第11話 肉まん×雨宿り

六月に入ると、空気はジメジメとして毎日気だるい朝を迎える。

もう四日は太陽を拝んでいないな、なんて思いながら重い体を起こしてベットから降りた。


「……ふあぁ」


この季節になると、あくびの回数は増える。

学校に行くのが、一番面倒くさいと思うこの時期は、気分をあげるために音楽を聴いていた。

今ハマっているのは、ネット発のアイドルグループ『toalu』。『トア』と『アル』という二人組のアイドルだ。

そんな二人の新曲を聞きながら、朝ごはんの準備をする。

「今回の新曲、いいなぁー。しかもファーストライブも決まったみたいだし……。ライブかぁ……一度でいいから行ってみたいなー。」

なんて、そんな事を漏らしながらも手は緩めずにやるべきことを進める。

卵焼きはお父さんが甘い方が好きだから、砂糖は多め。

お母さんが亡くなった後は、毎日練習していたせいで、得意料理になっていた。

夜勤明けで、まだ寝室で寝ているであろうお父さんの分にラップをしてから、学校に行く準備を始めた。

「忘れ物は……っと、うん。無さそうだな。」

ランドセルを背負って、体操服袋を持ってドアを開ける。

外は分厚い雲が覆い、太陽を遮っていた。

玄関の傘立てに、黄色い傘を残しながらジメッと湿った空気を吸い込んで、僕は一歩を踏み出して学校へと向かう。



■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■



授業も終わり帰りの会の後、クラスから皆が一斉に昇降口へと向かった。

黄色い帽子を被り、階段を降りる音が聞こえる。

僕も教室から出ようとしたその時、窓の外を見ると雨がポツリと降り始めていた。

教室に置いてある置き傘を持ってから教室を出ようとしたその時、僕の背後から女の子の声が聞こえる。

「ど……どうしよう……。」

その声に覚えがあって振り返ると、僕はこの子の名前を呼んだ。

「あれ、美瑠……ちゃん?」

困った顔をした美瑠ちゃんは、僕に気付いて「笹月くん」と声を漏らす。

その弱々しい声に、僕は思わず美瑠ちゃんに駆け寄った。

「どうしたの?何かあった?」

そう尋ねてみると、美瑠ちゃんは俯きながら僕に話してくれる。

「実はね、昨日友達に置き傘を貸しちゃって、その傘が戻ってきてないの.....。」

重い前髪が、美瑠ちゃんの瞳に影を落とす。

その行きず待った表情に、僕は自分の持つ傘を静かに差し出した。

「あの、良かったらこれ、使って! 」

僕が美瑠ちゃんに傘を渡すと、驚いた顔で目を大きく開けた。

「でも、そしたら笹月くんが.....!」

美瑠ちゃんの言葉に、僕は首を横に振る。

ニッと笑って見せた僕は、美瑠ちゃんに告げた。

「大丈夫!実は今日、お父さんが迎えに来てるんだー!」

そう言って、僕は傘を美瑠ちゃんに握らせて教室のドアに向かう。

美瑠ちゃんは少し悲しそうな顔をして「ごめんね」と謝った。

申し訳ないという気持ちが痛いほど伝わってきたけれど、僕は笑って答える。

「大丈夫だってば。ほら、もう下校時刻だし.....行こう!」

そう言って僕は教室を後にし、階段を降りる。

一人教室に残された美瑠ちゃんの言葉は、雨音にかき消されていった。


「——嘘つき。」





昇降口に集まって下校指導を受けたあと、僕達はそれぞれ自分の家に帰っていく。

「.....はあ、はあ.....」

横殴りの雨が、視界を遮る。

教科書の入った重たいランドセルを、左右に振りながら雨の中を全速力で走る。

息が詰まって、喉が渇く。それでも僕は走った。

美瑠ちゃんに言った『お父さんが迎えに来る』という言葉は嘘だった。

夜勤明けのお父さんが迎えに来られるはずがない。

第一、お母さんが死んでからはずっと働いてくれているお父さんに、迷惑はかけたくなかった。

服はビショビショだし、靴の中に雨が染み込んで気持ち悪い。

それでも、美瑠ちゃんに傘を貸したことを後悔はしていなかった。

家に帰ったら、お風呂に入って暖かい飲み物でも飲もう。

そんな事を考えながら雨の中を走る。

雨宿りをしたら、余計に雨が強くなるかもしれない。

僕は、雨宿りが出来るコンビニを横切って、通り過ぎようとした。……その時だった。


「——優くん。」


僕を呼ぶ声は、横から聞こえてくる。

その聞き覚えのある声に、僕は足を止めてコンビニの方を見た。

そこに傘をさして立っていたのは、制服姿のお姉ちゃん。

「どう、して.....。」

はぁはぁと、息が上がる。心臓はバクバクと大きな音を鳴らせていた。

