小悪魔の悪戯(キス)

シャルロット

小悪魔の悪戯(キス)

 薄暗い通路の向こうで、ほんの少しだけ緑色に光る長方形のライトが見えた。僕はそこに惹きつけられるようにゆっくりと歩いていく。手探りでドアのノブを探すと、ノブではなくレバーが手にぶつかった。それを掴んで恐る恐る回した。その扉の先には、何故か夜の森が広がっていたのだ。木の足元にはライトで照らされていて、木と木の間にもたくさんの電球がイルミネーションのように連なっている。そしてその木々の向こうには、見たことのないような巨大な樹が天にそびえていた。吸い込まれるように僕はその森の中へと足を踏み出していた。


 横浜にある遊園地。そのアトラクションの一つに巨大迷路がある。その非常口がどうやらこのカーニバルのエントランスのようだ。僕が迷いこんだ森は、今宵炎と森のカーニバルが開かれていたのだった。


 巨大な樹に近づくにつれて電飾ばかりではなくて、あちこちで松明も焚かれるようになった。目を凝らすとところどころにミイラ男と思われる影が何人か見えた。じゃらじゃらのネックレスをしているミイラもいたので、もしかしたらミイラ女もいるのかもしれないけれど、僕には今一つ判断できなかった。そうしているとやけに現代風なヘッドホンをつけた悪魔も数匹、僕の横をすごい速さで通り過ぎて行った。飛んでいたので、羽ばたかせた翼から生まれた強風で思わずのけぞってしまう。そんな不可思議なものが溢れる森の中を歩いていても何故か怖くはなかった。ただただワクワクしていたのだ。


 やがて視界を遮っていた木々が突然ひらけて目の前に大きな広場と、巨大な樹が現れた。樹は色とりどりの電飾で飾られて、広場にはあちこちで炎が燃え上がって、樹を囲んで踊ったり笑ったりするたくさんのミイラや悪魔、ピエロに骸骨たちを照らしていた。カーニバルというだけあって本当にお祭り騒ぎだ。広場を囲うように出店が並んで、そこからおいしそうな匂いが漂っていた。


「君もツリーランドに招かれたのかい?」


いきなり耳元で聞かれて僕は飛び上がってしまった。振り向くと三又槍の代わりに大きなまん丸の綿菓子を持った悪魔が肩のところで浮かんでいた。


「ツリーランド?」


「そうさ。ここは人間もお化けも悪魔もみんなが集まるカーニバル、ツリーランドさ!」


そう言って綿菓子で巨大な樹を勢いよく指した。すると勢いが良すぎたのか綿菓子が半分とんでいってしまった。


「わーもったいないよー」


電光石火で落ちる途中の綿菓子の塊を取りに行く。その姿を見て僕は思わず吹き出してしまう。ペアになって踊るガイコツとミイラ。ピエロは両端に炎が燃える棒をバトンのようにくるくると回しながら歩いている。時折空に向かってふーっと強く息を吹きかけると、その炎が空を焦がすように燃え上がった。何もかもが好奇心をそそるので僕はほうけたようにきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。


 するとよそ見をしていたせいだろう、思い切り誰かとぶつかってしまった。しかしぶつかった感触は驚くほど柔らかかった。


「だ、大丈夫ですか?」


向こうも転がったりすることは無く、僕が聞いたらすぐに


「大丈夫よ」


と答えた。だが彼女の返事はそれだけにとどまらず


「でもぶつかったんだから責任は取ってくれなくちゃ。私をパーティーへ連れ出してよ」


と僕に口をはさむ暇も与えずに一気にまくし立てた。改めてぶつかった相手をよく見る。ふわふわのフリルが何重にも重ねられた豪奢なドレス。でもその色遣いはあちこち違うモザイクのようになっていた。何だか目がちかちかしそうだ。そして頭には大きな、それこそ頭と同じ大きさかと思うほどのリボンがついていた。雪のように白い肌と真っ赤な唇。少し高い鼻梁。りんごのような頬はつつきたくなるようにぷくっと膨れていた。でも彼女の姿の中で一番目を引くのは目の色だ。目も覚めるような美しい赤色だったから。


「あ、あなたも悪魔なんですか?」


僕がまだ彼女の顔から目を離せないままに聞くと、彼女はちょっと得意げに胸を張って


「そうよ」


と答えた。どことなく奔放なお嬢様を思わせるすこし上から目線な物言いだ。しかも意外と胸もあって、デコルテが大きくあいたドレスが似合っていると思いながら、僕は慌てて目をそらす。


「はやくはやく、時間がないのよ。パーティーへ連れ出してよ」


僕はまだ状況を呑み込めないままに、しかし彼女と一緒にお祭りを回ることにした。周りは行きかう人でごった返していて歩く場所もないくらいだから、自然と自分の左手を彼女の方へ伸ばしていた。彼女はほんの少しびっくりしたように眼を開いたけれど、すぐに自分の右手を伸ばして僕の手を掴んだ。悪魔の少女だから氷のように手が冷たいかもしれない、と一瞬身構えたけどそんなこともなく、むしろ彼女の手は温かくて華奢な感じがした。


