第一章 あの日の窓辺

あの日の窓辺 1

秋晴れの気持ちの良い午後。


 少し幼さを持ったその人は閑古鳥の鳴く古風な店内の入り口の斜め前に位置するカウンターの前で相棒のお世話をしていた。


 このまるで時間が止まったような空間で唯一コチコチと「ちゃんと時が進んでいるんだよ」とでも言いたげに店内の壁に掛かった古い薇式の時計の音が、時を刻む音を響かせ続けている。


 不意にその女性が、目の前にある木製のカウンターにコトリと何か箱のようなものを置く。


「ねぇレオ。こんな感じで良い?」


 彼女は、鈴のような声でそう箱に呼びかけた。その箱はよく観るとレンズがついており、どうやらカメラらしいことが、見て取れた。


 なかなか古びている、だがちゃんと手入れされているらしいそれは、陽の光を受けて微かに縁が光で彩られている。


 対してレオと呼ばれたカメラは嬉しそうな声で


「うん。ありがとマー子」


 と応えた。マー子とはこの女性「宇津宮 真映子」の小さい頃からのあだ名だ。今でこそたくさんの友人がこの名を呼んでくれるが、一番最初にこの名を呼んだのは先の「喋るカメラ」で彼女の友達第一号である、レオこと「ダゲレオ」だ。


 名前の由来は彼の機種がダゲレオタイプだからで特に意味はない。ちなみに創業当初からいるのでかなりのご高齢であるのだということは、宇津宮家では禁句の一つとなっていた。


 そんな2人の営む小さな写真屋は創業こそ幕末だが、かつて大正時代に周りの景観に合わせて中身だけ改築し、それっきりメンテナンス以外で手をつけていない。なので本物の大正モダンを拝むことができ、今ではそこも売りにしている。


 ちょうど窓に嵌められた手漉きガラスから、陽が入り込んで店内を明るく照らし出していた。そして、宙を舞う埃たちがまるで太陽から零れ落ちた滴かのようにチラチラと光を受けて輝いている。


 とても穏やかで静かな時間が店内には流れていた。


「あー、こうも何もないと暇だね」


 そんな沈黙に耐えられずにレオが声を上げる。


「だね。まあ最近は輪をかけて不景気だからね〜。今だとこんなところじゃなくても、チェーン店とかスマホでより綺麗な写真を撮ることもできるし………。浪漫ろまんが無いよねー」


 マエコは、そうぼやきつつ木目を指でなぞり、わざとらしい盛大なため息を一つ。


 今や全国で11,329軒もある写真店。その殆どがチェーン店である今、老舗写真館も場所によっては虫の息だったりする。


 この店の周りはまだ穏やかで、今だに安く上がると近所の幼稚園〜高校までの、様々な写真を撮りに行ったりしている。


 勿論マエコはまだ学生なので、基本的には学業が優先になってしまうのだが、学校と被った場合は、遠くに居る叔父が招集される。


 この店は、叔父名義で営んでいる店だから本来の店長は叔父なのだが、基本マエコが店を切り盛りしているというのが現状だった。何故なら、叔父は一つどころに止まることのない、日本を旅するプロカメラマンだからだ。

 

 昔は世界へも足を伸ばしていたらしいが、今はもう体力が持たないと、国内だけになっている。それでもやはり腕は確かで、彼の写真は、マエコの目標の一つでもあった。


「でも確かに暇だわね。うん、じゃあレオ。しりとり、しようか」


 マエコがそう提案すると、何故かレオが小さなため息をつく。何か変なこと言ったかしら。そう思い首を傾げるとレオが再び声を上げた。


「勘弁してよ………今眠い。惰眠を貪りたい」


"え、カメラも寝るの⁉︎"なんて言う話はとりあえず置いといて、取り敢えず最後の『い』から文を紡ぐ。


(あ、ていうか、最初に声かけてきたの君じゃん。さては面倒臭くなったな。………ちょっと煽ろう)


「言ってる割りに参加するんだ?」


ニマニマし始めるマエコを無視して、それでも何かを感じたのか無い目をじっとりとさせつつ、レオも脳内で文を構成し始める。


「『だ』……………だってそうじゃないと煩い『し』」


(むう。やっぱり参加してるじゃん。完全に私を下に見ている感じではあるけれど)


「『し』……………仕様がないじゃん。暇なんだも………」


 言った直後にそのことに気づきハッとする。あ………しまった。早速終わらせてしまった。そう思い苦い顔をしていると、隣からフフンと言う笑い声と共に


「………はい負け」


 無邪気な笑顔(をしているような気がしてくる声)で敗北を言い渡された。


「く、くそう……!負けた………!1分足らずで………!うらめしや我が脳細胞!」


「はははは、人がゴミのようだ!」


 どこぞの大佐宜しく敗北を言い渡したレオは、そのままムウと頬をリスのように膨らませるマエコを前に、


「ブスの極み乙女」


 とケラケラと笑いながら、追い討ちという名の地雷を爆走していくのも忘れない。


「ブスじゃないです美人ですぅ〜。今日も麗しい大和撫子ですぅ〜」


「大和撫子なら男子を尊重すべきかと思いま〜す」


「うわっ、うっわ男尊女卑反対!ダメ絶対!」


「そういうことは、一度くらい僕に勝ってから言うんだね〜」


(クッ………。こうなったら仕方がない。私の最後の切り札を見せる時が来たようだな!さあ恐れ慄くがいい、笑っていられるのも今のうちだ!)


