4 七日目、シーグラス、それと意義ある歌詞のこと



 七日目が来る。親には七日目に帰ると伝えているので早めに帰らないといけない。

 昼の十一時の列車に乗る。乗り継いでいけば一時間と少しで地元の駅に着くだろう。

 空いた車内でスマホを取り出して詞を書く。この七日間、敢えて詞は書かないままでいた。途中で消化するよりは、旅が終わる頃に書いたほうがいいものが書けるんじゃないかと思っていたから。

 されど、今このときに書きたい作品があるかと言えば、別になかった。それでも、多くの経験をしたのだから、その経験を基に書くということをするべきだと考えた。

 少し考えてから、ファーストキスの詞を書いた。見知らぬ女性に奪われたキスの歌。あったことを基に、本当はなかったことを書いた。詞のなかの女性には、物語じみた中身が詰め込まれていた。意識して詰め込んだのだ。

 濃いバックグラウンドを匂わせる言葉を選んで、『彼女』を語った。

 これを読んだ人が、僕が誰かをモチーフにしたのだと思うことはあっても、その『誰か』が嘘つきな女性だとは思わないはずだ。そのままではないにせよ、詞にするだけの中身を持つ女性だと思うだろう。そう思わないのならば、僕が完全なる妄想で中身の詰まった女性を書き上げたと思うのだろうか。どちらにしても、詞中の女性、そして存在するかもしれないモチーフの女性が、濃いエピソードを持つ人間であるという認識は揺るがないはずだ。

 そうして、読み手にとってその濃厚なエピソードは正式に『彼女』の持ち物になる。

 そうなったら実在する彼女の中身への飢えは満たされるだろうか? そんなことはないだろう。それでいい。彼女の飢えを救うのはカロリーのある現実の物語であって、僕の詞ではない。そもそも彼女のもとには届かないだろう。

 それでいい。

 それはそれだ。

 自分のためとはいえ、作詞家志望の僕に嘘を考えて語ってくれた彼女へお礼をするのならば、それはこういう形であるべきなのだ。

 僕はこの詞を多くの人の読む場で発表したい。でもそれは灰田さんの歌を通じてではない、別の方法になるだろう。灰田さんだって、見知らぬ他人へのラブレターのようなものを歌いたくはないだろうから。

 書き終える。保存する。乗り換える駅に着く。次の列車に乗って、またすぐに乗り換える。住んでいる市内に入る。あとはぼうっと乗っていれば家の近所まで行ける。十二時三分。車内のモニターに表示される停車駅の表を眺めながら、海の近くの駅までそう遠くないことを思い出す。

 善は急げというし、今から寄ってみようか、それとも後日にするべきかと悩んでいると、次の停車駅で灰田さんが同じ車両に乗ってくる。目の前の座席に座ってからこちらに気づいたようで、会釈をしてくれる。僕は了解を取って隣に移動する。

「久し振り、灰田さん。奇遇だね」

「奇遇ですね、石見先輩。帰りですか?」

「帰りだけど、これから海に行こうかどうか迷っているんだ」

「海ですか。私もこれから海です」

 この偶然を逃す選択肢はなかった。



 ゴールデンウィーク最終日の海岸には疎らに潮干狩りの客がいた。騒がしくもなければ寂しくもなかった。空も晴れていて暖かかった。僕は灰田さんの持っているビニール袋にビニール袋を入れた。

 僕達は海からの漂着物、つまりはゴミを片づけていた。シーグラスを持ち帰らせていただくのだから、ついでに他のゴミも持っていくのが礼儀だ――というのが灰田さんのポリシーらしい。

「来たときよりも美しく、って小学校の頃に言われたので」

 と言う灰田さんはやはり優しい人だと思う。ただ、なんでも歌ってくれるほどには甘くないというだけで。

「それにしても、砂浜にはないんだね。シーグラス」

「砂浜よりも、もっと岸に沿って歩いたあたりにあるんですよ。といっても、ないときはないんですけど」

「そうなんだ。本当に宝探しだね」

 宝ではないゴミをあらかた拾い終える。ゴミ袋の口を縛って、僕が持つ。そこそこに重い。これが全て人間が自然に捨てた有害なゴミなのだと思うと、少し気分が暗くなる。今こうして回収されたのだから、本当は明るくなるべきなのかもしれないが。

「それじゃあ行きましょうか」

 水平線を左に僕達は歩く。ゴールデンウィークの想い出を語り合いながら。灰田さんは三本の映画を観て四冊の本を読み、感想文をふたつ書き、中学生の頃からの友達と遊びに行き、授業の復習をしていたそうだ。僕は恋川県への旅行の話を語った。土産話のなかでとくに食いつかれたのは木倉昨日子先生の話で、灰田さんも隠れファンだったらしい。