 それから二人で巨大なツリーを回るようにしてお祭りを見て行った。巨大な樹の中程は部隊のようになっていて、そこでは次々にいろんなパフォーマンスが繰り広げられていた。ガイコツが踊ればピエロが火を噴き、顔を隠したシンデレラたちが歌っている。そうかと思えばヘッドフォンをつけたさっきの悪魔が現れて、DJで会場を一気に盛り上げていく。その一つ一つに彼女は子供のようにはしゃいでみせる。それからツリーの舞台が見えるBARに二人でやってきた。


「お酒なんて選んだことないから分かんないわ」


注文に迷っていた彼女に僕は月のカクテルを注文した。愛想のよい包帯男のバーテンダーが慣れた手つきでシェイカーを振る。グラスに注がれたのは透き通った輝く銀色のカクテルだった。そこにバーテンはレモンを添えて彼女の前へすっと置いた。BARの照明の光を受けて、白金色だったカクテルが一瞬黄金色に輝いて見えた。


「さて、そろそろ出番ではございませんか」


バーテンが彼女に声をかけた。


「えっもう?あ、本当だ」


ツリーの舞台を見上げて彼女は心なしかつまらなそうな顔をする。


「じゃあ一回行ってくるね」


僕に片手をあげると彼女はツリーの方へかけて行った。


「バーテンさん、どういうことですか。出番って?」


「ああ。彼女はこのカーニバルの大スター、誰もが夢中の歌姫なのです。だからツリーの舞台に彼女が上がるのを、みんな心待ちにしているのですよ」


そう言ってバーテンは僕の前にもグラスを置いた。


「太陽のカクテルです。これは私からのプレゼントですよ、彼女が選んだお相手へのね」


バーテンが包帯で巻かれているにもかかわらず、にこやかな雰囲気をいっぱいに振りまきながら言う。


「え、選んだって?僕のことですか?」


「もちろん。彼女はこのカーニバルの間いつも一人でしたからね。あなたが最初なんですよ、彼女が一緒に回る相手に選んだのは。そしておそらく最後の、ね」


その瞬間後ろで割れんばかりの歓声が聞こえた。舞台に上がった彼女がここからでもよく見える。その顔を見ながら、唐突に僕は彼女のことを好きだと思った。彼女とずっと一緒にいたいと強く思った。帰ってきたら手をつなごう。その手をもう離さないと僕は決めたのだ。ツリーの周りは人で溢れかえっている。


「内緒にするんだよ」


耳元で再び声がする。しかし今度は悪魔ではなく、腰骨がひどく曲がった嗄れ声の魔女だった。


「あの子が選んだのはそなたかね。そなたには一つだけ忠告しておこう。この恋は秘密にしておくんだよ。だれにも言ってはいけない。さもなければこの子の命が危ないのだから」


それだけ言うと魔女はひゃひゃひゃと笑いながらすたすたその場を離れてしまった。広場では大きな拍手が起こる。彼女の歌が終わったようだ。舞台から降りてこっちに走ってくる彼女を見たら急に恥ずかしくなって、僕はBARの奥で働いていたロボットに見とれているふりをした。


「何よ、私がいない間にあの子に見惚れてたの?」


戻ってくるなり彼女はひどく怒ってしまった。


「そんなことないよ」


「ほんとに?どうせわたしよりあのロボットの方がいいんじゃないの?」


「まさか、そんなことないさ」


「じゃあ今すぐ証明してよ」


「えっ?」


証明と言われてもどうすればいいのだろう。僕が困っていると彼女は当たり前のようにこう言ってのけた。


「キスして」


僕は固まる。キス?ここで?いますぐ?


「そ、それはちょっと」


「なに、わたしとキスするのが嫌なの?」


「いやそういうわけじゃないけど」


「じゃあキスしてよ」


どうやら僕に選択の余地はないらしい。つい人目を気にして周りを見渡してしまう。でも僕たちに注意を向ける人もいない。バーテンも気を利かせてその場を離れてくれていた。僕は一度大きく深呼吸をすると彼女の手をギュッと握った、そしてゆっくり彼女の顔に近づく……。


