その昔語りを聞かされた私は混乱した。日葉洲ひばす――氷羽州ひばすとは、我が高祖母その人の名である。竹野国たかののくにから闇見国くらみのくにに嫁いだ時に日葉洲から氷羽州と名を改めたと聞いている。

 国を出るにあたっては様々な困難があったということだったが多くを語らず、たかの係累との付き合いもなかったという。ではもしや、たかの女王になることを嫌って出奔したのか。

 私は、このたかの女王の血を引いているのか。

 だとするならば、これは宿命なのか。

 血に導かれてすえの私がたかを訪れ、かつての高祖母のように神事に赴かねばならない娘、狭穂さほと出会ったのは。



 狭穂さほは、私が居候している酒屋の長女である。

 口下手で愛想がなく引っ込み思案なのであきないにはどうも向いていないようだから、家業は次女に継がせるつもりだ、と家長のいますは言う。確かに私の目から見ても、商売する活発さや交渉強さはあまりないように見えた。

 しかし、よく気が付く方でいつ見ても立ち働いており、下働きの者たちにも親身に振る舞い、自分の妹たちをみるついでに飯炊き男の幼い娘の面倒まで一緒にしてやるような大らかなところがあって好ましかった。

 何より愛想がないなどとは真っ赤な嘘で、子供たちをみる眼差しの優しさ、山間の早い夕暮れを見上げるうれえた表情、私の旅の話に目を輝かせる時の生き生きとした美しさは例えようもなく、気を許してからは夜風のような涼しげな声でよく話をしてくれた。

 この娘は無愛想なのではなく、少しばかり怖がりなのだ、と思う。怯えが取れた後はこんなにも親しく笑い、話し、居候の私に心を砕いてくれる。

 泊めてもらった最初の晩から、私はこの狭穂さほを気に入っていたのだと思う。狭穂もよく私の世話を焼いてくれたし、何日もいるうち、私の求めに応じて竹野国たかののくにのことを話してくれるようになった。狭穂は大体いつも家の仕事をしているから、お昼後の一休みの時間や、夕飯の片付けが終わって子供たちが寝かし付けられた後の、針仕事の時間などに。

 特に夜は、二人きりで話を聞くことが多くなる。揺らぐ灯りのもとで針を使う狭穂の指先が私は好きだった。慣れた様子で絶え間なくよく動き、柔らかそうで、そして実際にとても柔らかく温かかった。

 手を握り、身体を寄せ合う仲になるには時間は掛からず、やがて狭穂はより率直な言葉を聞かせてくれるようになった。


「こんなこと、内緒にしてくださいませね。私、おたかが恐ろしいのです。女王にもなりたくない。もう十五なので、今年と来年おたかがなければその心配はなくなりますけれど」


「どうして? 皆、女王に憧れているみたいだけど」


「子供たちはそうですね。綺麗に着飾って宮廷に住んで、たくさんの人にかしずかれるから華やかに思えるのでしょう。でも女王は、自分の死期が絶対に分かるといいます。数年のうちに死ぬ、と分かったらすぐにおたかをさせて世継ぎを決め、急いで育てて、死ぬのです。

 それに、おたかで女王になれなかった娘はやっぱり死んでしまうのですもの。

 私は嫌。私、死ぬのが怖い。早く十七になりたいと思います」


 竹野国たかののくにでは、娘は十七になると成人の儀式をするという。成人すると家督相続が許される。子の成人時期は当主が決めるという闇見くらみとは風習が違うようだ。特に、我々の国であれば娘が見初められたなら急いで成人の儀を行い結婚する。

 我々の国なら。

 そう、だから闇見くらみに来れば、狭穂も。


 それからも狭穂は繰り返し、死ぬのが怖い、おたかが怖い、早く十七おとなになりたいと言い続けた。心底怯えている様子で涙ぐみ、針を持つ手も震え、見ていて可哀想になるほどだった。

 そうして何日目かに、狭穂は初めて、助けて、と言った。それからはっとして涙を拭く。ごめんなさい、という小さな声が聞こえた時、私の心はもう決まっていた。


「狭穂。私と一緒に来てくれないか。

 私は実は、闇見国くらみのくにの王族だ。大した権力もない名ばかりの王族だが、小さいなりに豊かな領地を代々守ってきた。きっと苦労はさせない。私の妻になってほしい」


 狭穂の母であるいますは、家業は次女に継がせると繰り返し言っており、そのことは家族皆が了解しているという話だったから、私が狭穂に結婚を申し込んでも良いだろうという目算もあった。

 狭穂はすぐに頷いてくれた。言葉はほとんどなかったが、ほろほろと涙を流し、私の利き手を取って自分の胸の真ん中に優しく押し当てた。それが将来を約束し合った男女にだけ許される仕草であることは何日も前にお茶の席で聞いたばかりだったから、私はすっかり嬉しくなり、自分も同じようにして狭穂と笑い合った。

 商談でよそに泊まっている家長のいますが、明日の夕方には帰ってくる。そうしたらすぐ話しに行こう。




 しかし、事態は急変した。

 翌日の昼前、突如として女王がおたかの神事を行うことを宣言し、『十五』のくじを引いたとお触れが出されたのである。

 竹野国たかののくにでは民はすべて記録され、年齢も把握されている。十五歳の娘は全員が宮司から札を受けるようにとのことだった。

 私はそれでもまだ、たかをくくっていた。こうした神事に参加させられるのは通常、未婚の娘だけだろうと思ったからだ。私の育った闇見くらみや、これまで巡ったいくつかの国ではそうだったから。私と狭穂はすでに結婚の約束をしているので、そのことを申し出れば狭穂は闇見くらみに連れて帰れるだろうと思っていた。


 昼食の後、集落の古老を囲んだ集まりでこれまでのおたかの神事について昔語りが始まった。数十年振りのことであるから、神事の内容を皆よく知らない。そこで、次の神事が決まれば前回を知る年寄りが話をすることになっているという。

 そこからが最悪だった。

 日葉洲ひばすの昔話。

 神事の具体的な内容。

 直後、いますの帰宅。いますは見るからに上機嫌で、出先からの帰りがけに、一族と雇い人たちの家族のうち十五歳の娘はすべて神事に参加すると月の宮に届け出てきてしまっていた。

 私は慌てた。



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