後 二回目はいつか

 嗚呼、なんて顔するんだよ。

 そんな悲しそうな顔するなよ。

 俺の事なんて置き去りにして逃げてしまえ。

 お前が無事であればどうなったっていいから。

 ごめん

 もう涙を拭ってやれないや


「……この前振った」

 鈴谷が? お前に告った?

 瑠奈のこと好きなんだろうなとは前から思ってたけど

 いつのまに……。

「全体的にタイプじゃなかった」

 普通に仲は悪くないと思ってたけど。

 瑠奈の趣味はわかんないけど。

 誰かのモノにならなくて良かった。

「あと、好かれたいのは鈴谷君じゃない」

 ……????

 好きな人が別にいるのだろうか?

 上目遣いでチラりとこっちを見て、

「私が好きなのは夏芽だよ?」

 耳まで赤く染めて──

 どんな妄想してるんだよ、俺。

 あるわけ無いだろ、どう考えても!

 でも、もしかしたら……?

 ……ありえないだろ、こいつに限って。自分が一番知ってるだろ? 多くのものを望んだらいけない。

 そもそも瑠奈が俺と一緒にいる理由なんて

 ・友達だから

 ・幼馴染だから

 ・普通に勉強教えてほしいから利用してる

 以外あるわけないだろう?

 考えてて悲しくなってきた……。

 何自惚れてるんだろう?

 夢を見たらダメだ。

 少しでも隣に居たいのなら想いは悟られるな。

 友人の一人として側にいれる事に満足しろ。

 大切な友を、想い人を困らせたくないのであれば!

 彼女が少しでも笑顔でいられる未来を望むなら、彼女の望む関係を続けよう。


 ……でも、鈴谷よ

 俺だって長い間片想いしてるんだぜ?

 一途にずっと。

 あの日から。



 初めてだったんだ。

 この子のトクベツになりたいと思ったんだ。

 誰よりも輝いて見えた。

 愛おしいと心の底から思うようになった。

 どんな人と一緒にいるよりこの子の隣に居たい。

 この子のイチバンだなんて傲慢かもしれないけど、目指したい、と思ってしまったんだ。


 別にバレンタインで嫉妬したとか、体育祭で走る姿に惚れたとか、クラスの皆にはやし立てられてとか、そういうんじゃないんだ。

 ただ、いつも隣にいたトモダチが、何がきっかけだったのかは分からないけど、きっと俺はこの子のことが好きなんだ、って気付いてしまったんだ。



 なんてことのない雨の日の朝。

 硝子に雨粒が打ち付ける薄暗い教室だった。

 一足先に着いていた彼女は、濡れた髪を独りタオルでふきながら、教室の戸を開けた俺に「おはよ」って微笑んだ。

 何度も経験した二人きりの空間が、その瞬間今までと別空間になった気がした。

 8時前の教室は、コバルトに机が照らされて、雨が窓を穿つ音と俺の心音が酷く煩かった……のを覚えている。

 まるで映画のワンシーンの様に毎日見ている彼女の顔も声も、何もかもが綺麗だって気付いてしまった。

 ──あぁ、俺、きっとこの子のこと好きなんだ。

 お前に恋なんてする予定は無かったんだけどな……。

 トモダチ以上の関係は昨日まで望んでいなかった。


 いつも通り自分の気持ちに蓋をして、

 気付かない様にそっと鍵を閉める。

 どんな形であれ、彼女と居ることが1番の幸せだから



 ああ! モヤモヤする!

「鈴谷振った」って、俺はどうすべきだ?

 アイツ俺より頭いいし、運動できるし、おまけに身長高いし……。

 ……だめだ、俺の方が勝っている所が何も無い。

 俺、瑠奈に振られるじゃん……。

 瑠奈が俺の事どう思ってるかなんて知らないけど、鈴谷の話を聞いてホッとするどころか不安になる。

 いつかはさ、俺の隣にいてくれなくなる日が来てしまうんだろ?

