第21話 戦場×コスプレ


太陽がギラギラと燃え盛る八月の中旬。

きちんと計画的に進めている宿題は残すところ日記と自由研究のみとなり、残りの休みをどう過ごそうかと迷っていた。

十五日は、お母さんの実家に戻る事が毎年の恒例となっているので、その日だけは空けておく。

正月ぶりに会う自分の祖父母は元気だろうかと考えながら、僕は受験勉強に明け暮れていた。

この八月は受験生にとって大切な時期だ。

一学期の成績も、去年よりだいぶ良くなっている。

この調子ならば志望校にも合格できそうだ。とはいえ、油断は禁物。

こうして日々の努力を怠らない者に栄光の光は輝くのだから。

と言うわけで、僕は今お姉ちゃんに見てもらいながら理科の問題を進めている。

国語や社会はそこそこ出来るけれど、算数と理科は苦手なのだ。

「じゃあ優くん、ここの問題は説明出来る?」

「えっと、これが水溶液だから……あ、分かったかも。」

「……うん、正解!この問題難しかったのに、よく分かったね!」

「これ、昨日の夜の復習問題に似てたから。」

お姉ちゃんに褒められると、素直に喜べない。なんというか、気恥しさが残る。

「優くんは毎日頑張ってて凄いね、私尊敬しちゃうよ!」

「いや、この位は普通でしょ……。」

「そんなことないよ!やっぱり優くんは偉い!かっこいい!」

「……やめて、はやし立てないて……!」

「どうしてー?優くんの事、本当に尊敬してるのにー!」

「そ、それは分かったから……!だからもう褒めなくていいよ!」

「じゃあ、お姉ちゃんのお願い聞いてくれる?」

「うん……ん、うん?」

なかなかにスムーズな会話の中に、一つだけ変なワードがあったような。

気のせいかもしれない、もう一度思い返してみよう。


『じゃあ、お姉ちゃんのお願い聞いてくれる?』


——ん?

お姉ちゃんの方を向いてみると、とても清々しい笑顔を見せてくれていた。

ピカっと輝く美少女の笑顔には、裏表なんてありもせず……。

いや、これは確実に、何かを企んでいる時の顔だ!

間違いない、僕には分かる!しかも背筋が寒い。

お姉ちゃんは嬉しそうな声で、僕に告げる。

「優くんにお願いがあるんだ。実は……。」

毎度の事ながら、お姉ちゃんのお願いはどうしてこうも僕の想像の範疇を超えてくるのだろうか。

そんな疑問が頭をよぎる。僕には分からない。……何も分からないよ!

そうして、その二日後に、僕はこの夏最大の悪夢を見るのだった。



■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■


真夏の空は、銀色に輝いている。

雲ひとつない青空は、子供が絵の具で塗ったような青い色をしていた。

どこからか聞こえてくる蝉の音は少しだけうるさいけれど、これも夏の醍醐味だろう。

うん、ここだけ切り取ればそこそこに夏のいい味が出ているのではなかろうか。


——まあ、ここが戦場でなければの話だけれど。


ここは、いわゆる『同人即売会』の会場だった。

真夏の暑さと人の熱気で、僕の身体中の液体が沸騰しそう。

「……あづい、凄く……溶ける……。」

目に当たるお姉ちゃんの指。肌なじみのいいパウダー。クリームを食べないようにするのに、ちょっとだけ必死になったり。

「ほら、優くんもう少しの辛抱だよ!あ、これ衣装ね。向こうにある更衣室で着替えてきてね!」

目をうっすら開けると、お姉ちゃんが嬉しそうに笑っている。

初めてのメイクがこんなにも緊張するものだとは思わなかった。

沢山の人達が、同じように頭にネットを被り。顔を華やかに色付けていく。

更衣室前の大きな空間には、長いテーブルが置かれ、その上に沢山のメイク用具が散乱していた。

そのほとんどが女性の中、一人だけ浮いている僕。

完全にアウェイだよ、っていうかちらほら見られてるよ!

「ねえ、あの子小学生かな?」

「可愛すぎる……ショタは尊い」

「メイクしてる女の子もめちゃくちゃ美人じゃない!?」

お姉ちゃんが可愛いことは認めるけれど、僕は可愛くない!絶対に!!!

