【ヴィオル視点】厄介なことになった

「あまり、言いふらすなよ」



そう口にした瞬間、まずい、と思った。セレン嬢がさっきまでの陰鬱な表情から、急に笑顔になったからだ。こんな時はろくな事が無い。


案の定、セレン嬢が交換条件のようなものを持ち出してきた。



「もちろん他言などいたしませんけれど……ヴィオル様、ひとつだけお願いがあるのです」


「言ってみろ」



別に願いを叶えてやるとは言っていない。さっきまで泣いていた公爵家の娘が、いったい何を取引しようとしているのかが気になった。


噂では陛下や皇后殿下のお気に入りでもあるらしい。まさか国家転覆系の話ではあるまい。若い娘らしく惚れ薬やまじないでも求めているのかもしれない。わが魔術師団はそういったことには門外漢だが、貴族の娘には占い師や薬師と魔術師は近い存在に見えると聞くし。


そんなことを考えていた俺の予想は、結果的に見事に外れた。



「口が堅くて、魔術の指導がうまい方を、ひとり紹介して欲しいのですが」


「なに?」


「家庭教師のようなイメージでしょうか」


「……誰を教えるんだ」


「わたくしです。これでも魔力はAAランク、適性もAランクですわ」


「特級魔術師も狙えるレベルではないか」


「はい」



にっこりと笑ってみせるセレン嬢は、すっかり交渉モードだ。もう涙はひっこんだらしい。挑むような目で俺を見る年下の娘は、なにやら彼女にとって重大な決意をしているようで、特級魔術師を目指して田舎の村を飛び出した頃の俺と同じような、かたくなさを感じる。



「何を教えればいいんだ」


「それは……その、講師の方にだけ、お話ししたいのですが」



初めて彼女の目が泳いだ。言いにくい案件だということだろう。



「何を教えるか分からなければ、適切な人員を紹介できない」


「それはそうですけれど……わたくし、ヴィオル様にご迷惑をおかけするつもりではないのです。ヴィオル様はお立場上、内容は知らない方が良いと思うのですが」


「そんな案件に誰かを紹介するなど無理だろう、普通に」


「そうですわね……」



途端にしゅん、とうなだれる。


少しうつむいて考えている様子だった彼女は、決意したように顔をあげた。



「皆が幸せになれる、いい策だと思ったのですけれど……他の方の手を煩わせるのは良くないですものね。わたくし、やはり自分で頑張ってみることにいたします」



さっと立ち上がって、彼女は優雅に頭を下げた。



「ヴィオル様、失礼いたしました。ごきげんよう」


「ま、待て」


「もう行きませんと。きっと今日は仕事が進んでいないでしょうし」



困ったような彼女の様子に、ああ、妹御が来ているからかと思い当たる。妹御にかまけて男どもの仕事がはかどらないという意味だろう。まったく何をやっているんだか。


苦々しく思っていたら、セレン嬢がはっとしたように顔をあげた。



「あの、わたくし……もう大丈夫ですか?」



なにがだ、と聞きそうになってから思い当たる。そういえば泣き顔がバレるだろうと引き留めたのだった。交渉モードに入ってからは、すっかり目の縁の赤みもとれているし、鼻の頭もさして赤くない。問題ないだろう。



「ああ、大丈夫だ」


「良かった」



安心したように微笑んでいるが、たしか妹御のことで泣いていたんだろう? それなのに妹御が来たせいで遅れた仕事をフォローしに戻るつもりなのか。なんとも人のいいことだ。


なんとなくむかっ腹がたつが、俺が止めるべきことでもない。それに彼女は公爵家の令嬢だ。こんな人気の少ないところで長時間話して誰かに見とがめられるのも、よく考えれば結構なリスクだった。


なんせ俺は、今は第三魔術師団長という地位を得ているが、元々は平民。魔術の実力だけで上位貴族と同等の待遇をもぎとってはいても、もともと家格なんてものはみじんもない。公爵令嬢かつ殿下の婚約者との噂なんか、出ただけでもヤバい。


しかし、彼女が何をしようとしていたのかは気にかかる。



「ではわたくし、失礼いたしますわ」


「待てと言っただろう。……その、少々策を思いついた」


「策?」


「家庭教師の件だ」


「本当ですか!?」


「ああ。今宵九つの鐘がなる頃、君の部屋の窓を手のひら程度開けておいてくれ。俺の使い魔を寄越す。詳しい話はその時に」


「ヴィオル様……!」



よほど嬉しかったのだろう。セレン嬢は頬を上気させて何度も何度も「ありがとうございます」と礼を言い、戻っていった。瞳がきらきらと輝いていたのは、もしかすると涙だったのかもしれない。



「やれやれ、何をやっているんだ、俺は……」



彼女の後ろ姿が消えるのを見送って、俺は自分にため息をついた。厄介ごとの匂いしかしないというのに、わざわざ自分から巻き込まれることもないだろうに。


だが、なぜか放っておけなかった。



「あのぉ……ヴィオル師団長」


かけられた声に驚いて振り返った瞬間、「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げられた。なんだ、コンタールではないか。俺の側付きなのだから、そろそろこの顔にも慣れて欲しい。



「ご、ご、ご、午後の会議が」


「分かっている」



表情筋が乏しいのは自分でも理解しているが、そこまで怯えられるほどの顔だろうか。ちょっと傷つく。

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地味姫と黒猫の、円満な婚約破棄 @mayumirino

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