弄するかッ!』


 刹那、鎖と黒鉄の刃が交差して火花が散る。

 老執事の手の中には刃渡り六尺七寸ほどの漆黒の太刀が握られており、その刃を鬼が操る地獄の鎖が受け止めたのだ。


「やはり地獄の連中とは相容れぬようだ」

『地上の妖怪風情がいい気になるなよ……!』


 鬼の身体に巻きついた三本の鎖が触手のように蠢き、獲物に食らいつく蛇のような動きで老執事の手足へと絡みつく。

 時間と空間の制約に縛られず、「対象を捕縛する」という結果だけを与える地獄の捕縛具。

 老執事の刃を防いだのも、あえて自らを縛る事で鎖そのものを鎧とする、道具の特性を生かした絶対防御だ。


『霊能者や大妖怪を連行するための特注品だ。もう動けまい。この機会に地上の妖怪や危険な霊能者どもを一斉に検挙せよとのお達しも出ている。大人しく地獄にて裁きを受けるがいい!』


 この鎖が縛るのは肉体のみに及ばない。

 霊力や意志力などの内面的な力すらも封じてしまう。

 かつて都を騒がせ国をも滅ぼしかけた大妖怪、白面九尾すらも縛り上げ連行したこの鎖から逃れる術など――――。


「ふん、この程度」


 バキンッ! と、金属が砕ける音がした。

 ありえない。いったい、何が起きているのだ。

 鬼は目の前で起きた現象が理解できなかった。否、理解したくなかった。


 鎖が引きちぎられた。

 あまりにも無造作に、まるで薄紙でも破くかのような気楽さで、顔色一つ変えることなく。


「何を呆けているのです。形あるモノならば、いずれは壊れる。当然の事ではありませんか」

『ば、馬鹿な!? ありえない! 十王たちの法力を束ねた鎖だぞ!?』

「ならば今代の十王よりも私の方が強かった。それだけの事でしょう。そら、あなたもそろそろ気づいたらどうです」

「あ……え……?」


 老執事の言葉を受けて、まるで思い出したかのように獄卒の身体に無数の亀裂が走る。

 直後、獄卒はバラバラに崩れ、風と共に塵へと還った。

 最初の一太刀ですでに決着はついていたのだ。


「獄卒の質も随分と落ちたものだ」


 初代十王たちが作った法具であればまだしも、時代と共に平和ボケした肩書ばかりのお飾りどもが作った鎖など、所詮はこの程度。

 しかもそれを扱う者の実力が二流以下なら猶更だ。

 たった一太刀で切れてしまうような脆い鎖しか作れないようでは、今の地獄の総力も底が知れるというものである。


(全く、余計な仕事ばかり増やしてくれる)