 今更気持ちを伝えるのは遅い気がする。

 でも、行動をおこさずに「取られたくない」って思うのは傲慢だろうか?

 目の前に広がる手付かずの参考書を眺め、ゆっくりとシャーペンの芯を戻す。

 隣に座る少女は数式を羅列する手が徐々に止まりかけている。

 1人でぐずぐず考えてたって仕方ないよな?

 少女を邪魔しないように出来るだけ物音を立てないように教室を後にする。

 日が落ち始めた廊下の突き当たり。

 薄暗い校舎を青白い光で照らす四角い箱に500円硬貨を投入。

 隣合う缶コーヒーのブラックと微糖を同時に押す。

 ガコン

 ちょっと熱いくらいの黒色の缶だった。

 お釣りのレバーを下げ、硬貨をそのまま入れる。

 左右の人差し指で隣合うボタンを押す。

 ガコン

 黒色の缶だ。

 どうやら瑠奈には選択の余地はないらしい。

 教室に戻ると彼女の手は完全に止まっていた。

「俺じゃだめかな」なんて言えるほどの度胸は持ち合わせていないんだ。

 いじらしいよ、まったく。

 コツンと額にコーヒーの缶をあてる。

「慣れないことして頭使ってるみたいだから、ん」

 慣れないことばっか考えてるのは俺自身か。

「夏芽のくせに、ありがと……」

 頰が赤く見えるのは教室の蛍光灯の影響だろう。

「妙に素直じゃん」

「こういう時は甘いの渡してくると思う」

 選択をミスったか?

 考え過ぎてたんだ、瑠奈の事を考える余裕すらないくらいに。

「鈴谷に腹が立って」

 何言ってるんだろう、自分でもわかんないや。

「私関係ないじゃん」

「逆ギレされた」

 当然だよな。

「もう夏芽とゲット アロングしない」

「古語的な意味でいとほしですね」

「普通に酷い」

 ちょっとムキになり過ぎてしまっただろうか?

 今更考えるまでもないか。

 軽口言い合える仲じゃないか、友達だもの。

 うん、友達なんだ。いつまでたっても。

 温かいはずの缶を握る右手の指先の温度が奪われる感覚がする。

 焦っているのか?

 どうしようもない現実に。

 いくら仲が良くったって付き合っている訳じゃないんだ。自分じゃない誰かを彼女が愛する日が来るかもしれない。いつまでも隣に居てくれる保証なんて何処にもない。それでも未来の事を考えるんだったら目の前を見ろって参考書が呼びかける。

 目先の事が一番大事だよな……。

「よし、もうひと頑張りしますか瑠奈さん?」

「そうですね、夏芽さん」

 うふふ、と笑ってシャーペンを彼女は握り直した。

 この子にとって俺の存在価値は、自分より勉強が出来るだけの友人かもしれない。

 それでもいいか、いや──もっと俺の事見て欲しいなんて子供みたいか?

「瑠奈の理想の夏芽」でいようなんて浅はかな考えかもしれない。

 でも、一番貴女に認めて欲しいんだ。

 残りのコーヒーを流し込み、ノートを広げる。

 ほぼ反射で解答を書き連ねる。

 この子に負けるわけにはいかないんだ。

 誰よりも優秀になれば、貴女は俺を見てくれますか?

 俺のことだけをずっと考えてくれますか?

 遠回りかもしれない。

 無駄な努力かもしれない。

 だけど、やらずに後悔はしたくないだろ?

 貴女の隣に充分見合う様に頑張るから。

 教科書をめくる。

 夏目漱石 夢十夜

 第一夜を読んでふと感じた疑問だ。

 俺は百年も愛する人を待てるだろうか? 約束すらしていないけど、日が沈んで月が昇るたびに──

 あぁ、何で恋なんかしてるんだろう。

 問題に集中しろよ、俺。

 愛だの恋だの言ってる場合じゃない。これで瑠奈に負けたら物凄くカッコ悪いだろ?

