第二話

「立ち話もなんだ。時間もあるしどっかに座ろう」


 荷物は申し訳程度に敷かれたジョギングコースに放置して、橋の下までは来ず、一本目の橋がある東側の川辺にあるベンチへ腰掛ける長身おかっぱの女性。

 早く帰りたいと言ってる人間に時間があるとか挑戦的だなと思ったけど、昔からこうなので聞かなかったことにしておく。

 普通にしてても特異なシルエットをしている彼女が夜に川沿いの、丸太を何本か半分に切って据え付けたような木製ベンチの泥を払い座っている。

 それだけで今の時代では最先端過ぎる前衛的な不気味アートに見えて、実際街灯に照らされた影がまさにそれとしか言えない完成度だった。

 ……いや、そうじゃなくて。


「そんなベンチに座ったらお尻汚れますよ」


 時すでに遅しな注意を投げかける。

 ここは数日前の大雨で水没してた上に連日の天気の悪さでろくに日光を浴びていない。

 靴から伝わる地面は湿ってる感じだし、それはベンチも例外ではないだろう。


「いいじゃん別に汚れるくらい」


「濡れますよ」


「ちょっとくらい濡れてもすぐ乾くからいいの」


 私の注意もどこ吹く風で、高そうなスーツに身を包んだまま、それが汚れることも我関せずで持ってきていたカバンを漁り始める。

 自分もどこかに、と思ったけど、来た時と同じで座れそうな場所はどこにもなく立ったままで彼女の様子を眺める。



 彼女、須藤梨李と私、乙木野葉梨の関係は長い。

 私が六歳になるかならないかの頃に出会って今に至っているから、おおよそ十年ほどこんな軽口を叩き合う関係が続いている。

 と言っても同級生というわけではない。

 こっちは市内に暮らす高校生。

 向こうは市内で勤める社会人。

 歳の差だって十二歳あるし。

 親戚でもないし。

 親兄弟繋がりでもないし。

 ご近所さんでもない。

 一見すると全く接点の無い私と彼女。

 出会うキッカケとなった交通事故さえなければ。


「あったあった。はい、今回の資料」


 一生涯出会うことはなく、こうして夜中一緒に出歩くことも、似たような秘密を共有し合う間柄にもならなかっただろう。

 それくらいに生きている場所と見ている物が違う人だ。


「まだ引き受けるとは言ってませんけど、私」


 カバンの奥から出てきた大きめの封筒を受け取り、中に入っているクリアファイルを取り出す。

 挟まれているのはA4のコピー用紙に印刷されたいくつかの隣接する市と三綴市とを横断する川が中心にある地図。

 所々赤ペンで手書きがされ、恐らく距離であろう数字に二重丸がしてある。

 他には個別に袋に入れられた白黒写真が数枚。

 どこからどう見ても土砂崩れを写したカラー写真が数枚。

 カラーの方はどれも似たようなものばかりでそれ以上の情報は見当たらず、早々と切り上げ白黒の方をよく眺めた。

 山中らしき場所に立つ小振りの鳥居と、草花だらけで猫の額ほどしか無い境内、コケを生やした木造の何か。

 その中の一枚、大人の頭部がすっぽり入る程度の小屋の中。

 祀られているんだろうなとわかる位置で古ぼけた石が、舟みたいな屋根の両端から伸びるしめ縄らしきものを装飾された姿で写っていた。

 奇妙な形だなと、第一印象で思った。


「……また随分と大きな探し物ですね。それでこれが」


 今日私を呼び出した理由ですか、と聞こうとしてハッと口を閉じる。

 手に持つ資料を若干ずらして須藤さんの方を見るとこっちを見てニヤニヤしていた。


「あれあれ? 引き受けるって言ってないのにめっちゃ乗り気じゃん乙木野さん?」


 人を煽るようないつもと変わらぬ物言いにムムッとする。

 眉間にシワを寄せて、うーんと唸って。


「……わざわざ呼び出されたからには無駄足だったな疲れたなで帰りたくないので」


 溜息を吐きながら答えた。


「ほんと素直じゃないねキミは」


 私の様子に「ギャッギャッ」と笑う須藤さん。そのたび見えるギザギザの歯が今いる場所も相まって余計薄気味悪く見えた。


「はじめっから「きゃ~☆ 須藤さんの頼みならぁ~☆ 私頑張っちゃいますよぉ~☆ キャピ☆ キャピ☆」って言えばいいのに」


「誰ですかそれ気色悪いです」


「「キャピ☆ キャピ☆」言うでしょ今の子」


「どの世界の今の子ですかそれ」


 私ではない私の物真似にうげぇと吐くフリをする。

 ……まぁ、そこまでではないにしろ、手伝うとバイト代が貰える関係で頑張るには頑張りますけど……って心情を知ってるくせに。

 本当意地が悪いなと小声をもらしつつ、話を聞こうとその場に屈む。


「ベンチ座るの嫌ならそこの荷物に座れば?」


 指差す方へ視線を流せばジョギングコースとして舗装された道に置かれた、運ぶ用の車輪が付いた台車に乗っている細長い荷物。

 ベンチからそんな離れてないし座れそうだしで近付いていく。

 ひと二人は乗れそうな大きさ。

 被せられたブルーシートの両端から本体がはみ出ている。

 心当たりあるなコレ。


「これ何ですか?」


「ボート。二人乗りの」


「前に見せてくれた物置の?」


「あったり~。じいちゃんのお古。エレキモーターの修理終わったから持ってきちゃった」


「エレキモーター?」


「アレだよアレ。ボートの後ろに着いてるスクリューブァァァァァンってやつ」


「あーあのスクリューブァァァァァンですか」


 なるほど通りで見たことあるわけだと納得して、えっ、何でボートと納得を取り下げた。

 にしてもなんだスクリューブァァァァァンって。通じたからいいけど。


「どうせ後で取るからシート外していいよ。その方が座りやすいだろうし」


 お言葉に甘えてシートを剝がす。

 全貌が明らかになると確かに釣り人が池に浮かべているのをよく見かけるボートで、ご丁寧にオールが二本と、何故だかプールレーンの浮きが一つだけ付いた長いヒモが一本束にされ入っていた。

 それらを視界の端に置いて。

 かけてあったブルーシールを畳みボートの中に置いて。

 最後に体重を預ける形で縁にお尻を置いた。

 全体が僅かに傾きすぐに落ち着く。


「……それで」


 一呼吸置いて、止まっていた話を切り出す。

 嫌な予感しかしないけど、どうぞ話して下さいと促す。


「いやそれがね、流されたんだよ」


「何がです?」


 世間話を切り出すみたいな軽口で須藤さんが言ったのは。


「赤い鳥居の。ほら、渡した写真に写ってる」


 そんな突拍子もない出来事だった。

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