 その時バーンとどでかい音がしてツリーが倒れてしまった。枝が周りの松明を軒並みひっくり返してしまい……






「カーット!!中止!!」


監督の卓也の声がして撮影がとりあえず中止となった。大道具係が慌てて倒れた段ボールのツリーと、疑似炎の松明を直しに行く。


「だめだよ卓也、疑似炎のコードが切れちゃった」


「まじか。しょうがない、今日の撮影はここまでだ」


僕と彼女―――富田紗綾―――はつないでいた手をすぐに放した。


 僕たちは映画サークルのメンバーで来たる11月祭の展示用に、監督である部長の卓也が大好きなバンドの1曲を題材にした短編映画を撮っていたのだった。


「続きは明日撮ろう。多分それで全部終わると思うぞ」


僕たちは急いで片づけを終えると、卓也がそう言って明日のスケジュールを確認した。


「お疲れさまです」


「お疲れ様、富田さん気を付けてね」


紗綾は構内の大通りを南の方へ曲がって帰っていった。すると卓也が僕を小突く。


「紗綾とお前、何もないのかよ?せっかく二人で恋人役やってるのに、お前は一年以上たった今でも『富田さん』なんて堅苦しく呼んじゃってさ。お似合いだと思うけどな」


「よせよ。富田さんの好みは僕みたいなやつじゃないさ。さ、僕は帰るよ。おつかれ」


「おう、お疲れ」


僕は自転車にまたがると通りを曲がって門を抜ける。家に帰るにはそこを右に行って大通りを北上するのが正しい。でも僕はこっそりそこを左に曲がって川沿いの道を目指した。少し先をもう一度曲がって、いつもの待ち合わせ場所にしている研究センターの前に向かうと、彼女の方が先についていた。

「遅くなったね、ゴメン紗綾」


「別に、全然大丈夫だよ」


僕は自転車から降りてそのセンターの駐輪場に止めた。それから二人で手をつないで歩き出す。


「わたしたちが付き合ってるのって、本当にばれてないのかな?」


「ぜーんぜん。卓也とか何にも気づいてないからさ」


僕と紗綾は1ヶ月ほど前から、周りの人に黙って付き合っていた。ばれないようにわざわざ帰る向きを変えて、いつもここで待ち合わせていた。別にそこまでする必要はないと言えばない。何となく二人ともいつまで隠しておけるかを、楽しんでいる方が大きかった。


「それにしても紗綾の役は、およそ紗綾の本当の性格とは正反対だよな。女王様キャラとか合わないもんな」


「わたしもびっくりだったもん。そういうキャラ演じるの?!って思ったよ。しかも今日になって急にキスシーンを付けるとか言われて」


「そうそう、あれはビックリだった。だってね、ほら、キスなんてしたことなかったし」


キス、という言葉に紗綾がびくっと肩をすくめる。そして小動物のようにうんうんと小刻みにうなずいた。僕は少しだけ意地悪をしたくなって、つないでいた手を組み替えて指を絡めた。


「えっ?」


あからさまに困惑した表情の紗綾。頬の辺りがほんのり赤くなる。それから絡めた指にきゅっと力を入れてきた。僕たちは川に降りていく。夏の川辺は二人で話しながら歩くにはちょうどよかった。


「でもどうせ明日はキスシーンやるんだろ?」


「何とか中止にできないかな?」


「卓也の感じからいうと無理だろ。一応直前で止めてくれればいいって言ってるけど、あいつ明らかに楽しんでるからな」


「わたし……まともに演じられる自信ないよ」


そりゃそうだ。恋人同士に恋人同士役を演じさせるなんて皮肉もいいところである。


「ねえ紗綾、せっかくだから練習する?」


「練習?!」


紗綾はすっとんきょんな声を出す。そして僕の顔を上目づかいに覗きながらひどく恐る恐る聞いてきた。


「キ、キ……キスの?」


「もちろん」


「そ、それはちょっとなんか、てれるよ。恥ずかしいし……」


もごもごと答える紗綾。僕は立ち止まった。そしていきなり紗綾の両肩に手を置くと有無を言わさずぐっと引き寄せた。驚く紗綾の額に僕は短くキスをした。


 僕が手を放すと彼女はよろっと一歩だけ下がると、そのままうつむいてしまった。さすがに急すぎたかな。彼女を見ていられなくて、僕は川の方へ体の向きを変えた。若干後悔し始めたのを打ち消すように、僕はおどけて言う。


「これくらいでへこたれるようじゃ明日困るぞー」


返事がない。やっぱりおとなしい紗綾に無理やりだったかな、と心配になる。しかし僕は分かってなかった。ちっとも分かってなかったのだ。女の子はみんなどこかに小悪魔を隠しているものだということを。


 紗綾は僕の腕をつんつんとつついた。どうしたのだろうかと僕がもう一度彼女の方を向いた瞬間、紗綾は手を伸ばして僕の肩をつかむと、くっと背伸びをしてその勢いのまま、思い切り顔を近づけてきた。僕の唇に、紗綾の唇の柔らかな感触がして、電流を受けたように動けなくなった。ほんの一瞬が永遠かと思うほど長かった。


 紗綾のかかとがすとんと落ちる。そしてさっきと同じように俯いて、ぼそっと言った。


「わたしだってへこたれないもん。小悪魔になれるもん」


こりゃ完全に紗綾にリードされちゃったな。僕が紗綾の頭をポンポンと撫でたら、ハムスターのようなきゅっという声を出して縮こまる。いつもの奥手でおとなしい紗綾に戻っている。


 僕の大切な小悪魔少女。そのまま僕は紗綾をぎゅっと抱きしめた。

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