第一部 第四章 例えば世界が君を殺すとしても

18話 遺産


 私は今、とあるマンションにメイドと二人で暮らしている。

 この生活は父が残してくれた宝石類のおかげで成り立っているらしい。

 生まれたその瞬間には父は死んでいて、彼のことはよく知らない。

 でも生まれてからずっと私の世話をしてくれているメイドが、父についていくつか教えてくれた。

 父が"魔王"であり、人類に殺されたことも。

 残念ながら私には父の記憶がないため、何も感じなかった。

 仕方がないことだとも思うけれど、せめて一度は会いたかった。

 どうして人類を侵略しようとしたのか、私は知らない。

 今の私の価値観では、それは悪行でしかない。

 今もその悪行のおかげで、私は着実に死へ向かっている。


「描絵手様、コーヒーを入れました。」

「ありがとう。」


 私の"朝比奈 描絵手"という名前は、父が付けてくれたらしい。

 なぜ地球風の名前なのかというと、父の最後の望みが私の平和な生活だったからだと、私は聞かされている。

 つまり人間として地球に擬態させることによって、戦乱から遠ざけたかったのだそうだ。

 そして父の望みも半ば、ついに私の正体はばれてしまった。

 いつかはこんな日が来るのではないかと本能的に理解していた。

 仕方がないと人生を捨てれるほど、私は年を取っていない。

 この世界は私にとって、とても美しく、歓喜に満ち溢れていた。

 この世界の全ての生活は、私にとってまるで宝石のようだった。

 出来ることならばもっとこの世界で生きていたかった。

 でもそれはできない。

 私の父が残した負の"遺産"が、私なのだから。


「描絵手様…本当に…よろしいのですか?」


 彼女の名前は"柵魔(さくま) 文歌(ふみか)"。

 黒髪に黄金色の瞳。典型的な魔族の容姿をしている。

 ショートボブで色白だから、私よりもずっとかわいいと思う。

 彼女は魔人だ。私とは違い、純粋な魔人。

 魔王討伐後、世界から消えたとされている種族だ。

 こんなことを言えば彼女はきっと怒るけど、私が死ぬのは彼女の為でもある。

 私が死ねば彼女も自由に生活できるはず。

 彼女の年齢は私と同じだ。

 純粋な魔族の成長速度は人間よりもとても速く、そして長寿だ。

 その代わりに出生率が低く、繁栄し辛い種族でもあったらしい。

 生後一か月で、十五歳くらいの肉体年齢に到達する。

 そこからは緩やかに大人になっていくけれど、人間とはだいぶ違う。

 今はなき過酷な"魔界"で魔人が生き延びるために進化した結果だ。

 彼女は使命と私と共に、時間転移という無茶な魔法でこの世界に来た。

 つまり彼女は私よりも少し早く生まれただけで、同い年だ。

 私の半分は人間で、私は人間と同じように成長した。

 彼女が私の世話をしてくれていなければ、きっと死んでいたはず。

 だから私には一生かかっても返せないような恩が、彼女にある。

 だからこそ彼女には今日までの私と同じく、人並みの生活をしてほしい。

 私という枷が外れれば、おのずと彼女も自分の道を生きるはずだ。


「もういいの。今までありがとう。もう、逃げるのも辛いの。」

「…私は…どうすれば…あなたの為だけに生きるのが…私の…。」

「使命?でももうそれもなくなる。だから文歌は自分の為に生きて。」

「…自分の…為?」

「うん。文歌にだから出来る、文歌だけの人生を歩んで。」

「でも私…やっぱり描絵手様の側にお仕えしたいです。」

「だからこそあなたは私の母であり、姉であり、友人でもあった。あなたのおかげで私は今日まで生きてこれたの。」

「そんな、光栄です。」

「…でも最後に私の我儘を聞いて欲しい。あなたにはあなたの人生を歩んで欲しいの。それが私に出来る、最後の恩返しだから。」

「…描絵手…様。」


 文歌の頬に涙がつたった。

 ずっと一緒に生活していたから、私と彼女には確かに絆があった。

 きっと私が素直に投降すれば、彼女が死ぬようなことはないだろう。

 彼女だけでも父の呪縛から解放され、自分の人生を生きて欲しい。


 ピンポーンッ。


 インターホンが鳴った。