 サインでも書いてもらえばよかったかな、と思う。もっとも、それを頼んだって「筆を折った身だから」という理由で断られていただろうが。

 灰田さんが立ち止まったので僕も止まった。ふたりでかがんだ。砂の上の宝石を探した。灰田さんは好きなものを探している。灰田さんの好きなものを探している。僕も同じことをしているけれど、ときおりふと、彼女の横顔を見てみたりする。宝を探している人間はこうも熱心に目と指を使うのか、と僕は思う。すぐ傍にはないとわかると移動する。腰が痛くなってくるけれど、休みどきが訪れない。

 突然、あ、と灰田さんは言う。彼女の手には小さな欠片がある。少し透き通った白い石のようなもの。パワーストーンか何かのようにも見える。

「これはシーグラス?」

「はい」

「へえ……色んなのがあるって言っていたもんね。前に見せてくれたのは青かった」

「そうですね。白と青は合わせるととっても素敵になるんです。でも、私は白はたくさん持っているので石見先輩に譲ります」

「いいの? 灰田さんが見つけたのに」

「別に、競争はしてないでしょう? それに、先輩は初めてじゃないですか」灰田さんは僕のほうを見る。「最初は何か持ち帰れたほうが、好きになれると思うんです」

「……そうだね。ありがとう」

 と僕は言う。内心でほっとする。実のところ、僕は先輩で灰田さんは後輩だから、ここまで同行を許してくれているのは気を遣ってのことなんじゃないかと不安を抱いていた。けれど灰田さんは、僕にシーグラス探しという趣味を好きになってほしいと思っている。この状況は、少なくとも年上への気遣いだけで成り立っているものではないのだ。

 ならば僕が前にしている灰田さんに偽りはない。詞を書くときの参考にしていい。

 僕は訊く。

「灰田さんの最初はどうだった? 持ち帰られた?」

「はい、たくさん」

 灰田さんは答えた。それから話し始めた。

「小学生のときに家族と海外旅行に行ったんです。人生で初めてビーチに行って、でも私は泳げないから、他の兄弟が泳いでいるのを眺めているだけで。パラソルの下で座っている私を見かねて、お母さんが、宝石を拾いに行こうよ、と言ったんです。ふたりで砂を探って見つけたそれは本当に綺麗でした。そのとき私の世界に美しいものがひとつ増えたんです。砂のはらわれた青いシーグラスを見つめているだけで、胸のなかが煌らかな気持ちになったんです。それからずっと、私はシーグラスを集めて瓶に入れていくことが何よりも好きで、それを探すためならどれだけの時間を費やしても構わないと思うようになりました」

「そんなに、好きになったんだね」

「はい。この趣味に遣う時間が減るくらいなら彼氏なんていらない、と本気で思うくらいです」

 水平線を背に灰田さんは笑った。

 それから一時間くらい砂を漁ったけれど、小さな白いグラスをもうふたつ拾えたくらいだった。それでも楽しかった。僕はふたつのシーグラスをポケットに入れた。

 列車に乗った。僕の降車駅で別れた。また学校で、と言いあった。



 ゴールデンウィークが明ける。少しして中間試験があって、終わって、文芸部冊子の夏号の準備の合間に、僕はもう一度シーグラスを探しに行く。今度はひとりで。一度行っただけでは灰田さんには近づけないだろうと思って。ふたつの白いグラスと、ひとつだけ青いグラスを拾える。家に帰って、前回のシーグラスと一緒に空き瓶に入れる。眺めていると、海の欠片を持って帰ってきたような気持ちになる。

 日が伸びていく。七月になる。期末試験が終わる。僕は詞を書く。

 灰田さんに歌ってもらうための詞。僕は彼女の歌声を改めて聴いてから作詞に取りかかる。彼女の感性に響きそうな要素と、彼女の声質で印象的に映えそうな単語を計算して入れながら、僕にとって正しい言葉を綴っていく。

 この詞に込められたメッセージは何か、この詞をどうして書いたのかと訊かれたら、僕はそれを答えることができる。

 僕は僕の言葉を彼女に歌ってほしい。彼女の歌声に乗せてほしい。それをずっと夢見てきた。願ってきた。僕のなかで最も強い気持ちだ。叶えるために独りで旅をして、積極的に経験を積もうとするくらいに。ならば、それをそのまま軸にして書くことが、結局のところ、一番中身のある作品を作る手段だろう。そのときの自分の一番強い想いを刻みつけることが何よりも大事なのだ。そう思って作っているうち、書きたい言葉が次から次へと溢れてしまって、ちょっと長すぎてしまう。取捨選択や意味の併合の作業には作詞の勉強で培った感覚が役に立つ。本当に大切な言葉を削らないように気をつけながら。

