第30話 動物園の主4


 チマルマは、広場の端で冷たい汗をかいていた。

 灰色熊とエナの動きは、なんとか目の端で追えるものの、信じがたい速さだった。


 速さだけを比べると、やはり獣である灰色熊の方が速い。それを、エナは様々な歩法や技で切り抜けている。


 エナが、いかに仙術気身闘法の使い手とはいえ、人間に可能な動きなのかどうか、チマルマには分かりかねた。

 いつの間にか、短槍を握りしめ、戦いに魅入みいってしまっていた。


 エナが貫頭着ウィピルを脱ぎ捨て、何かを口に入れて咀嚼そしゃくすると、場の雰囲気がまた一段変わった。


 怖気おぞけが立つような気が、エナの全身から立ち上りだし、動物園の主も動きを止めて、距離をおいた。


 あご先から汗がしたたり落ちるのに、喉はひりつくように乾き、空気は肌にまとわりついて固まっていく気がする。

 自分の目で確かに見ているのに、現実離れし過ぎていて、どこか幻想じみた気さえする。


 呪術師や神官戦士は、戦いの時に麻薬や幻覚草を使い、中には悪魔草と言う禁忌きんきに触れるものもあるという。

 悪魔草を使いこなせる術師は、ほとんどいないが、エナならばもしやという気もする。


 ふいに、エナがまとっていた闘気が、輝く黄色から黒く変わった。


 闘気には色があって、目の端にのみ写る光として、かすかに感じることができた。

 生命の輝きは、たいてい黄色味を帯びていて、他に多少は人によって違うが、黒というのはありえない。

 

 しかも、黒というより闇で、闇が満ちた夜のようにも、虚無のようにも見え、よく見ようとすればするほど見えない。


 エナの姿は、拳を構えて立ったまま、瞳を閉じて動かないだけなのに、見ようとするとどうしてもよく見えない。

 その様子は、チマルマの目と脳を混乱させ、眩暈がしてきた。


 分かるのは、なにか見たこともないようなことが起ころうとしていることだけだ。



 †


  コスクァの耳に、雷が落ちたような音と、どんっと重く大地に響く振動が伝わってきた。

 雷転瞬動と虚砲ということは、すぐ分かった。音と振動におびえ、木々に止まっていた小鳥が鳴きながら飛んでいく。


 いかなる上級仙術であろうと、大いなるものにかなうはずがないのだ。

 

 ずっと昔、チチメカのさらに北の地から灰色熊を連れてきて、動物園に閉じ込め、以来生け贄の人間の死体を食べさせ続けている。

 定期的に猛獣を集め、動物園に放しているが、灰色熊は主の座を譲ったことがない。


 として、ますます獰猛ねいもうさは増し、いよいよ王たる風格と覇気を身につけるに至っていた。


 今まで何人もの戦士が、試練に挑戦したことはあるが、誰一人として生きて帰った者はいない。


 コスクァの足元にありってきた。無造作に踏み潰し、そのままさらに踏みにじった。

 

 これと同じことが、この先の試練の間と呼ばれる広場で、今日もまた繰り返される。

 









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