この無機質な箱に、永遠の魔法を

潮風凛

この無機質な箱に、永遠の魔法を

 幼い頃、冷蔵庫は魔法の道具だと思っていた。

 灰色の大きく無機質な箱。買い物から帰ってきた母がその中に肉や野菜を入れるのを見て、まだ物事をあまり知らなかった私は「どうしてその中に入れるの?」と聞いたものだ。

 私がその質問をする度に、母は目元をちょっと和ませた悪戯っぽい笑顔で答えてくれた。


「冷蔵庫には、お肉やお野菜をずっと美味しくしてくれる魔法がかかっているのよ」


 その言葉を聞くたび、私は目の前にでんっと立っている無機質な箱に、憧れにも似た視線を向けたものだった。

 今は冷蔵庫の仕組みも知っているし、永遠に状態を保つことができないことも分かっている。

 それでも、ほんの時々思うのだ。やっぱりこの箱は魔法の箱で、残しておくことが難しいものも永遠に、大事に保ってくれるんじゃないかって。


 *


 早川知斗世はやかわちとせは要領の悪い女だと瑠美るみは思う。

 知斗世は瑠美がまだ幼稚園に通っていた頃からの幼馴染だが、昔からそうだった。いつも周りから一歩引いて、周りに合わせることを知らず、勝手にふらふら歩き回ってはいつの間にか孤独になっているような少女だった。他人の目に気付かず、鈍臭いところもあったのですぐに虐めの標的にされた。

 一方の瑠美は全然違う。昔からお洒落や話題の出来事に耳を傾け、他人に「ノリ」を合わせるのを大事にした。瑠美はあっという間に友達に囲まれて、チヤホヤされるのも普通のことになった。知斗世はそんな瑠美に対しても遠慮というものを知らず、すぐに「瑠美ちゃん、瑠美ちゃん」と言ってついて歩いてきた。

 そんな彼女を、守るより突き放す方が楽しいと気付いたのはいつだっただろう。

 小さい頃は守っていたと思う。何かと孤独になりやすい知斗世とも一緒に遊び、彼女に暴力を振るうガキ大将から庇ったことも記憶にある。

 しかし、次第に知斗世を見ているとイライラするようになった。瑠美は他人と合わせ、他人の目に映る自分を作ることで自分の居場所を作ってきた。しかし知斗世は何も考えていない。自分では何もすることなく、自分の居場所を得ているのだ。それが許せなかった。

 最初は無視するだけだった。それが段々、周囲の人を使って悪戯じみたことをするようになった。知斗世の無感動な顔が歪むのが楽しい。甘えるような目で縋られるのは癪だけれど、その後の裏切られた目は嬉しい。人を虐げる快感を知った瑠美の行為はどんどんエスカレートしていった。

 瑠美による知斗世への虐めが繰り返される中、そろそろ中学二年生が終わる春になろうとしていた。瑠美と知斗世が住む地域は周囲を山に囲まれた田舎で、子供の数も少なく中学校まではほとんどエスカレーター式だった。

 しかし、高校は流石に変わるだろう。瑠美はもっとお洒落な街の方に出たかったし、知斗世もこれ幸いにと瑠美から離れていくはずだ。

 知斗世が瑠美の目が届かないところに行くことは、ただの想像だとしても無性に腹が立った。


(知斗世は、瑠美のものなんだから)


 傲慢ともとれる物言いが、深い依存の色を含んでいることに瑠美は気付かない。むしゃくしゃした思いのまま校舎に続く渡り廊下を歩いていた時、不意に体育館の裏から数人の少年達の声が聞こえてきた。

 山に囲まれたこの地域では、中学校もまた小さな山に面している。体育館のすぐ裏手がそれなりに深い森になっており、危険だからと教師達には禁止されているが入って遊ぶ生徒も多かった。

