日葉洲ひばすは、自分が逃げれば家族が責めを負うことを分かってそれでもなお出奔したのだろうか。

 後年、彼女は死に際して自らの手記をすべて焼き捨てたと聞く。その中には何が書かれていたのだろうか。残してきた家族の末路を知ることはあったのだろうか。何を思って。

 ……なぜ闇見国くらみのくにに行き、なぜ私の高祖父の妻になったのか。私たちはただ、竹野国たかののくにから嫁いできた、とだけ聞かされていた。しかしこのたかでは、日葉洲ひばすは女王になることを拒んで逃げたと伝わっている。

 もしかすると。

 旅好きだったという高祖父の逸話の数々が思い出される。

 もしかすると今の私のように、たかを訪れた高祖父が日葉洲ひばすを見初め、駆け落ちしたのではないだろうか。

 札に印を得た娘がただ一人だったのなら、あとは竹林に植えられて甦るのを待つだけ。そこで、女王となる前に逃げたのでは。


 竹林に植えられて、女王にならなければ死ぬ。

 そして、女王になればこの国を出られない。


 狭穂さほがどちらになるかは分からない。

 だから、私は。


 ここで、この深夜の竹林の奥深くで、待っている。勝手に拝借してきたすきを地面に寝せて刃先の鉄を布で隠し、自分も竹の密生したところを選んで隠れている。

 この竹林に、これまで大勢の娘たちが埋められてきた。ここはそうした娘たちの広大な墓陵なのだ。私がいま腹這いになっているこの土の下にも、何人もの娘が埋まっているかもしれない。そう思うと身体の芯からぞっとするが、逃げ出すわけにはいかない。

 気をつけて影から覗くと遠くに、岩と縄とで囲まれた小さな空き地が見える。岩の下に灯りが置かれて、広大な竹林の中、ふと生まれた隙間のような場所をぼんやりと照らし出している。

 その中に、ぐうや神官に囲まれて、四人の娘が座っていた。

 札に紋様が出た娘たちはその時点から薬酒を与えられ、腕に円紋の焼き印を押されても痛みを感じることはないという。そうして竹林の奥に連れて来られ、また別の薬酒を飲まされている。そのうちに一人、また一人と眠り込んだのを、宮司に指示された神官たちが布で巻いていく。

 地面にはすでに四つの穴が掘られている。

 四方に置かれた灯りと、竹林の上から照らす満月とで、その穴がごく深いことが分かる。

 理由は、神官たちが布で巻いた娘を下ろしていく様子で分かった。寝かせるのではなく縦に、立った状態で埋めるためのようだ。

 すきを手にした神官たちが周囲に積み上げられていた土で穴を埋め戻していく。一人目の娘が埋まっていく。

 二人目。三人目。薬の利きが悪いのか、巻かれた布の中であらがうように身動きする娘もあった。

 私は吐き戻しそうになるのをこらえてそれを見ている。

 狭穂さほは、一番最後に埋められた。

 可哀想に。涙がこぼれ落ちる。声を出さないようにするのに苦労した。今、見付かるわけにはいかない。

 全員を地に植えて、地面を平らに整え、宮司が祈りを捧げて、皆ここを立ち去る。そこからが勝負だ。朝の光が届くまで、竹林には誰も立ち入らない。林道の入り口はすべて警護されている。

 天高い竹林を透かしてもはっきり見える満月の位置で、私は時を計る。神官たちが徒歩でこの竹林を出てしまうまで。

 一度竹林を出れば宮司も神官も戻っては来られない。おたかの神事の手順は絶対で、娘たちを植えたあと朝日が射すまではこの竹林を無人にしておかなければならない、ということはすでに古老から確かめてあった。

 時を計りながら、私は布を巻いたままのすきの柄に触れる。

 じりじりと、焦っていた。

 宮司たちが絶対に竹林を出たあと、かつ、なるべく早く、私は狭穂を掘り出して助けることになっているからだ。


 早くしなければ、死んでしまうかもしれない。

 そして早くしなければ、女王になってしまうかもしれない。


 早く。

 早く早く。

 月の位置を見る。

 もういいはずだ。私はゆっくりと身体を起こす。

 身体についた枯れ葉が落ち、足の裏が竹の根を踏み、ごく微かな音をいくつも立てたが、いずれも風の起こす波のような葉鳴りにくらべれば無に等しいものだった。

 すきの柄を掴む。

 慎重に足を踏み出す。

 時間をかけて闇に慣らした目を凝らす。神域の周りには墨で色をつけた鈴を吊るした黒い糸が張り巡らされているのだ。その位置も、じっと待つ間に把握している。


 岩と岩に張られた細縄を跨ぎ越える時には、ひどく長い時間をかけてしまったような気がしていた。

 自分は何をしているのだろう。

 宮司たちが去ってからこんなに時間が経ったのだ。もう皆死んでいるのではないだろうか。

 そもそもが無理なのではないだろうか。

 私はあまりにも考えなしなのでは?

