第9話 なかなか楽しい状況

 ぼんやりとしているうちに時間はたってしまう。頭を軽く振って、とりあえず握られていない左手の届く範囲にあったTVのリモコンを取ると、スイッチを入れ、素早く消音する。

 特に面白い番組もしていない。ゴールデンタイムという時間帯だが、少なくとも今の自分にとっては決してその意味の時間ではないな、とFAVは思う。

 幾つかチャンネルを変えて、ようやくローカル局に落ち着く。お茶にごしのようなクリップ番組、とバイト先の同僚は言っていたが、どう見ても自分にはその方が向いていそうだ。

 音楽専門の局があったらいいのになあ。FAVは思う。CSだのケーブルが普及するのはもう少し後である。あったところでそういう局がこの国で採算が取れるようにもこの時の彼女には思えなかった。

 FAVはHISAKAのような根拠のない自信を大量には持っていない。それはTEARとて同様だったが、TEARはそれを外には出さない。自分もそうしたいものだ、とFAVは思うが、さて人間、思ったことが全て行動に出せるとは限らない。


 出せるものだったら、こいつへの態度もやや変わっているだろーに。


 何となくしゃくに触って、太平楽な顔して眠っている女の額を軽くこづく。すると気付いていない筈なのに、握る手の力が強くなる。しまった、と思ったが後の祭りである。それまでは指一本一本引きはがそうと思えば可能だろうと思えたのに、それどころでなくなってしまった。


 あたしにどーせいというのよ。起きるまでじっと待ってろってゆーのか。


 はあ、とため息をつく。


 仕方ねーか。


 暇つぶしの最大の方法を取ることにした。


 *


 翌朝。寝覚めのよい女は起きた瞬間から目がぱっちりと開く。ん、と伸びをしようと思って、何やら腕に当たるのを感じる。


 あらら。


 妙に暖かいと思ったら、横で猫が寝ていた。だが着ているものはいい加減である。上着と、中に着ていたセーターだけを取っただけ、という有り様で、よくある「病人を温める」シチュエーションとは違うことが露骨にTEARにも判った。


 何しとるんじゃこいつは。


 滅多にこういうことにはならないことを知っている彼女にはなかなか楽しい状況だったが、どうやらそのまま放っておいたらまた後でどやされそうなので、とにかくつついてみる。


「もしもーし」


 つんつん。


「んー……」


 本当にこれ以上にない、というくらいに眠そうな声で猫がうめく。


「朝ですがあ……」

「へ」


 その瞬間、目は開ききらないが、意識は開いた。


「何時……」


 オクターヴいつもより低い声が普段の習慣だろうか、枕元に腕を伸ばす。目覚まし時計を探しているかのようである。


「七時」


「はい?」


 意識と身体は比例しない。のそのそとFAVは身体を起こした。起こすのに二十秒、起こしてから約十秒、目の前の相手を眺め、現在の状況を把握する。


「……」


 開ききらない目のまま、不機嫌という文字を顔に書いたような表情でどうやら解放されたらしい右手を確かめると、すっと相棒の額に当てる。


「下がっとるな」

「あん?」

「熱!」

「ああ、だいたいどーゆー熱でも一日寝れば治るけど」

「化け物……」

「それより何でFAVさん寝てたの」

「……」


 覚えていねーのかこのボケ、と悪態つきたいような気はしたのだが、何せ相手は(その時は)病人だったのである。成りゆき、と一言つぶやくと、FAVは顔を洗うべく立った。

 シャツが綿モノでなくて良かった、としみじみ思う。髪がぐしゃぐしゃになっているくらいだから、天然素材の服なぞ着ていたら同じくらい皺だらけになっていただろう。


「また熱出たらいかんから早く着替えな!」


 とりあえずそのくらいの言葉しか浮かばないのだ。


 *


「あらそーでしたか」

『うん、だからごめん』

「いーですよ別に。まあHISAKAに言われた程度のことは一応見てきましたし…… でTEARアナタ、もう大丈夫なんですか?」

『まあいーけど』

「本当ですか?」


 P子さんは声の表情一つ変えずさらに追求する。数秒の沈黙。


『……P子さんにはかなわんなあ……』

「……」

『実は結構感動してしまして』

「はい?」

『いや、送っただけで後は帰ってしまうかと思っていたんですがね』

「そうではなかったと」

『まあそういうことですな』

「それは良かった」

『P子さんはさあ、変だとか思ったりはしないんだ』

「何を」

『あたしがFAV好きでどーのこーのっての』

「ふむ」


 P子さんは電話でそういう話をされるとは思っていなかったので、やや内心が動くのを感じる。


「珍しいですかね」

『自分については珍しいと思ってるさ。少数派だからね』

「ふーん……」


 気がつくと、電話のある食卓のテーブルの上に、湯気の立つ熱い茶が乗っている。いつの間にやら。


「別に少数派だのどーだの、と考えたことはありませんがね…… ワタシは単純ですから、好きは好きでいいと思ってるだけですよ」

『そこのところが達観してるって思うの』

「達観ですか」

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