 だから、この声もこっそり遊んでいた子供達のものだろうと思っていた。しかし、駆けていく大柄な少年の言葉が耳に入った時瑠美ははっと目を見開いた。


「やばいよ……。大丈夫かなあれ」


 少年の声は震えていて、全然楽しそうではなかった。すぐ前を走っているツンツンした黒髪の少年が振り返って言う。


「大丈夫だって! どうせバレないよ」


 声は明るく作っていたが、瞳は頼りなく揺れ笑みを作る口の端が震えている。そんな友達らしき人物の励ましにも、最初の少年は更に気の弱そうな声で返した。


「でもあれ、……」


 はっきりとその言葉が聞こえたところで、少年達は渡り廊下を歩いていた瑠美に気付きわーっと叫んで逃げていった。

 その様子を呆然と見送った瑠美が、どうして体育館裏に足を向けたのか理由は定かではない。ちらっと見えた少年達が見覚えのある顔をしていたからか、単に好奇心をそそられたのか。ただ何気なく足を向けたその一歩が、瞬く間に瑠美の運命を変えてしまうことを彼女はまだ知らなかった。

 薄暗い体育館裏。そこから森の中に続く道の前には、侵入防止のためか白いフェンスが立ててあった。瑠美にはとても乗り越えることなどできなかったが、幾度となく誰かが向こう側に行く方法を開拓し続けた結果だろう。フェンスから少し離れたところに抜け道になる狭い隙間が空いていた。

 隙間から、そっと向こう側を覗いてみる。春先の冷たい、しかし僅かに湿気を帯びた風が瑠美の頬を撫でた。濃い緑と土の生々しい匂いにぞっと肌が粟立つ。夕方に差し掛かろうとする午後の陽射しは森の奥まで入らなくて、人が踏み均しただけに見える土の道は不気味なまでに暗い。鳥や動物の声は聞こえなかったが、代わりに自分の呼吸音と微かな虫の羽音が妙に耳について離れなかった。

 まだ見ぬ異界へおっかなびっくり足を進める旅人のように、瑠美は恐る恐る隙間の向こうに身を滑らせた。近くに立っていた樹木のささくれに引っかかった彼女の明るい茶色の巻き毛が、まだ引き返すことができると囁いていたが、狭さに文句を呟きながらも構わず森の奥へ歩き出していた。

 不思議なことに、引き返そうという気には一度もならなかった。「死んでいる」という言葉に惹かれた、この歳の少女にありがちな危うい興味とも少し違う。ただ漠然と何かに呼ばれている気がして、急かされているような気持ちのまま瑠美はひたすら足を動かし続けた。

 あまり運動は得意な方ではない。制服のスカートを抑えて森の中を早足で歩くのは思った以上に難しくて、何度も枝に引っ掛けたり根や下草に足をとられて転びそうになったりした。その度に顔に苛立ちを顕にしながら、それでも瑠美は真っ直ぐ歩き続けた。

 一体、どれほど歩いた時だっただろう。暫くどこを見ても木々が鬱蒼と生い茂る森が続いていたが、不意に僅かに開けた場所に出た。広場というには狭い、何かの奇跡みたいに現れた空間。夕陽に変わった陽射しが真っ赤な光を落とすそこに――彼女がいた。


「知斗世……。あんた、何でここに」


 太い樹木の幹にぐったりともたれかかった知斗世は、無様に震えた瑠美の言葉に何の返事も返さない。時を止めたように静かに眠る彼女の姿は見るも無残なものだった。

 視界に入る全ての白い皮膚には、数えるのも馬鹿らしくなるほどの無数の傷と打撲痕。スカートはどこかに投げ捨てられ、白いショーツが白日のもとに晒されている。僅かに捲り上がったシャツの内から覗く腹は、人間の肌とは思えないほど赤黒く鬱血していた。幼い頃撫でることが密かに好きだった艶々とした黒髪のショートボブは、掴まれたのかボサボサで艶も失っている。いつも彼女が本に視線を落とすたび陽光で控えめな光を帯びた黒フレームの眼鏡は、踏み潰され草にまみれて最早原型もない。頬には涙の跡が光り、小さな唇の下、小鳥のように細い喉には絞首痕が蛇のように這っていた。

 瑠美は知斗世の前にしゃがみ込み、震える指で彼女の死んだ痕に触れようとして……あと少しのところで届かずだらりと腕を下ろした。

 溢れそうになる涙を堪える。泣く資格は、自分にはないと思った。いつかこんなことが起きる可能性を知っていて、それでも虐めが続くように助長していたのは瑠美であったはずだった。

