第3話 「良かったじゃん。邪魔者がいなくなって」

 あれ以来、毎日のように俺の周りには人が集まるようになった。朝、昼、それから放課後、席に座れば人の輪、移動教室の時には人の群れ。そんな状況に俺は充実しているなと感じていた。俺はこういう状況に憧れていたのだ。


 だがここ最近、これとは別で変わったことがある。


 周りに人が集まるようになった結果、俺は百合園七瀬と話す機会が激減してしまったのだ。そして、今となってはすれ違い様にニコリと微笑み合うようなくらいの関係だ。隣の席にいるというのに、距離が遠い。


 俺は大勢に囲まれながら話しているが、彼女は相変わらず一人ぼっちだ。


 その現状に申し訳なさを感じた。今こうなっているのは全部彼女のおかげなのだ。だから彼女にお礼をしたい。それでも彼女は何もいらない、何も困ってないと言わんばかりの形相で本と睨めっこをしている。


「おい康太、どうした?」

「あ、いやなんでも」

「それでさ──」


 その時、ガラガラっと教室の扉が開いて「七瀬」と、女子生徒と思われる弾んだ声が聞こえてきた。


 別に自分が呼ばれた訳ではないが、俺は不意にその声を辿って女子生徒の方を向いた。その女子生徒の目線の先にいた桐崎七瀬が「私?」と自分で指差すと、「他に?」と女子生徒が答えた。


 そして桐崎七瀬はスタスタとその女子生徒の方へ向かって行った。


「大体、あっちの七瀬なんて名前を呼ばれる友達もいないしさ、いないも同然だよ」


 あっちの七瀬というのが、隣の席の百合園七瀬を表しているのはすぐに察した。桐崎七瀬は横目で、隣の百合園七瀬の顔を数秒伺って「そうだね」と笑いながら女子生徒に返した。


「それで、何? たまき」

「それでね──」


 途端に俺は怒りに駆られた。そのたまきというやつの百合園七瀬への罵り具合。相槌を打った桐崎七瀬も同罪だ。流石に許せない。


 さっきから視界に映り込んでいる百合園七瀬の様子はというと、何も変わっていなかった。たまきという生徒に「七瀬」と名前を呼ばれた時も、まるでたまきの言うように、私は呼ばれる友達なんていないから私じゃない、と言わんばかりに微動だにしていなかった。


 確かに彼女を名前で呼ぶのは俺以外ほぼと言っていいほどいないだろう。それにしてもその反応のなさは切ない。


 ──本当に何も気にしていないのだろうか?


 内心が知りたい。それ以来から、もう百合園七瀬との廊下でのすれ違い様の微笑み合いは愚か、会釈すらもなくなった。つまり彼女とは隣の席なのに疎遠になってしまったのだ。




 それから数日、俺は毎日のように女子からの注目を浴び、黄色い声を聞かされ、毎日飽きもせず同じ言葉を放つ生徒達に愛想笑いを浮かべて受け流していた。だが、その中で変わった言葉が聞こえるようになった。


「あの女とやっと離れたね」「まぁ、釣り合わないもんね」「康太と肩並べるとか図々しいよね」


 そんな声が聞こえるようになった。今まではそんな悪口のようなものはない……とは言えなかったが、今では格段に増えている。そして彼らの言っている事をおおよそ訳すと、


──百合園七瀬が俺と離れたことが喜ばしい


 あいつらはそう思ってると言うことだ。


 その日の放課後、百合園七瀬との疎遠に耐えられなかった俺は、廊下を歩いている彼女に声をかけた。いつも当たり前のように呼んでいた彼女の名前を、今回は口にするのにとても重く感じてしまった。


「七瀬」


 すると彼女は一瞬ピクリと肩を震わせた。だか、そのまま歩を進めたままだ。だから次は「七瀬」と肩を掴みながら呼んだ。


 彼女は振り返り、全く変わらないいつもの反応の仕方で「何?」と口にするのであった。彼女との距離を気にしていたのは俺だけのようだった。その穏やかな表情は、やはり何も気にしていない表情だ。


 世の中には、一人でいる方が楽という人がいる。現に俺は中学で一人だったが楽だった。きっと彼女も同じなのだ。そんな似た者同士だったから俺は意図的に百合園七瀬と仲良くなれたのだ。しかし今の俺は周りに集まる人々と話すことが楽しくなってしまった。彼女とは正反対になってしまったのだ。


──全部彼女のおかげなのに。


「一緒に帰ろう」


 そう声をかけた。いつぶりだろうか。そして俺には断られない自信があった。それほど彼女とは、あの一年間で鍛え上げた硬い絆で結ばれているからだ。しかし、


「ごめんね。ありがとう。でも七瀬さんに失礼だよ」


 そう言うと彼女は体制を直し、再び歩を進めて行ってしまった。俺は唖然とした。彼女は俺が桐崎七瀬と付き合ってると思っているのだ。あれほど相談に乗ってもらって、まだ結果を彼女に言っていなかったのだ。それが彼女への誤解を招いたのだ。


 でも言えるわけがない。あれほど百合園七瀬に協力してもらって、しかも告白する勇気すらない俺をあそこまでにしてくれた。だからそんな彼女に、俺は桐崎七瀬に裏切られたなんて言えない。ましてや告白する事を自分で拒絶したなんてもってのほかだ。


 我に帰り、彼女を引き止めようとしたが、そこにはもう誰もいなかった。溜息をつきながら踵を返そうとした時。


「良かったじゃん。邪魔者がいなくなって」


 その声に心臓が跳ね上がった。前まではその声が聞こえるたびに癒され、喜んでいた俺だが、今は怒りを駆るに過ぎないその声の主──桐崎七瀬。


「それにしても変わったよね康太。もうすっかり別人だよ」

「……」

「ねぇ。私と付き──」

「悪い、頼むからその声で喋らないでくれ。頭が痛い」


 今ある怒りを全てその言葉に込めてぶちまけた。そして、一瞬肩をビクッと震わせた彼女の脇を通り教室へ気持ちを早くして歩いた。


 辺りは誰も居ずに静か。校庭からは部活などの声が微かに聞こえてきた。教室が目前になった所で、先ほどから彼女と思われる足音がついてきてることに気がついた。教室に入り早急にカバンを取り教室を出ようとしたが、扉の前に彼女が佇んでいるのだ。


「そこどいて」

「じゃあ、康太──っん!!」


 名前を呼ばれた途端に、本能からだろうか、まるで光の速度のように彼女の胸ぐらを掴んだ。そしてそこまま横にあった掃除用ロッカー勢いよく押し付けた。ドンッという音が廊下中に響き渡る。


 爪先だけでバランスをとっている彼女を、今度は胸ぐらから口を覆うように掴んだ。顔が小さく、贅肉がないため簡単に握り潰せそうだった。


「その声で俺の名前を呼ぶな」

「んーーっ!! んーー!!」


 爪先立ちのまま、彼女は空いた両手で俺の腕を掴んで引き離そうとしたが、怒りに満ちた俺のこの力には、彼女は敵わなかった。握り潰してしまおうか。すると彼女は瞳に涙を浮かべた、ウルウルとしているのを見て、やり過ぎかと感じた。


「金輪際俺の名前を呼ぶな。ついでに俺と俺の周りに近づくな」


 そうして手を離すと、彼女はトスんと掃除用ロッカーに背を預けたまま床へへたり込んだ。ゼェゼェという息遣いの彼女を見下ろして、教室を出た。


 正直、友達や先生にちくるなりなんなりすればいいと思った。なぜか今はそういう考えになる程落ち着けていられなかった。

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