頭の中がぐるぐると混乱する中、お姉ちゃんは淡々と僕のメイクを終わらせていく。

やりがいのあるという顔をしているので、僕はお姉ちゃんに何も言えないまま、人形のように固まっていた。

なんでこんな所に来たのかと言うと、一昨日に遡る。


『あのね、明後日なんだけどお姉ちゃんと一緒に行って欲しい場所があるの!』

『……行って欲しい場所?』

『そう!実はね、お姉ちゃん……本を売ることになりました〜!』

最初は、その『本』というものを書店に売っているようなものだと勘違いしていた。

が、どうやらよくよく話を聞いてみると、どうやら同人誌という類いのものらしく、それを売るイベントがあるらしい。

お姉ちゃんはそこで本を売るらしいのだ。

そして、なぜその会場に僕が行かなくては行けないのかと尋ねると……。

『優くんにはね、売り子をやってもらいたいんだよ!』

『……売り子?』

『そう!コスプレをして、本を売る手伝いをして欲しいの!』

どうやら、本に出てくるキャラクターのコスプレをするという話みたいで、僕はてっきり男の子のキャラクターだと思い込んでいた。

——が。

その肝心な本の表紙に描かれていたのは、超可愛らしい女の子のイラスト。しかも年齢的には小学生くらいの幼い見た目だ。

まさかと思って、お姉ちゃんの方を見てみると満面の笑みで『そのキャラのコスプレをして欲しいんだ!』と言ってきた。

その前までの段階で、嫌に断れない状況を作ってしまった自分の浅はかさを恨みつつ、僕は泣く泣くこの会場に足を運んだのである。


とはいえ、年齢制限とかあると思っていたのだがそれは無いらしい。

この同人即売会、『まるまる』では色々な人に作品を楽しんでもらう事がコンセプトらしく、売り子も誰でも大丈夫なのだそうだ。

まあ、勿論年齢制限のあるエリアもあるらしいけれど、今回僕達は全年齢対象エリアで本を売るのであんまり関係は無いだろう。

とはいえ、小学生がコスプレをして売り子になるというのはなかなかに珍しかったらしく。

受付でも、更衣室でも、僕はそこそこ注目の的になっていた。

それにまさか、女の子のキャラクターのコスプレをするなんて〜!


一度、お姉ちゃんに女装させられた事はあったけれど、それがまさかこんな形で生かされるとは思っても見なかった。

しかも、あの時とは違って、夏場な事もありかなりウィッグが蒸れる。


「かんせーい!」


そう、満足気に叫ぶお姉ちゃんの顔は清々しいくらいに笑顔だった。

黒いショートボブ。真っ黒なワンピースに、胸元には赤いリボン。

そして……猫耳のカチューシャ。

これこそ、お姉ちゃんの本のキャラクター、まりりんである!

「帰りたい……。」

地毛と言われても、信じてしまいそうなサラサラなウィッグに、真っ赤なカラーコンタクト。

スカートの中には、真っ黒な短パンを履いている。

二時間程かけて完成した僕は、お姉ちゃん渾身の出来らしい。

それを確信させるように、お姉ちゃんはすぐさまスマートフォンで撮影を始めていた。

「かっ、可愛い……ゆうくん可愛いよぉ……えへへ」

おいこら、また変態おじさんが出てるぞ。ってかヨダレ垂らさないで!

お姉ちゃん以外にも、沢山の人がいるんだから!!

ローアングルから撮ろうとしているお姉ちゃんに、一蹴り入れたいところだけれど、とりあえずスマートフォンを取り上げるところで落ち着いた。

「こんな事してる場合じゃないんでしょ?もうすぐ開場するんだから。」

お姉ちゃんを何とか諌めつつ、僕は履きなれていないヒールで歩き出す。

太ももが落ち着かない。捨てきれていない羞恥心を袋に入れて、心の中にしまい込んだ僕は、お姉ちゃんの手を引っ張った。


「……せっかく作ったんだから、いっぱい売ろう!」


僕の言葉に、お姉ちゃんは少し驚いた顔を見せた。

でもやっぱりまたすぐに笑顔に戻る。

「……うん!目指せ、完売だよ!」

そうして、僕とお姉ちゃん、戦いの一日は幕を開けた。

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