 フフフと気味悪い声とともに振り返るマエコ。それを傍観するレオ、さあこの勝負の行方や如何に!


 いささか大仰な深呼吸をしたのち、マエコはカット目を見開いて叫ぶ。


「………ンゴロンゴロ自然保護区………!」


 負け犬の遠吠えと言わんばかりにマエコが切り札を持ち出す(ご丁寧に変な決めポーズ付きで)。


 そう、「『ん』で始まる言葉を使えば、しりとりは終わらないじゃん」戦法である。


が、


「ダメ。それ入れたらキリがない」


 あっさりと否定という刃で斬り捨てられた。試合終了のゴングが、マエコの中で鳴り響いていた。


「そしてマー子はそのまま地面に崩れ落ち、二度と動くことはなかった……無念」


「勝手に殺さないでよ!」


 そもそもレオとは生きてきた時間が違う。よって、彼の方が博識だ。下手すると、その辺の辞書よりも言葉を識っている。


 だからなのか、マエコが本気のしりとりで彼に勝ったことは一度もない。何だかんだ言う割に頭は冴えているのがレオだ。


 そしてそんな彼に一度でもいい、ギャフンと言わせるのがマエコの叶いそうもない小さな夢の一つでもある。よく家族に笑われたが。


「いつか勝つ!」


「ハイハイガンバ」


 適当にあしらわれた事が気に食わなかったのか、マエコは口を尖らせながら手入れを続ける。勿論丁寧に。 


 そんな子供めいた、他愛もない言い合いと笑い声が店内にこだまする。


「そういえば、そろそろ板買い足さないとだね」


「そういえばそうだね。ついでに硝酸銀溶液も買っときたいね」


 ダゲレオタイプのカメラの撮影はかなり手間がかかり、しかも出費が痛い。そして何より道具が多く、手入れに時間を取る。撮影する時の主な手順は次のとおり。


1. ガラス板をピカピカに磨く(但し、湿板用のアルミ板の場合は磨き不要)

2. コロジオン溶液をプレート全体に塗布する。余った溶液はボトルに戻してok

3. 硝酸銀溶液に3〜5分ほど漬ける(絶対に暗室で行う)

4. プレートを取り出して、プレートホルダーという道具に設置(これも絶対暗室)

5. 撮影する。大体1分前後くらい掛かる

6. 現像するための液を全体にかけて現像。精製水で現像を止める(やっぱり絶対暗室)

7. 水で洗った後に、定着液に入れて現像したものを定着させる

8. ニスがけ


 ただ写真を撮るだけで、こんなにも工程がある。しかも真っ暗な暗室と水場、汚れても良い部屋必須だ。


 昔の人はこれらの苦難を乗り超えた先で写真を手にしていたわけで、だからこそ値が張り、なかなか撮れるような代物ではなかった。


 だがここは現代。流石に普段からこんなに時間をかけるわけにもいかない。だからこそ、"普通の撮影"の時は、現代のカメラを使用している。


 ただ問題は値段で、道具を揃えるためにカメラを除いたとしても最低5万円程かかる。しかも、硫酸銀は溢したら黒いシミになりなかなか落ちない。


 一度、うっかり手にぶちまけてしまったことがある。この時は運悪く、硫酸銀が何かの模様のような溢れ方をしてくれたのだ。


 恥ずかしくて包帯を巻いて学校に行ったところ、『包帯+変な模様』というパワーワードのおかげで友人達に厨二病と勘違いされる羽目になった。落ちるまでの2週間。あの目線の生暖かさと冷たさは一生忘れないだろう。


 そんなわけでデメリットが多いように感じる湿板撮影。ただ、ガラス板で撮影するとなかなかオシャレなインテリアになるので、一部のマニアの間では人気なのだとか。よくわからない。

 そんな事を悶々と考えているうちに、店内に設置されている古い黒電話が鳴り出した。


「電話だよマエコ」

「うん」


 それまで手にしていたレオを一旦目の前にあるカウンターに置き、急いで電話の方へ手を伸ばす。


 チリンという音と共に電話の方から「あ、もしもし……」という日本人特有の控えめな女性の声が聞こえてきた。………年代は2〜30代くらいだろうか。


「はい、お待たせしました。貴方の大事な瞬間を守る、写真屋 泡沫店長代理、宇津宮です」


 すると、電話の向こうの女性は少しもじもじとした後、言いにくそうな声をしてこう言った。


「あの、写真の予約をしたいのですが………」



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