 瑠美は知斗世を虐めるのが好きだった。彼女が憎らしくて仕方がなかった。誰よりも他人を気にして、他人の顔色に自分を合わせてきた瑠美。そんな彼女にとって、何もしなくてもそこにいられる知斗世は見ていて誰よりも腹が立つ存在だった。誰の顔色も伺わない彼女だからこそ、瑠美の顔を見て怯えたり傷ついたりする知斗世を見るのは爽快だった。

 瑠美の知斗世に対する憧れとも嫉妬ともつかない思いは、いつの間にか取り返しもつかないほど醜く歪んでしまった。幼い頃から当たり前のように抱いていた知斗世への想いに気がつかないまま、彼女を子供のように弄ぶことで己のちっぽけな自尊心を満たしていた。そのことに、瑠美は今更気づいたのである。

 この感情に、愛なんて名前をつけたくはない。この結局醜く歪んでしまったものは、愛などというような綺麗なものではないはずだ。それでも、失ってしまった大事な人を、自分にとってかけがえがないと気付けなかった大切な幼馴染を想って、瑠美は溢れ出す感情に強く唇を噛み締めた。

 一瞬にも永遠とも思える時間が流れた後、ふと瑠美は知斗世が握り締めているものに気づいた。小さな右手の中にあったのは、赤いカッターナイフだった。

 瑠美の知っている限りでは、それは知斗世のものではない。彼女を襲っていた生徒のものだろうか。固く握り締めた手に彼女の必死な抵抗を想像して、胸がぎゅうっと苦しくなった。

 少し躊躇うようにその小さな刃を見つめていた瑠美だったが、意を決してそっと腕を伸ばした。まだ温もりが残っている知斗世の手を取り、むき出しの刃を己の喉に当てる。

 この想いは愛ではない。この行為では、彼女に対する懺悔にはならない。それは分かっている。ただ自己満足で、自分の罪と果たされなかった彼女の抵抗を終わらせようと思った。

 決して赦されない自分の罪。それでも、これを終わらせるなら瑠美の手でがいい。瑠美は堪えきれなかった涙をほんの少し目尻に浮かべ、幼い頃のように知斗世に笑いかけた。


「ごめんね、知斗世。赦さなくていいから、沢山恨んで」


 呟きは、静かに虚空に溶けて。

 そして瑠美は、自ら己の喉をかっ捌いた。


 *


 みなみ瑠美は、知斗世にとってずっとヒーローのような存在だった。

 明るい茶色の巻き毛に勝気な瞳、すらりと伸びたモデルのように綺麗な脚。あまり容姿に自信がなかった知斗世にとって、誰が見ても美人と呼べる造形をしている瑠美は見ているだけで眩しい。

 外見だけでなく、明るく人好きのする内面までもが知斗世とは正反対で、瑠美が自分の幼馴染であることが奇跡だと思えるほどだった。

 幼い頃、瑠美は知斗世を幾度となく助けてくれた。あまり他人と関わるのが得意ではない知斗世を気にかけてくれたし、いじめっ子から庇ってくれたこともあった。誰とでも仲良くできるのに、いつでも知斗世の傍にいてくれた。

 その頃から、知斗世は少し変わった子供だと言われていた。すぐに自分だけの世界に入り込み、他人を理解しようとしない。突飛な言動で大人を困惑させることも多く、病院に連れていかれたことも少なくなかった。

 知斗世にとっては、自分が変わっていようと変わっていまいとどうでも良かった。他人は他人でしかない。自分の周りに広がる世界なんて理解できると思えなかったし、しようともしなかった。

 しかし、沢山の人に不審な目を向けられるに従って、ようやくこのままではいけないことに気づいた。別に自分にとっては何がどうなろうと知ったことではなかったけれど、他人にその態度を見せてはいけないことが分かった。

 それでも中々他人に合わせるというのは上手くいかなかったから、代わりに必要以上に他人と関わらないことにした。周囲は常に反応の乏しい知斗世に近づかないものの、常に珍獣を見るような目に晒されていた時よりは大分生きやすくなった。