 問題を読んで、答えをノートに書く。頭の隅では全く別の事を考えている。丸付けをすれば勿論赤字で直されていく。踏んだり蹴ったりだ。何をやるにもお前は中途半端だって言われている気がする。

 時計を見るとだいぶ時間を無駄にしてしまった様だ。

 今日はもう帰ろうか。

「瑠奈、帰ろ」

 彼女は英文を書く事をやめなかった。皮肉にも自分より集中している。

「瑠奈、瑠奈、瑠奈さん、瑠奈」

 むくり、と顔を上げる。

「あぁ、夏芽か」

 くつくつと彼女は笑った。その笑顔が反則級にかわいい。

 ……お前さ、自分がどれだけ可愛いか自覚した方がいいよ? 俺以外にさ、簡単に見せるなよ?

「夏芽か、じゃねぇよ」

 右手のシャーペンをひったくる。

「ほら帰るぞ、片付けろ」

 のろのろと鞄に教材を詰める彼女を横目に、こっそりシャーペンの蓋を俺のと交換した。

 誰にも取られたくない。

 俺のもんだ、って主張したかったなんて幼稚な考えだろうか?


 校舎の外は車のヘッドライトが忙しなく動いていた。

 家路につく頃には月が白銀に輝いていた。

 隣を歩く彼女のヘアピンがあの日と同じ様にコバルトに染まっていた。

 合格祝いに贈ったヘアピン。

 毎日付けてくれているのは気に入ってくれたと思っていいかい?

 宙に懸かる月とおんなじ色だから選んだもの。ルナっていう名前にちなんで、いや、君にきっと似合うと思って選んだ。

 ──瑠奈、君にとって俺は何?

 君の隣を歩く人が、君が愛する人が出来るまでのちょっとの間、俺は君の隣にいてもいいですか?

 こんな事言うのはカッコ悪いよなぁ。


 鈴の音を転がす様に彼女が鼻歌を歌う。

 ドビュッシー 月の光

 小学校の時「お気に入りなんだ」ってピアノを弾いてくれたことがあったっけ。

 昔も今も目の前の少女は変わらなく愛おしい。

 きっとこれからもだろう。


 ちょっとだけ勇気を出そうか。

 君に伝わるかわからないけど。


「瑠奈さん、月が綺麗ですね」


 I love youは愛してるって訳すんじゃないんだろう?

 この後に及んで人の言葉借りるなんて逃げ腰かもしれない。でも、瑠奈ルナルナみたいに綺麗だって伝えたいと思ったのは欲張り過ぎだろうか?

 そんな心配を他所に彼女はキョトン顔だった。

「そうですね?」

 ……絶対この子意味わかってない。

 こう言う時はね、「死んでもいいわ」って答えるんだよ?

 俺の一世一代の告白は回りくどすぎて想いが届かなかった様だ。

 だんだん恥ずかしくなってきた。割と有名な話だから、もしかしたらって思ったんだけどなぁ……。

「これだから学のない奴は…」

「るなちゃん、いみわかんない」

 本当お前さぁ

「本読め」

「うん?わかった」

 ……わかってないよね?

 まぁ、いいや。

 いつかまた告うから。

 次はもっとちゃんとわかりやすい言葉を選んで。俺の素直な気持ちを端的に。

「じゃあ」と手を振って帰る。

 後ろで「ばいばい」が聞こえた気がした。




 翌朝の空は鉛色で、澄んだ空気を身体に取り込むと気管が凍てついた。

 無理もない。

 今年最初の雪がちらついている。

 手を伸ばした先に落ちる白い綿毛は一瞬のうちに状態を変えた。

 コートの肩を払うほど積もらないだろう。




 長い黒髪の少女は独り教室でナイフを頰に当て、「愛する人」を待っていた。

 彼女の隣の席に当たる場所に座り、幼子の様に足をばたつかせる。

「早く来ないかなぁ……会いたいよ、瑠奈ちゃん」


 時計の針はどの位回っただろうか?