 一体なぜあの時、狭穂の頼みにうなずいてしまったのか。

 そんなことは無理だと説き伏せてあのまま一緒に出奔するべきだったのではないだろうか。


――私はきっと女王ではない。そんな器じゃありませんもの。


――だからどうか私を、掘り出して。


――掘り出して穴を埋めておけば、私は女王にならず竹になるのだとみんな信じるでしょう。

――そうしたら私、あなたとどこへでも参ります。


――でも、


 さく、と押し殺したような小さな音を立てて、すきの刃先が土に刺さる。

 ここだ。ここに狭穂は埋められたはずだ。

 さく。

 さく。さく。

 さく。さく。さく。

 さく。さく。さく。さく。

 脳裏には狭穂の言葉が甦る。

 私は恐れている。生まれてこのかた感じたこともないような恐れを抱いている。背骨の芯から震え、すきを握る手が落ち着いて動かない。

 私はこの後何を見るのか。



――もしも私が女王若竹になり始めていたら、その時は。



――埋め戻して、あなたはどうか逃げてください。



 そんなことが、私にできるか。

 覚悟が決まらないままここまで来てしまった。

 全身に嫌な汗をかいている。

 夜風が無数の竹の葉を鳴らして回る。

 波打つような葉擦はずれと自分の呼吸、すきが土を刺す音が、ごちゃごちゃに混ざって他に何も分からなくなる。

 さく。さく。

 このままどうなるのだろう。

 さく。さく。

 掘り出してどうする。

 さく。さく。さく。

 もう死んでいるかもしれない。

 もう人ではないかもしれない。

 埋め戻す度胸が、逃げる度胸が、何よりこのたかでのことを忘れて生き続ける度胸が、私にあるのか。

 さく。さく。さく。さく。

 さく。さく。さく。さく。

 さく。さく。さく。

 さく。


「あ」


 思わず小さな声が漏れた。

 すきの刃先が、墨色の土の下に白っぽい布を暴き出していた。

 瞬間、私は我を忘れた。無我夢中ですきを使い、布で巻かれたそれの周りを掘り進めると、帯に挟んでいた小刀で中身を傷つけないように布を切り開いた。こぼれ出したのは黒髪。はやる気持ちを抑えて更に布を切っていく。顔を探している。

 顔。

 狭穂の顔。

 目を閉じた狭穂の。

 私はすきを持ち直して更に土を掘り続ける。

 さく。さく。

 さく。さく。

 さく。さく。さく。

 狭穂は目を覚まさない。

 私は掘り続ける。

 布に巻かれた狭穂の肩が、胸が、胴が土の中から現れる。

 私はもはや汗だくだった。さっきまでは夜風がひっきりなしに汗を冷やし続けてぞくぞくするほどだったが、掘った穴が深くなってきてもうあまり当たらない。暑くて暑くて、自分の身体から湯気が上がっているのではないかと思うほどだった。

 狭穂はまだ目を覚まさない。

 でも大丈夫だ、と私は自分に言い聞かせた。

 もしも私が女王若竹になり始めていたら、と狭穂は言ったが、そんなきざしは見えない。女王になるなら土の中でどうなっているのかは古老も知らないということだったが、少なくとも今のところ、狭穂は私の知る狭穂だ。

 眠っているだけで。

 そう、眠っているだけだ。

 あの薬酒がまだよく効いているだけ。

 狭穂を掘り出し、穴を埋め戻したら、警護の立っている林道を避けて竹林と森の接するところから直接山に逃れる。この辺りの地理は確認してある。夜通しの山道になるが狭穂を抱えてでも何とか歩き続けて夜明け前に山を越えれば、日の昇る時刻には関所のない所から隣国に入れる。

 もう少し。もう少し。

 腰まで掘り出せれば、布を残して狭穂だけ引きずり出せる。

 もう少し。

 もう少し。


 もう少しで。


 ……す、とうなじに冷気がさした。夜風ではない。私は穴の中にいるのだから。

 月光をさえぎったのだ、と気付いたときにはもう、声は降ってきていた。







 宮司か警護か、このすきで殺せる相手だろうか。

 咄嗟にそう考えながら私は、


 見上げた。


 満月を冠のように頭上に頂いた、その人物を。



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