 三日後に読み返す。もっと適した表現があるような箇所が幾つかある。そうした部分は直す。書いているときと現在とはそもそも気持ちの違う部分もあるが、それは直さない。書いたときの自分を尊重する。

 夏休み前、最後の部活のときに僕は灰田さんに歌詞を提出する。

「……石見先輩」

「どうだった?」

「先輩の気持ちは伝わりました。……でも、……ごめんなさい」

 灰田さんは僕に深く頭を下げた。僕は不思議と悲しくならなかった。心のどこかで、そうなる気がしていたのだ。

 続く灰田さんの言葉にも意外性はなかった。

「本当にごめんなさい、私、歌詞を書いたんです。書きたいことが、歌いたいことが見つかったんです。昨日書いて、今日、曲を作るんです。石見先輩との約束を反故にしてしまって申し訳ないと思っています。でも、今すぐ歌って投稿したい言葉があるんです。だから、先輩の詞は今は歌えないんです」

「わかった。気にしないで」僕は言う。「……灰田さんはきっと、これからどんどん詞を書いていくんだろうね。僕みたいに、作詞家になるために書き始めるよりずっと楽しいはずだから。とりあえずで受け取られて、後回しにされ続けてずっと待たされるくらいなら、断ってくれたほうがずっといい」

「すみません。折角書いてくださったのに」

「いいよ。それが灰田さんにとって正しいんだから。投稿を楽しみにしているから、頑張ってね」

「……はい。ありがとうございます」

 夏休みが始まって間もなくして、灰田さんのチャンネルにオリジナル曲が投稿される。僕は動画の説明欄の歌詞を追いながら耳を傾ける。灰田さんがその詞で語っているのは、シーグラスのことでもなければ、文学のことでもなかった。音楽のことでもなかった。それは僕の知らない世界の話だった。灰田さんは灰田さんで、ゴールデンウィークから夏休み前までの間に、僕の知らない刺激的な体験をして世界を拡げたのだ。その先で見つけた語るべきことを詞にしているのだ。

 自分の言葉を歌い上げる。染みつくような個性的な歌声で。自分の声で。

 そこに僕の介在する余地はなかった。



 僕はそれからも作詞を続ける。インターネットで作詞者を募集しているクリエイターに積極的にアプローチをかけて、自分の書いた詞を発表させてもらう。そうしているうちに、いつしかヒットソングが生まれる。

 歌詞が深いと言ってくれる人が多くて、僕はとても嬉しい。

 色々なことをやって企業とのコネクションも生まれて、キャラクターソングやアイドルのアルバムの一曲などの商業CDに歌詞を書くことができる。じわじわと仕事も増えていって、少しずつ少しずつ規模も大きくなっていく。作詞のノウハウをどんどんと得ていく。

 中二の夏から数えて、千を越える歌詞を書いた頃には三十歳。

 もう独身でもいいかな、なんて気持ちで仕事のメールをチェックしていると、つけっぱなしのテレビから聞いたことのある名前が耳に入る。

 木倉昨日子さんの訃報。享年八十一歳、肺炎によるものだという。

 遺族の方が昨日子さんについて話している様子がテレビに映る。少しして、友人として映るのは樫奈さん。バンドでの思い出を語っていて、僕は『シニロバ』が三年前に解散していたことを知る。

 もう一度聴けないかなあ、とインターネットで検索をしてみると、ライブ映像が動画サイトにアップされている。四年前のライブの様子。昨日子さんはこの時点で七十七歳のはずなのに、歌声は全く衰えていなかった。バンドの演奏もきちんとキレのあるものだった。

 しばらく懐かしい気持ちになっていると、ふと、そう言えば灰田さんは今どうしているんだろう、と思う。たしか、六年も前には動画サイトでの投稿は辞めていたはずだ。育児に忙しくなったとかで。無事に育てられていたら六歳の子供を持つお母さんになっているはずの灰田さん。

 子供と一緒に歌ったり、シーグラスを探したりしているだろうか?

 また会いたいと思うけれど、今どこに住んでいるのかすら知らない。連絡先もきっと変わっている。それでいい。ありきたりな言い回しを使うならば、人生は旅で、一期一会こそが醍醐味だ。

 そしてだからこそ生まれる詞というのもある。想い出が想いになってメッセージになって、そのメッセージが素晴らしい詞を生むことがある。

 今だって僕は想い出に浸りながら、その想い出が想いに変わっていっているのを感じ取る。ガラスの欠片が海の波に揉まれてゆっくりと素敵なシーグラスになっていくように、それはゆったりとした変遷だが、いつかは辿り着くのだ。

 僕はその旅の終わりを楽しみに待ちながら、夕食を作り始めた。





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シーグラス、それと意義ある歌詞のこと 名南奈美 @myjm_myjm

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