 8時を過ぎた頃には声を上げることなく転がった遺体が両手で数える程。

 彼等は一様に確実に急所を捉えられていた。

 心臓を一突き。

 頸動脈がぱっくりと割れる様に。痛みを感じる前、悲鳴をあげる前に生き絶えたであろう。

 数刻前の燻んだ床は赤々とした鮮血で染められていた。

 誰の血液かわからない程度隙間が無いほどに──



 何度目かの殺人。

 回数を重ねていくたびに彼女は嗤っていった。

 自分は正しいことをしていると、愛する人のための人殺しを正当化していった。

 きゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!

 彼女は高らかに笑った、嗤った、咲った、嘲笑った、微笑った、叫笑った!

 全知全能を手に入れたニンゲンは同じ様に笑うだろうか。

「…まりあ?」

「瑠奈ちゃん、会いたかったぁ」

 ……

「瑠奈ちゃんと一緒にいる時間、誰にも邪魔されたくないからみぃんな殺しちゃうんだ」

 ……

「私以外の子が瑠奈ちゃんのこと好きになっちゃうから」

 ……

「瑠奈ちゃんが好きな人を殺せば、私の事好きになってくれるよねぇ!」

 ……



 教室の戸を引くと昨日までの思い出は血に塗られていた。

 愛する彼女は呆然と、返り血を浴びた少女に手を握られていた。

 漠然とした不安?

 自己防衛本能?

 恐怖への対抗心?

 俺の身体を何が動かしたかはわからない。

「瑠奈!」

 今まで何千回、何万回と呼んだその名が何処か遠くで聞こえる。

 空を切る様に伸ばした右手が遠ざかるイメージ。

 夢だよな?現実じゃないよな?嘘だと言ってくれよ!

 真っ赤な指は白い指に尚も絡まる。

「一ノ瀬お前、こいつの手離せよ!」

 小首を傾げ、あははと少女は嗤った。

「瑠奈ちゃんを愛していいのは私だけだよ?」

 何を言っているんだ?

「馬鹿言ってんじゃねぇ!」

 お前の気持ちなんて知ったことか!

 人を殺していい理由なんてあるか。

 拳を思い切り振りかぶる。

 オンナノコに暴力はいけません、誰が言い始めた事だよ。

 血痕が引き立つ白い頰に右ストレート。

 数歩よろけた。

 俺を見る瞳はひたすらに黒かった。口角が上がって白い歯が見える。

 少女の手を離した右手にナイフを持ち替える。

「そっか、瑠奈ちゃんの悲しむ顔は見たくなかったんだけど」

 血溜まりの中を駆ける。

 気付いた時には俺は押し倒されていた。

「後悔しても遅いよぉ」

 死ぬ。

 死んでしまう。

 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない

 まだ死ねないんだよ!俺は!

 瑠奈にもう一回想いを伝えるって決めたから!

 ここで死んだら瑠奈を守る事も、これからも一緒にいる事も出来なくなってしまうだろ!

 ザクッ

 薄氷を踏んだ時と同じ音がした。

 首筋が熱い。

 突如として激痛が走る。

 ぐハッ……

 唾液と血液が混じる。

 真っ黒な瞳が狂気に染まる少女の胸ぐらを掴む手に力が入らない。

「まりあ、退いてよ、夏芽から離れてよ……」

 瑠奈、お前声が掠れてるぞ?

 俺に構ってる暇があるんだったら逃げろよ。

 こいつに殺される未来は見えてるんだろ?

「いちの、せ……、るなに、指、一本、ふ、れ…るな」

 少女は銀色に光る金属にかける力を徐々に強めていく。

 首筋の熱は痛みからの物だと感じなくなってきた。

 目の前がだんだんと白んでいく。

 それなのに頭は冴えていくばかりだ。

「最後の言葉はなぁに?」

 狭まる視界で捉えた少女は恍惚とした表情だった。

「逃げ…て……」


 またしくじったなぁ。

 今度は遅かったみたいだ。


 死んでもいいわ、なんて言わないで。

 瑠奈、君が好きだよ。

 

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貴女の一番になりたいの 佐藤令都 @soosoo

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