この怪獣、影がないよ

 とりあえず落ち着こう。ってことでカバンの中から取り出したのが、チョコミントボックス。緑の缶に控えめな文字で【チョコミント】って書かれた、チョコミントに関するもの――基本的にお菓子――が詰まった幸福の塊。それがチョコミントボックス。でもこの名前を付けたのは、私じゃなくてナナだったっけ。って、危うく回想を始めそうになってしまうあたり、まだまだ私自身が落ち着いてないのかもしれない。

 だから、私は蓋をぱかっと開ける。

 そうすると中から溢れ出した清涼で、バス停の温度が少しだけ下がった。

 清涼が溢れ出すって言っても、実際に清涼が匂いになるわけではなくて、ミントの香りが清涼を伴っているってこと。チョコミントボックスの中から一つ包装を取り出す。それは私が、最近のチョコミント系お菓子の中で一番好きなお菓子。なぜかっていうとチョコの味が結構甘くて、口の中に爽やかさと甘ったるさを同時に、それもくどいくらいに残してくれるから。清涼って瞬時に涼しさだとか心地良さを残す反面、さらっと過ぎ去っていってしまうものだけど、チョコレートの甘ったるさ・くどさみたいなものが合わさることで、清涼が粘りつくようなそんな気がする。

そのお菓子を食べたからなのか、バス停の中も私の口の中と同じように清涼が維持され続けているような、そんな気がした。いつまでも粘り強く残る清涼。蒸し暑い夏のオアシス。

「ナナも食べる? 口の中だけでも涼しくなれるよ」

 普段からナナには、何度も何度もチョコミントの魅力を伝えているけれど、いつも拒否され続けている。だけど、今日は違う。そんな気がする。ナナの性格からして、落ち着かない時には藁にも縋る気持ちが働くのか、なんでも受け入れる傾向にあるっていうのを私は知っている。

 きっと、今日は食べてくれるはず。

「そうだね。チョコミントでもなんでもいいから、食べて気を紛らわせたいかも」

 ひょいびりぱくって感じで、指で摘まんだ包装を取って破って中身を口に。

「すっごい、甘いんだけど……それにやっぱり、歯磨き粉の味もする……」

「ちょっとは落ち着いたでしょ?」

 しかめっ面のナナ。

「落ち着いたっていうより、甘ったるくて、なんか他のこと、どうでもよくなったって感じかも」

「まあ、結果オーライ?」

 曖昧な表情が肯定とも否定とも取れるように見えるけど、今回はとりあえず肯定ってことにしとこう。

 だって重要なのは、そこじゃないから。

この影が消えた現象について考えることが、一番重要なはずだから。

「それにしても、なんで影が消えたりしたのかな?」

「えっ? これって影が消えたの?」

「えっ? それ以外に考えられる?」

 認識の違い。

「私はてっきり影が出来なくなったのには、私たちの方に原因があると思ってた。でもナナ的には私たちの方じゃなくて、影の方に原因があるって考えてるんだよね?」

「なるほどね。確かにうちは、影の方に原因があると思ってる。だって、うちらの手は透明になったわけじゃないでしょ? それに、触ってもちゃんと感触だってあるでしょ? それだったら、変わったのはうちらじゃなくて、影の方じゃないのかなって」

 そういわれると、ナナの意見が正しいように思える。

「色々試してみないと」

「そうだね」

「とりあえずの方法として、私たちの持っているものに影ができるかを試してみるのが手っ取り早いと思うんだけど」

「それじゃあ、はい、これ」

 なんていって手渡された、ナナのカバンに影はある。ナナがカバンを漁って出てきた化粧ポーチにも影はある。アイブロー、マスカラ、ファンデーション、グロスとかその他諸々に、しっかり影、影、影、影。

影がないのは、やっぱり私たちだけなのかも。

「これ本当になんなんだろう?」

 私の問いに、首を傾げて答えるナナ。その動きのかわいらしさみたいなのが、今の深刻さとは対照的で、なんだかおかしくて吹き出してしまう。少しだけ不安が飛び去っていく。

 緑の夏の空に。

 緑?

 空の色が緑っていうのは、さすがに違う。だって夏といえば、入道雲の白と澄み渡る青。そこに強い太陽の日差しがあって、コントラストの激しい世界が広がる。

 それが夏だっていうのに、それなのに。

 あれはなに?

「どうしたの?」いや、どうしたのっていうか、なんていうかって感じ。

「なんなの、本当。次から次にさあ」

 私の視線は、ナナを見ていないから想像でしかないけど、でも、それでも確実にナナもこれを見ているんだって分かる。

 ゴジラみたいな。

 緑色の大きな怪獣。

 ところどころが黒い。

 さながらチョコミント。

 怪獣を下から上まで見る。

「すごい大きいね、この怪獣」

「そんな呑気にいってる場合?」

 そこで私は大切なことに気付く。

「ねえナナ。この怪獣、影がないよ」

 田んぼ、道路、バス停、私たち。

 そのどこにも怪獣の影はない。

 ナナは周囲を見渡している。

「ほんとだね。それじゃあ」

「多分この怪獣がヒント」

「そういうことだよね」

 チョコミント的な。

 怪獣がヒントか。

「っていうか、あの怪獣溶けてない?」

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