3-6

 フリードマンは祭壇の上に置かれたものを手にとった。それは剣だった。銀細工の施された鞘に、宝石の飾られた柄。

 彼はゆっくりと剣を抜いて、鞘を捨てる。現れた刀身も鋼ではなく、銀だった。

「怪物退治には銀の杭を、ということかな」顔についた血を、コートの袖で拭い、ジャックは言った。「綺麗な剣だけど、それだけだ」

「まだ仕上げが残っている」フリードマンが言った。

 フリードマンは剣で自分の手首を切った、血が流れる、血は剣に伝って広がった。彼はこちらに、切った手首を掲げて見せた。手首の傷はいつの間にかふさがっていた。

「それにどんな意味が? さっさと始めよう」

 ジャックは前に出て、斧を振るった。フリードマンはそれを避けて、剣を片手で構えた。ジャックは最初の勢いのまま、斧を振り続ける。攻撃は全て、首や急所を狙っていた。

 フリードマンが半身を引いて、斧を躱す。刃は彼の身体から、一センチも離れていなかった。

 斧を振り下ろしたジャックに、反撃が飛んでくる。銀の剣が、彼の左腕を切り落とした。

 ジャックは切られてなくなった左腕の違和感に気がついて、フリードマンから距離をとった。いつもならすぐに生えてくるはずの腕が、まったく反応しない。それどころか傷口も塞がらなかった。

「どんな魔法を使ったんだ?」ジャックは言う。「こんなの初めてだ」

 フリードマンは小さく笑った。「不死の血は、不死を傷つける。アルメルから聞いていないのか?」

「聞いていない」ジャックも笑った。「切られたら、傷つく──、当たり前のことを思いだせたよ。ありがとうフリードマン。久しぶりに対等な条件で戦える。君のことが好きになりそうだ」

「好意のついでに、大人しく死んでくれる気はないか?」

「君を殺したあとでなら」

「私だって簡単には死ねない──」

 不意打ち。ジャックは話の途中で、切りかかった。斧がフリードマンの首筋をかすめる、が彼が素早く身を引いたために傷は浅く、その小さな傷もすぐに塞がってしまう。

「なるほど、蛮族らしい振る舞いだ。誇りはないのか?」フリードマンが言った。

 一回、二回、三回。斧と剣で打ち合った。荒々しく振り回される、質量を持った斧を、剣がやわらかくいなす。打ち合っているうちに、ジャックの左腕が生えてくる。治りが遅くなるというだけで、まったく治らなくなるのではないらしい。

 二人はまた、距離をとる。ジャックは、自分から流れる血を手早く斧に塗り付けた。

「ようやく頭を使ったな」フリードマンが言った。

 ジャックは呟く。「今までのがハンディだ」

 刃を反して、柄で足を狙った。フリードマンは軽く飛んで、上に躱す。

 ジャックは一撃目の勢いを殺さずに躰を回転させ、もう一撃に繋げる。ジャックの斬撃は地面から足の離れたフリードマンを捉えた。フリードマンは横腹に斧を叩きこまれて、吹き飛んだ。

 フリードマンはふらりと、立ち上がり、こちらを見て笑った。彼の腹は裂けて、臓物がこぼれていた。腹に開いた穴を押さえながら、彼は言った。「面白いことをするじゃないか」

「僕は面白い男なんだ」

 ジャックはとどめを刺すために、彼に歩み寄る。

 だが、振りかぶり、振り下ろす直前に、フリードマンは自分の臓物を投げつけた。大腸と思しき管がジャックの顔に当たり、視界を奪う。

 目くらましに怯むことなく、直前の動きを完遂する。しかし獲物は、攻撃を躱し、懐にもぐり込み、ジャックの下顎を切り飛ばした。断面からは、スライスされた喉が露出していた。

 ジャックは血を流しながら、さきほど生えたばかりの左腕で、至近距離のフリードマンを捕まえようとする。フリードマンは腕をくぐって躱し、背後に回り込みながら、横腹を切っていった。