 知斗世にとって、世界も他人もそのくらいどうでもいい存在だった。が、その唯一の例外が瑠美だった。

 深い緑に包まれる森の中、大木の幹にもたれかかっていた知斗世はぽっかりとその目を見開いた。足元に広がっているのは、自分のものではない真っ赤な血。目の前、知斗世の腕を抱くようにして事切れている瑠美を見て、彼女は微かに微笑みを浮かべた。

 瑠美が来る前、知斗世はここで見知らぬ少年達に暴力や強姦紛いのことを受けていた。首を締められて気が遠くなる瞬間は流石に死んだと思ったけれど、どうやら生きていたらしい。彼らがいなくなった後、知斗世はあっさりと己の生存を知った。

 死ななくて本当に良かったと思う。、知斗世は知らず深い安堵の息を吐いた。その後、自分を見つけた瑠美がしたことには驚いたけれど。

 咄嗟に死んだふりをしたのは、誰かが近づいてきたからだ。それが瑠美と気づいても続けたのは、彼女の反応を見たかったという下心があったことは否定できない。けれどもまさか、瑠美があんなことをしてくれるとは思わなかった。

 瑠美に避けられ、嫌われるようになって、最初はどうしてそんなことをするのか不思議に思った。悲しくて仕方がないこともあったかもしれない。無視されることが一番堪えた。

 しかし、次第に瑠美が何を望んでいるかが分かってきた。彼女は、いつでも知斗世の反応を見ようとしていたから。知斗世が嫌がれば嫌がるほど、瑠美に縋ろうとすればするほど、彼女が知斗世だけを見て嬉しそうにしてくれることに気付いた。

 先述の通り、知斗世にとっては瑠美以外の全てがどうでもいい存在だ。名前も覚えていない誰かに嫌われたり罵られたりしたところで、辛いと感じる理由もない。

 けれど、瑠美の反応に気づいてからは受ける行為全てにきちんと反応を返すようにした。別に知斗世は痛感もちゃんとあるし、罵倒の言葉を理解するだけの頭もある。ただ他人に必要以上に反応しようとしなかったものを、瑠美のためにひとつひとつ反応するように心掛けた。

 同時に知斗世は、もっと様々な瑠美の感情を見てみたいと思った。喜びも怒りも、悲しみも嫌悪も余すことなく自分の目に収めたい。最終的には彼女が殺される時の苦痛も知って、自分も彼女に殺されたい。

 その気持ちが大切な人に突然嫌われたことへの防御反応なのか、理不尽に虐められることへの憎悪からなのか、知斗世には分からなかった。どちらとも言える一方、どちらも間違っている気がした。

 ただ知斗世は、瑠美の全てを知りたいだけなのだ。他人に奇異の目で見られていた知斗世と、唯一何の含みもなく一緒にいてくれた人。彼女をひとつ残らず理解したいだけだった。

 今、この場所で瑠美の全てが終わりを告げた。知斗世が望んだ通り、彼女の死すらもこの手にあった。本当は瑠美に知斗世も殺して欲しかったけど、これ以上は高望みというものだ。

 鮮血にも似た夕焼けに燃える森の中で、知斗世は瑠美をかき抱いた。あまりの幸福に自然と頬が緩む。そのまま暫く動かずにいたが、不意に知斗世が顔を上げた。そのまま視線を瑠美が現れた方向に向ける。

 ここは、生徒は立ち入り禁止の山の中。しかし、今やその決まりはあってないようなものだ。こんな森の浅い場所では、いつ誰が来るとも限らない。

 それに、知斗世がやるべきことはまだ終わっていなかった。瑠美が自らの手でこの世から消え去った今、知斗世がここにいる意味はない。最後の仕上げを誰にも邪魔されずに実行するためにも、知斗世はここから移動する必要があった。

 瑠美の腕を肩に回し、知斗世はゆっくりと立ち上がった。執拗に傷つけられた身体では、数歩歩くことすら苦労する。どこかの内蔵が傷付いてしまったのか、身体を動かすと同時に少量の血を吐いた。

 それでも何とか瑠美の身体を支え、知斗世は何度も休みながら森を奥へ奥へ進んだ。赤光を放って燃えていた夕陽がその光を失い、周囲を闇と静寂が支配するようになった頃、不意に歩いていたはずの足場がなくなった。

