第4話 そういう関係ではありません

 家族以外の女子を初めて部屋に上げた、その翌週。高校では球技大会が行われていた。全学年全生徒が参加して、運動公園を貸し切って行われる、文化祭と運動会に次いで大規模なイベントだ。


 僕は体育館で行われている女子のバレーボールを観戦していた。ゲームをしている女子の中に、知った顔がひとり。長い黒髪を束ねたポニーテールを揺らしている繭墨である。


 僕は野球を選択しているので、本当なら次の試合があるグラウンドの近くでだらだらしたかったのだが、


「一緒にヒメを応援しようよ、ね?」


 と百代に誘われて、直路ともども半ば強引に連れてこられたのだ。

 そして現在は、僕、直路、百代、という並びで観戦中である。


「あたしはバスケだったんだけど、1回戦で負けちゃったから、ヒメには頑張ってもらわないと」


 聞いてもいないのに百代はそんな話をする。しかし、その思いを託したい繭墨は、ほかのみんなの分までわたしが頑張らなければ、などと殊勝なことを考えるやつではないと思う。


「直路はたしかサッカーだよね」


 と僕は話を振った。男子の競技は野球とサッカーの選択だが、野球部は野球を選んではならないし、サッカー部員はサッカーを選んではならないルールだ。


「俺のところも1回戦負けだ」

「ナオ君はすごい活躍してたのにねぇ」


 と百代が彼氏をほめたたえる。


「活躍って?」

「キーパーだったんだけど、もうね、飛んでくるボールをキャッチしまくってたの」


 両手を動かして直路の活躍を表現する百代だが、その動作は猫じゃらしに翻弄される猫にしか見えなかった。


「あと、パンチとか。とにかく大活躍だったんだよ」

「それだけ攻め込まれてたんだね」


 それぞれの試合について語っているうちに、ボールの跳ねる音が響き、笛が鳴った。素人にしては鋭い角度のアタックが、繭墨たち1年2組側のコートに突き刺さったのだ。


 結構な点差で1セット目が終わった。


「あーあ、バレーも駄目そう」


 百代が口元に手を添える。あまり聞かれたくない話らしい。


「うちのクラスの女子、こういうのやる気ないんだよねぇ」

「中心グループのノリ次第みたいなところがあるからね、クラスの文化っていうのは」

「ホントそれ! おかげで気合入れてやっても、何マジになってんの? みたいな空気になるの」

「曜子は気合が空回りしてたけどな」

「あー! ナオ君ひどい!」

「5回もボール蹴り出してたからな」

「百代さんがやったのってバスケだよね?」

「数を覚えるくらいあたしのこと見ててくれたんだ……」


 恋する乙女は彼氏の言葉で一喜一憂していた。怒って頬を膨らませたかと思えば、照れて頬を染めて直路を見つめる。ころころと表情が変化する百代である。


 今のところ二人の関係にほころびは見られない。コートの中でサーブに身構えている繭墨へ向けて、残念だったね、と心の中で呼びかける。


「繭墨さんって運動はどうなの?」

「ん? まあ普通じゃないのか。部活にも入ってないし」

「でも、苦手って感じじゃないよ。むしろ得意だと思う!」


 繭墨の話題になった途端、百代が身を乗り出して話に割り込んできた。


「走ってる格好とかすっごいキレイだし、ミントンとかピンポンとかでも負けてるところ見たことないし」

「ミントン?」

「バドミントンの略」

「ふーん」あまり略せてないな。

「阿山君、信じてないでしょ」


 百代はジトッとした視線を向けてくる。


「そんなことはないけど」


 信じていないというより、あまり興味がないので……。

 あいまいに言葉を濁すと、百代はさらに繭墨を推してくる。


「ヒメは派手に決めるタイプじゃないけど、さり気なくフォローするのが上手いんだから」

「そう」

「あ、ほら、あんな感じ」


 と百代はバレーが行われているコートを指さす。それにつられて目を向けると、ちょうど繭墨が上手にレシーブをしたところだった。

 しかし次のトスが強すぎて、ボールはそのまま反対側へ渡ってしまう。

 対する相手チームは連携が取れていて、レシーブ、トス、そしてフワッとしているがスパイクに見えなくもないボールが返ってくる。

 そのスパイクを受けたのも繭墨だった。膝のクッションを利かせた綺麗なレシーブで、山なりのボールがネット際へと上がる。スパイクは腕をばたつかせた不格好なものだったが、当たり所が良かったのか、ボールは相手コートの手薄な場所へぽとりと落ちた。


 下手くそなスパイクを決めた選手がチームメイトとハイタッチを交わし、それを繭墨は他人事のように横目で見ていた。


「ね?」

「そんな「ワシが育てた」みたいな顔されても」


 その後も繭墨は何度も相手の攻撃を拾っていたが、味方のプレイが彼女のレベルにまで上がってくることは最後までなく、2セット連取されて1年2組は敗退した。


「あーあ、惜しかったね、ヒメ頑張ってたのに……、って阿山君?」


 無言で立ち上がった僕に、百代が疑問形で呼びかけてくる。


「まあ、ちょっと」


 と雑な返事をして、試合を終えた1年2組チームへ近づいていく。

「次の審判とかダルいよねー」「負けたんだから仕方ないっしょ」などと愚痴をこぼしている女子たちのところへ割って入るのは、僕のような日陰者男子には非常に勇気がいる行動だった。


「繭墨さん、腕、大丈夫?」


 そう声をかけた途端、女子生徒たちの視線が集中する。全員がこちらを警戒していた。「え? 何この人」「誰? 知らない人なんですけど?」「何しに来たの?」「場違いなんですけど?」という心の声が聞こえるようだった。回れ右して帰りたくなる。この状況があと2秒続いていたら本当にそうしていたかもしれない。


 しかし、女子たちの一人が、あ、と声を上げて、繭墨の腕をつかんだ。

 繭墨がわずかに顔をしかめる。ほかの女子の注意もそちらへ向いて、僕はようやく気を緩めることができた。


「わ、繭墨さん、これ大丈夫なの? 痛くない?」


 チームメイトが繭墨のジャージの袖をまくると、露出した腕は赤くなっていた。スパイクを何度も受けたせいだ。腫れあがったりうっ血しているわけではないが、元の肌が色白なせいか、赤くなっている部分が余計に痛々しく見える。


「別にこれくらい……」

「駄目だよ、保健のセンセに診てもらいなって」

「でも……」

「審判ならあたしたちがやっとくから」

「そーそー、試合中ロクに動いてなかったし」

「自分で言うなし」

「……っていうわけだから、ね。繭墨さん」


 チームメイトたちに再三うながされて、繭墨はようやく首を縦に振った。


「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えます」


 軽く会釈をしてから、近くの出入り口へ向かう繭墨に、あれ? とチームメイトの一人が呼びかける。


「彼氏に送ってもらわないの?」


 繭墨はピタリと立ち止まると、長い黒髪がふわりと広がるくらいの速度で振り返る。そしてメガネのフレームを持ち上げつつ、冷たささえ感じさせる淡々とした口調で言った。


「この人とはそういう関係ではありません」

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