 口の中で小さく独り言ちて、老執事は服の埃を軽く払うと、音もなくその場から姿を消した。



 ◇



 そのまま何事もなく車は山を下りて、道中何体か悪霊を撥ね飛ばしながらも家まで無事にたどり着く。

 車を降りると運転席から和尚が声をかけてきた。


「今後も仕事を続けるなら一つアドバイスだ。ヤバそうだと思ったらまずは大人に連絡を入れなさい。いつでもとはいかんが、ワシもできる限り力になろう」

「うっす! 今日はありがとうございました!」


 助けてもらったお礼も含めて、改めて頭を下げる。

 もう一人の父親同然の人だからこそ、こういうことはきちんとしなければ。

 親しき仲にも礼儀あり、だ。


「うむ。じゃあ、ワシらはもう帰るからな。またな」

「じゃ、ヒロ。また明日!」

「おう。じゃーなー!」


 後部座席の窓から手を振るタッツンに手を振り返し、走り去る車のテールランプが見えなくなるまで見送ってから家に入る。

 なんだか朝から色々ありすぎて疲れてしまった。今日は早めに寝よう。


「おや、帰ったのかい晃弘」

「おう、ただいま父ちゃん」


 玄関のドアを開けると、丁度トイレから出てきた父ちゃんと鉢合わせる。

 人より小柄な俺と比べてもなお小さい、今年で四十二歳になるのに、どこからどう見ても可愛い小学生の男の子にしか見えない不思議生命体。

 それが俺の父、犬飼光いぬかいこうだ。


 だが、これでもれっきとした大人で、国家資格を持つ本物の鍼灸師しんきゅうしである。

 治療の腕前も確かで、見た目も可愛いからと近所のジジババからはこうちゃん先生の名で親しまれて、というか、孫のように可愛がられている。


 この見た目のせいで我が家はよく母子家庭と間違われがちだが、結婚十六年目になる今でも、ウザいくらい夫婦仲は熱々だ。

 ちなみにだが母ちゃん曰く「たまたま惚れた男が小っちゃかっただけで私はショタコンじゃない」との事。ほんとかよ。


 と、それはさておき。


「あ、そういえば小春の入学式は大丈夫だったのか?」

「うん。まあ、いつも通りさ。疑う人には免許証見せて納得してもらったよ」


 見た目が見た目だけに仕方ないことではあるのだが、父ちゃんはしょっちゅう小学生と間違われて、色々な場所で年齢確認されてしまう。

 なので名札代わりにいつも首から免許証をぶら下げており、警察に声をかけられた時などはすぐに見せられるようにしている。


 というか、いつまで経っても小学校の卒業アルバムの写真と見た目が全く変わらない方がおかしいのだ。

 ……まさかこの人まで不老不死だなんて言わないよな? さもなくば妖怪か、はたまた異世界人か。


 割と真実味を帯びた妄想を振り払いリビングへ行くと、妹の小春が夕飯の食器をテーブルの上に並べているところだった。

 キッチンから漂ってくる匂いからして、今夜はカレーだろう。


「あ、お兄ちゃんおかえり」

「ただいま。新しいクラスはどうだった」

美羽みうちゃんと同じクラスだったよ! ほらお父さんに写真撮ってもらったんだ」


 校門の前で撮ったらしいデジカメのツーショット写真を小春が嬉しそうに見せてくる。

 栗色のショートヘアの少女と、長い黒髪の女の子が仲睦まじく肩を寄せ合い画面の中でピースしていた。


 美羽ちゃんは近所の商店街にある喫茶店『レイニーブルー』の一人娘で、小春とは今年で十年の付き合いになる大親友だ。

 小春とはまた違った系統の、艶めく黒髪と涼やかな目元がクールな美人さんである。



 ……あれ。なんだろう。この違和感。何か引っかかる。



 なんだ。何が引っかかるんだ。黒髪……?



「どうしたの? 具合悪い?」

「…………いや、なんでもない」

「? 変なの」


 結局、違和感の正体は掴めなかった。くそっ、モヤモヤする。

 

 と、ここでキッチンからできたてのカレーが入った大鍋を持って母ちゃんがリビングに顔を出す。


「あら、晃弘。おかえり。どこ行ってたの?」

「ちょっと本歩来寺まで」

「相変わらず仲いいわねぇアンタたち。さ、冷めないうちに食べましょ」


 それぞれが好きな量のご飯とカレーを皿によそって、テレビはつけっぱなしのまま、にぎやかな我が家の食卓がはじまる。

 俺はいつも通り超大盛だ。


 テレビでは丁度夕方のニュースをやっていた。

 どうやら東京を中心に不可解な記憶喪失が多発しているようで、最近では地方でも同じ症状を訴える人が増えてきているらしい。

 症状の出ている人々は年齢も性別もバラバラで、どういうわけか帰宅中の記憶だけがすっぽり抜け落ちてしまうらしい。


 一見事件性は無さそうに見えるが、SNS上で同時期に大勢の人が似たような書き込みをした事で話題になり、いよいよテレビでも取り上げられたようだ。


「そういえば、美羽ちゃんもこの間急にいなくなっちゃって大騒ぎだったわね。夜中に自分で帰ってきたからまだよかったけど、小春も気をつけなさいよ?」

「はーい」


 テレビを見てつい先日の騒動を思い出したのか、母ちゃんが小春に注意を呼び掛ける。

 確か、おばあちゃんの家に一人で遊びに行ったらしいのだが、家に帰る途中で迷子になってしまったらしい。

 本人もその時の事は覚えていないようで、気付いたら家の前にいたのだという。

 無事に帰ってきてくれてよかったとは思うが、真面目でしっかり者な美羽ちゃんらしからぬ事件だった。


 カレーを食べて腹もくちくなると、疲れが出たのかいよいよ瞼が重くなってきた。


 ぼんやりと洗面台の鏡に映る自分の顔を眺めながら適当に歯を磨き、そのまま亡者のような足取りで自分の部屋へ戻ると、服を脱ぎ捨て、のそのそとパジャマに着替えてそのままベッドへ倒れ込む。