お姉ちゃんは僕に近付いて、左手に持っていたバックを差し出す。


「——とりあえず、着替えよっか。」


■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■


コンビニのトイレで、お姉ちゃんが持ってきた着替えを着る。

どうしてお姉ちゃんが僕の服を持っているのかと気になったけれど、ワイシャツと黒のズボンだったのを見て、恐らくコスプレ用の衣装なんだと悟った。

トイレから出てお姉ちゃんの元へ行くと、暖かいお茶と肉まんを奢ってくれた。

湯気がもくもくと漂う肉まんを、イートインスペースで食べながら、僕はお姉ちゃんに聞いた。

「どうしてここにいるの? 」

お姉ちゃんはお茶を飲みながら、僕の質問に答えてくれた。

「美瑠ちゃんがね、電話をかけてくれたの。」

その答えは、僕の中に更なる疑問を産んだ。どうしてお姉ちゃんの電話番号を、美瑠ちゃんが知っているのだろう、と。

けれど、その疑問を口にする前にお姉ちゃんは話してくれた。

「正確に言えば、美瑠ちゃんが電話をかけたのは優くんの家ね。優くんのお父さんが、慌てて車に乗り込もうとしてる時に、私が遭遇したの。それで、『優くんはきっとお父さんに迷惑をかけたくないって思っているだろうから、私に行かせて下さい』って私がお願いしたってわけ。」

お姉ちゃんの言葉を僕は黙って聞いていた。

目の前の窓に付いた雨粒が、沢山流れ落ちていく。

お姉ちゃんの言う事は全部当たっていた。

そして、結局僕は、皆に迷惑をかけてしまった。

落ち込む僕を見て、お姉ちゃんは話を続ける。


「優くん。私ね、誰かを助けられるのはいい事だと思うよ。でもね、迷惑をかけたくないだとか、心配して欲しくないだとか。そういう我慢はしなくて良いと思う。お父さんにだって、先生にだって。.....もちろん私にもね。だって、優くんが人に優しくしたいって思う分、私も優くんに優しくしたいって思うんだよ。」


その柔らかな口調と、暖かな笑顔が僕の中に染みていく。

そんな事を言ってくれた人はお母さん以外に居なかった。

お母さんが亡くなって、僕一人で頑張ろうって痩せ我慢ばっかりしていた。

お父さんに心配かけちゃ駄目だって、何も言わずに一人で抱え込んでいた。

でも.....。今は違う。お父さんに話せない事でも、お姉ちゃんになら言える。

お姉ちゃんは柔らかい笑みを僕に向けながら、そういえば、と口を開いた。

「登山で私が足を捻った時、優くん言ってくれたよね。『僕の前では大人ぶらなくていい』って。私ね、全く同じ言葉を優くんに伝えたいって思ったよ。」

そうだ。登山の時僕は確かにそうお姉ちゃんに言った。

足を捻った事を隠して、にこにこ笑うお姉ちゃんに腹が立って、そんな言葉をお姉ちゃんにぶつけた。

今思えばそれば、僕が誰かに言って欲しかった言葉なのだと思う。


気を張らなくていいよ。

大人ぶらなくていいよ。

子供っぽくてもいいよ。

無理に笑わなくてもいいよ。


そんな言葉が欲しかったのだ。

無理に自分を作らなくてもいいと言う、魔法の言葉が。

そして、それをお姉ちゃんが言ってくれた。

こんなに優しく微笑んでくれるお姉ちゃんが、僕を見守ってくれている。

いつもは変な事ばっかりしてくるし、ため息を着くことだって沢山だけれど。

僕が一人の時、いつもお姉ちゃんが居てくれた。


「.....お、お姉ちゃんに甘えてもいいの.....?」


甘える、なんて言葉今まで恥ずかしくて、子供みたいできちんと言えなかったかもしれない。

小六にもなって、何を馬鹿げた事をと言われるのが怖かった。

先生は、『最高学年としての責任を持て』と言っていた。

だから責任を逃れるような、甘い言葉は絶対に言わないようにとそう思っていたのに。

お姉ちゃんはこうしていとも容易く、僕の心を縛っていた紐を解いてくれる。

震える声でお姉ちゃんに尋ねると、僕の手をぎゅっと握って答えてくれた。

「勿論だよ。だって私は——優くんのお姉ちゃんなんだもん。」


お姉ちゃんは理解不能だし、意味不明な事が沢山あるし。

時々、呆れてものも言えなくなる事だってあるけれど。

もしかしたらお姉ちゃんと出会わせてくれたのはお母さんなのかな。

そうだとしたらお姉ちゃんは、お母さんがくれた最高のプレゼントだよ。

だって、その太陽みたいな笑顔に、僕の心は包まれていったんだから。


だからね、こんな変態なお姉ちゃんだけれど、これからも一緒に居ていいかな。

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