 その場所は崖とはいえないくらいの、少し勾配が急な坂があったらしい。そんなに大きなものではなかったが、突然のことにバランスを保つことが出来なくなった身体はそのまま坂の下まで転がり落ちた。


「る、みちゃん……」


 小さく呻いた知斗世は、動かない身体に鞭打って瑠美を探した。幸い彼女はすぐ側に倒れていたが、もう歩くことはできそうになかった。

 せめて瑠美を抱きしめたいと、知斗世が震える腕を伸ばす。その時、目の前に大きな箱が転がっていることに気付いた。

 それは、不法投棄された業務用冷蔵庫だった。葉と土に塗れ、本来の仕事も忘れた無機質な箱。それを見た知斗世は、幼い頃母に聞いた言葉を思い出した。


『冷蔵庫には、お肉やお野菜をずっと美味しくしてくれる魔法がかかっているのよ』


 今の知斗世は、冷蔵庫の仕組みを知っている。そんな魔法がないことくらい分かっている。それでも。


(ほんの少しでいい。もし私と瑠美ちゃんのままでいられる魔法がかかるならば)


 知斗世は瑠美の身体を抱き、這い蹲るようにして業務用冷蔵庫の中に入った。

 業務用とはいえ、人間が二人入れるようには作られていない。知斗世は瑠美にぴったりとくっついて「狭いね」と笑った。瑠美は何も答えない。冷蔵庫はもうずっと前にその役目を終えたはずだが、不思議と庫内には冷気が残っていた。或いは、それは死者の温度を錯覚しただけなのかもしれないけれど。

 ずっと、瑠美は知斗世のヒーローだった。嫌われ虐められても変わらず、彼女は自分の全てだった。

 知斗世は、瑠美が喜ぶなら虐められてもいいと思った。代わりに瑠美の全てを知りたいと思った。全てを与える代わりに全てを貰って、相手の生死さえ自分のものにできたらそれで十分だと思っていた。

 しかし、多分本当は違ったのだ。本当は、一緒に笑って生きることができたらそれで良かったはずだった。自分が笑って、相手も笑うことができたなら、そうして生きていくことができたならそれが一番幸せなはずだった。

 けれども、二人はすれ違ってしまった。そのすれ違いは致命的で、二人は生死なんて大袈裟なものを出さなければ互いを想うことができなくなってしまった。

 もう、元に戻すことはできない。だから知斗世は泣き笑いのような顔をして、自分の制服のリボンタイを外した。カッターナイフはどこかにいってしまったから、その代わりに。知斗世はリボンタイを己の首にぐるりと巻き付けると、その両端を瑠美に持たせた。冷たい手を握り、小さく微笑んで言う。


「私が瑠美ちゃんを殺したから、今度は瑠美ちゃんが私を殺してね」


 冷たい冷蔵庫の中、静かに両手に力を込める。今度は確実に死ぬために、知斗世は意識を失う前に舌を噛み切るつもりでいた。その前に、ごっこ遊びのようなことをしながら考えた。どうして、こんなことになってしまったのだろうと。

 これは、愛ではないと知斗世は思う。愛は多分もっと綺麗で、きらきらしたものだ。知斗世と瑠美の間にあるものは何かを致命的に間違えていて、もう愛と呼ぶことはできない。

 それでも知斗世にとって瑠美が全てで、自分の全てと彼女の全てが今ここにあることは間違いではないと思う。できることなら、それが永遠にこの場所に保たれるよう。かつて信じた、冷蔵庫の魔法のように。

 最期に、途切れかけた意識の片隅でほんの少しだけそんなことを考えて、知斗世はとうとう自ら己の舌を噛み切った。


 *


 幼い頃、冷蔵庫は魔法の箱だと思っていた。

 今は、魔法なんてないと分かっている。冷蔵庫は電気を使って中身を冷やしていて、その鮮度を保つ時間も永遠ではない。

 それでも、時折考えてしまうのだ。

 冷蔵庫なら、保存することが難しいものでも保存できるのではないかと。


 ――最期まで「愛」と呼ぶことができなかった、歪んでいてもまっすぐな想いを永遠に保つこともできるのではないかって。

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