 室内モニターを確認した後、私は扉に向かった。

 全てを受け入れる準備はもうずっと前に出来ていた。

 扉の前に立っているのは三人だった。

 背の高い灰色の髪と目をした男。

 次に金色の髪と目をした、少しだけ耳の長い男。

 最後に純日本人で、黒髪を美しく伸ばした女性だった。

 そして皆一様に白いコートを着ている。

 扉から出ようとする私の手を、文歌が引いた。


「描絵手様…やっぱり私も…お供します。お供させて下さい!」

「文歌…ダメだよ。あなたまで死んだら私一生後悔する。何度も話合ったでしょ?」

「でも…私やっぱり!」


 私は最後に温かさを感じたくて、彼女を抱きしめた。

 ギュッと、強く、しっかりと。

 とても温かく、どこも人間と変わらない。

 でもきっとそんな感覚だけじゃ理解できない誰かが、私のことを殺す。

 父がしたことがどれほどの悪行か、私でも知っている。

 私が死んだ時、きっと父は初めて後悔するのだろうと思う。

 自分のした選択が何も救わないことを知って。

 でも父はこの世界にいない。

 後は私がいなくなれば、全てが終わる。

 それだけ、それだけの話だ。


「描絵手…様。」


 未だ泣き止むことのない彼女を置いて、私はエントランスに向かった。

 私が向かうと、彼らは目を見開いてこちらを見ている。

 少しは抵抗されるとでも思っていたのだろうか。


「…君が"一色 描絵手"か?」

「はい。その通りです。」

「随分と素直に投降するんだな?何かの作戦か?」

「そんなことを考えていたんですね。作戦なんてありませんよ。」


 そう断言する私を見て、三人組のシェルは少しだけ戸惑った様子だった。

 すると先頭に立つ灰色髪のシェルが、静かに口を開いた。


「死を受け入れるのか?」

「はい。そのつもりです。」

「そうか。どうも魔王のような悪人ではないようだな。しかし君の存在は後に大きな災いをもたらす可能性がある。どちらにせよ生かすことはできない。」

「はい。」

「ただ我々にも同情する気持ちはある。最後にどこで死にたいか、選ぶといい。君が望んだ場所で、最後を与えよう。」


 灰色髪のシェルは相変わらず険しそうな表情だ。

 でも彼の口調は常に誰かに約束するようで、説得力がある。

 言葉の重みみたいなものが、そこには宿っていた。


「なら最後は…秋葉原がいいです。」

「…また最後に随分と無茶を、だがいいだろう。」


 彼は渋い顔で了承すると、どこかに電話をし始めた。

 通話はおよそ一分弱で終わり、彼は再び私の方を見た。


「さて、行くぞ。」


 転移門のおかげでアキバまですぐに着いた。

 道中にはそれなりに人がいたけれど、最も人がいて賑わうはずの大通りには誰もいなかった。

 元々シェルターについてはさほど知らなかったけれど、彼らがこの世界に深く根付いていることだけは理解できた。

 きっと逆らって逃げ出しても無駄だったと思う。

 こうも簡単に、アキバから人が消えるのだから。

 私は誰もいない秋葉原の高いビル群を眺めながら、大通りを歩いていた。

 非日常でしかないその光景が、私の周囲を包みこんでいる。

 私は欲しいゲームが発売されるたびにここに来た。

 行列に並ぶのは苦手だけど、それも味の一つだと思う。

 この場所には、そんな些細な思い出が沢山詰まっている。

 普通に生きて、普通に笑って、普通に泣いて。

 彼と出会うまで私の今までの人生は、本当に普通だった。

 でも彼と出会って、世界が変わった。

 やっと前進した気がしたんだ。

 でも…きっともう彼には会えない。

 こうして日常に触れると、そんな悲しいことを考えてしまう。


「そろそろ始めるぞ。あまり長くこうしていると、記憶に残りやすい。」


 純日本人の女性が、魔法陣を展開している。

 闇属性魔法だ。


「"無痛(ロスト・ペイン)"。」


 彼女は私に魔法を行使した。

 魔法の知識は少しだけある。

 闇属性弱体魔法で、人体から痛みを取り去る魔法だ。

 その時が訪れたのだと、私は悟った。


「…尚刀、本当にこれが正しいことなのか?なんか俺…。」