 フリードマンが追い打ちをかけるために、剣を後ろに引き、突きの準備動作を見せた。

 ジャックはその動きを、あえて無視して突撃する。

 フリードマンの剣がまっすぐに動く、剣先がジャックの心臓に突き刺さる。

 血を余計に、吐いた。体温が下がるのを感じた。

「もう充分だろう?」フリードマンが言った。彼は最初に会ったときと同じ笑みを見せた。

 手から斧を落とした。

「アルメルに頼るまでもなく、そのまま大人しくしてれば死ねるだろう。なにをそんなに拘っている?」フリードマンはそう言って。剣を捻った。

 ジャックは新品の声帯を震わせて、言った。「駄目なんだ」

「何故?」

「僕が死んだら、そのあとキティを殺すだろ」

 ジャックがそう言った次の瞬間、火薬の音に続いて、フリードマンの顔に横から穴が開いた。

 フリードマンは弾丸の飛んできた方向を見た。

 ジャックは視線のそれた隙を逃さず、前に出る。

 心臓に刺さった剣が、より深く刺さる。

 叫び声を上げた。それはほとんど人間の言葉にならなかった。

 フリードマンは剣を引き抜こうとしたが、無理だった。

 ジャックはさらに前に出て、相手の腹に開いた穴に、右手を突っ込んだ。

 フリードマンごと倒れ込み、馬乗りの状態になった。

 腹の傷に突っ込んだ右手で、臓物を引き抜く。

 フリードマンは剣を諦めて、隠していたナイフを抜き、ジャックを滅茶苦茶に刺す。

 ジャックは相手の攻撃を無視したまま、今度は、両手を使って傷口から躰を引き裂いていく。

 健康な皮膚が裂ける音。

 二人は叫ぶ。一人は雄たけびを、もう一人は断末魔を。

 ジャックは両腕に力を込めて、フリードマンの皮膚を剥がす。

 フリードマンはナイフを振り回すことしかできない。

 大きくなった傷に、もう一度手を入れる。

 ジャックは心臓を探して、無理やりに掴み、引き抜いた。

 ナイフでつけられた傷から、ジャックの血液が、フリードマンの体内と、抉り出された心臓にふりかかる。彼の全身は、短い時間痙攣したあと、ぐずぐずに腐って、溶けだした。液体になったフリードマンだったものには、銀色の粒子が混ざって、浮かんでいた。

 胸に刺さった剣に手をかけて、抜き、捨てた。血でどろどろに汚れた床に、金属が跳ねて湿った音が出た。足に力を入れて立ち上がる努力をしたが、血で滑って転んでしまう。千年ぶりに満身創痍だった。立ち上がることを諦めて、大の字に寝転がった。

 全てが終わった。もう歩く必要もない。ジャックは眠ってしまおうとした。だが、すぐにやめた。

「ジャック!」キティの声だった。彼女は、臓物の海を渡り、こちらに駆けてくる。相棒の顔を見るために、ジャックは身を起こそうとしたが駄目だった。

「ひどい恰好だな。アタシもだけどさ」キティは身をかがめ、ジャックの両脇に手を入れて、引きずろうとした。「くそ、重たいな」

「もう何もしなくていいよ」ジャックは言った。

「馬鹿。お前をあんなとこに寝かせとくのは、アタシが嫌なんだよ」

 キティは苦労しながら、ジャックをなんとか動かして、教会風の長椅子に座らせた。

「君に助けられた」

「戦士には余計な世話だったか?」

「いや、僕はもう。そういうのじゃないよ」

「そうか」キティはジャックの横に腰かけた。「それより、その服また買わなきゃな。今度は狸小路で一緒にショッピングしようぜ。アタシに付き合うぐらいの借りは出来ただろ?」

 ジャックは小さく微笑んで言った。「服だってもう必要ないよ。分かってるだろう? キティ」

「勝手な奴だな。正直いって無責任だ」

「ごめん、僕が悪い」

「もっと罪悪感を感じろ。で、思い直せ」

「できない」

「友達を置いて行くと、地獄に落ちるんだぜ」

「死んだ後でどうにかなったりしないよ。何にもないんだから」

「なあ、こんな話じゃなくてさ──、約束しただろ? あんたの話を聞かせてくれよ」

 キティはジャックの肩にもたれかかった。ジャックは少し驚いたが、ぽつぽつと、自分の人生を語り始めた。漁師の息子だったこと、家を飛び出して初めての戦場で死んだこと、アルメルとの出会って蘇ったこと、不死になってからのこと。全てを順番に、最初から最後に向かって。語っているうちに、そのまま長い時間が過ぎていた。キティはいつの間にか眠ってしまっていた。ジャックは彼女の頭を優しく撫でた。

 夕焼けの時間。聖堂の中は赤い光で柔らかく照らされていた。壁にかけられた松明は燃え尽きようとしていた。ふとジャックは天井を見上げる。ステンドグラスは悲しげな女性だった。

 キティを起こさないように、ゆっくりと長椅子に横たえて、ジャックは立ち上がる。彼女にコートをかけていこうか、と思ったが何も残していくべきではないと考えなおした。歩いて、扉を開け、外に出た。雪を踏んで聖堂を離れる。夕陽が沈む方に向かう。

 白い世界が、少しだけ赤く焼けていた。影がゆっくりと伸びていく。道は上りになった。元居た建物を見下ろせる、高い場所。雪丘の上で、アルメルが待っていた。ジャックは彼を見つけて、言葉を発した。

「あなたがやったんだろう?」

「ちょっとした魔法を使ってね。どうだった? 彼女、よく眠ってたかな」

「気を遣わせたみたいだ」

「報酬の中に含めておくから気にしなくていい」アルメルは首を横に振った。「それより、最終確認をしよう。未練は何も無いかな?」

「無いわけじゃない。でも、これを逃したらもう、チャンスがないだろう。それが分かっているから依頼を受けたんだ」

 アルメルが頷いて言う。「よろしい」彼はどこからかナイフを取り出して、自分の手首を切った。手首からは赤い血が流れて、地面に落ちるまでに銀色に変わった。

「では、これを飲みなさい」

 ジャックは手首に口をつけ、血を啜った。瞬間、力が抜けて、立っていられなくなり、膝をついた。

「ヴァルハラはもう良いのかい?」アルメルが訊いた。

 ジャックは溜息のように答えを吐き出した。

「ヴァルハラは──、もう必要ない」

 彼の躰は銀色になって、溶けていく。最初は個体だったものが液体になり、雪に混ざり、分からなくなって、消え失せてしまった。この世にジャックだったものは何も残されていない。

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