 疲れていたこともあって、俺の意識はあっという間に微睡まどろみの中へと落ちていった――――――。










「……で、ここはどこだよ」


 気が付くと俺は地下鉄駅のホームにいた。

 駅名は文字化けしていて読むことができず、切れかけの蛍光灯がブツブツと点滅しながら頼りなくホームを照らしている。


 地上へと繋がる出口はどこにもなく、ホームには色あせたベンチが一脚置かれているだけだった。


 すると、すぐにどこからともなくアナウンスが聞こえてきた。


『まもなく列車が来ます。この列車に乗ったらあなたは酷い目に遭います』


 乗ったら酷い目に遭うとは、またずいぶんとトンチキな予告だな。


「これ、もしかして猿夢ってやつか?」


 いつだったか、ホラー系のまとめサイトに書かれていたのを見た覚えがある。

 曰く、この電車に乗ると猿に爪をがれたり、目玉をえぐられたりするらしい。そしてその傷は現実にも反映されるのだとか。

 それにしたって、昨日の今日である。いくらなんでも怪異の遭遇率高すぎじゃないか?


「また厄介なものに巻き込まれたわね」

「うおぉっ!? いつの間に!?」


 振り替えると、びっくりするほど綺麗な黒髪メイド少女がそこにいた。

 はて、このメイドさん、どこかで会ったことがある気がするのだが、どこで会ったのだったか……。


「……あんまりジロジロ見ないでくれる? 気持ち悪い」

「いきなりご挨拶だなこのメイドは!?」

「客でもない相手に愛想よくする義理なんてないわよ。この視姦魔」

「誰が視姦魔じゃい!? このまな板メイ……ド。まな……板? あぁ!? ツンデレイラ!」


 その時、俺の脳裏に昨夜と今日の記憶が一部蘇った。

 具体的に言うと、チビと馬鹿にされた事と、ものすごく渋い紅茶を出されたことを!


「何よツンデレイラって!? 思い出すにしたってもうすこしマシな思い出し方しなさいよ! ホンット失礼なチビ助ね!」

「お前にだけは言われたくねぇよ!」


 やいのやいのと言いあっている内にトンネルの奥から電車がやってきて、目の前でドアが開く。

 銀色の車体には可愛らしくデフォルメされた猿が描かれており、車内には妙に顔色の悪い乗客が三人座っていた。


 ふと、乗客の女の子と目が合う。

 あのおさげ髪と丸メガネには見覚えがある。今朝、教室の心霊騒ぎでもまるで動じず、逆にクラスの皆を落ち着かせようとしていた委員長っぽい子だ。


 見た目があまりにも「マンガに出てきそうな委員長」そのものだったから印象に残っていた。

 名前は確か……そう、安藤さん。

 入学式の後にクラスで簡単な自己紹介の場があって、名簿順で一番最初だったから思い出せた。


 た す け て。


 声を出せないのか、口の形だけで俺に助けを求める安藤さん。

 その顔は恐怖に白く凍り付いている。


「オッケー任せろ!」

「あっ!? ちょっと! あぁもうっ!」


 考えるまでもなかった。

 この状況で何もせずに見送るなんて爺ちゃんなら絶対にしないはずだ。


 なによりこのまま目を覚ましたとして、明日学校に行ってクラスメイトの訃報を聞いたらそれこそ後味が悪いし、そんな高校生活楽しくないに決まっている。


 自分を信じて諦めることなく全力を尽くす。ハッピーエンドはいつだってその先にある。そうだろ、爺ちゃん!


『列車が発車します。閉まるドアにご注意ください』


 俺たちが電車に乗り込むと背後でドアが閉まり、電車はゆっくりと動きだした。

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