 金髪のシェルが、辛そうな表情でそうつぶやいている。

 あまりに無害で、あまりに普通な私を殺すのだから、それも無理はない。

 私は魔人の血そのものを嫌って、一切力を高めようとしなかった。

 だから実は凄まじい力を隠しているだとか、そんなことすらない。

 見つかれば最初から死ぬだけだった。

 もしかすると私は、それを望んでいたのかもしれない。


「魔人たちは今も世界のどこかで生き延びている。彼女の存在を知れば、再び協力し合い世界を戦乱に導くだろう。彼女には悪いが、これも世界の為だ。」

「…そう、だよな。俺が悪かった、続けてくれ。」


 灰色髪のシェルが私の肩に触れ、私を膝で立たせた。

 そして腰に身に着けた刀を、力強く抜刀した。

 皮肉にも刀を見て、最後の最後でまた彼を思い出してしまった。

 正直彼のことは、なるべく思い出したくなかった。


「最後に言い残すことは?」

「…ありません。」

「ならば最後に聞いていけ。君のおかげで人類は未来永劫繁栄するだろう。君を殺すのはこの俺、"織田 尚刀"だ。恨むのなら、俺を恨め。」

「俺は"千里 リヒト"。」

「私は"水無瀬 美南海"。」


 三人が名乗り終わると、やけに時間がゆっくりとしている感じがした。

 まるで突風のように吹き込むビル風が、私の髪を大きく揺らした。

 空を見上げれば皮肉にも今日は快晴で、なんとなく死ぬにはいい日なのかもしれないと思えた。

 最後の最後で友人に恵まれたいい人生だった。

 友達と笑い合い、不特定多数の友人たちに絵も褒められた。

 だから後悔なんてない‥‥‥…‥‥‥‥‥‥…‥‥


 …………………嘘だッ。


 そんなの偽りでしかない。

 本当はもっと生きたかった。

 もっと絵を描きたかったし、もっと友達と笑い合いたかった。

 人生を謳歌したかった。

 後悔しかない。

 せめて最後に、彼に自分の気持ちを打ち明けるべきだった。

 人より自信のない私の未来への扉をいとも簡単に開けた彼に。

 "好きだ"と、そう伝えたかった。

 自信のない私は、そんな簡単な言葉さえ彼に伝えることができなかった。

 もっと人生が続いていたら、そんな未来もあったのだろうか。

 先を想像するたびに、私の胸に張り裂けるような痛みが走る。

 それはやがて徐々に上へと伝わり、私の頬に雫を津たらせた。

 一滴、また一滴と流れるそれを、私は止めることができない。

 一度溢れ出した感情は、すでに私を遥かに凌駕し、思いを外へと溢れ出させる。


 そんな私の思いを世界はないがしろにし、織田と名乗る男は手に持った刀をゆっくりと振り上げた。

 私は最後にうつむくのではなく、空を見上げた。

 皮肉にも快晴な、この空を。

 私だけに降り注ぐ雫は、全て私から流れ落ちている。

 泣かないと決めていたのに。


 …?


 そして私は、違和感に気付いた。

 いくらその瞬間を待とうとも、何も起きない。

 私の祈りが天に届き、時が止まったのかと思えた。

 そんなわけがないと思考を振り払い、私はゆっくりと正面を向いた。

 そこには見覚えのある恰好をした、一人の男の子が立っていた。

 やけに明るい色のパーカーと、丸眼鏡型の中二病サングラスで。

 私の目が彼を移すと、さらに雫を溢れさせた。


《ギリギリになってごめん。》


 彼はまるで、いつも通りの待ち合わせに遅れたかのように謝罪した。

 奪われた日常が、私の手元にふと落ちていたかのように。

 唐突に目の前に現れた。


「どうして…来ちゃったの?こんなことすれば…あなたまで。」

《友達だから。》

 

 彼が当たり前のようにそういうから、私はキョトンとしてしまった。

 私が彼と言葉をかわそうとすると、織田と名乗る男がそれを阻んだ。


「何者だ?」


 そう聞かれた彼は私から視線を外し、ゆっくりと織田と名乗る男を見た。

 

《新米動画投稿者、夢霧無だ。》


 相変わらず少しだけ気の抜けた変声機ボイスで、彼は高らかに名乗った。

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