写真屋 泡沫

ナナカマド

プロローグ 空蝉

 懐かしい夢を見た

 柱時計の振り子の音が店内に響く

 ここはどこだろうか


 -真映子


 おじいちゃん?


 顔を上げるとそこには、もう会いたくても会えない、木漏れ日のように暖かい笑みをたたえた祖父が居た。

 祖父がその大樹のように大きな体の梢で、優しく私を撫でながら祖父の付けてくれた私の名前を、葉の擦れる音のように静かな声で、けれどもはっきりとした声で、呼ぶ。


 -いいか真映子


 なぁに?おじいちゃん。


 -昔写真が日本に広まり始めた頃はな、このカメラは魂を吸い取ると言われて怖がられていたんだ


 どうして?そんなこといったら、カメラがかわいそう。


 -ああそうだとも。カメラには何の罪もないな。真映子は優しい子だ。だがね、それまでは日本には似顔絵しかなかった。なのに急に光っただけで、自分を鏡で写したかのような絵の出てくる写真なんてものが日本にきたらどうなるだろう


 みんなびっくりしてしまうんじゃないのかな


 -そうだね。当時写真を撮るときの使い捨てのフラッシュと、こんなに精密に映し出された自分の姿を見て、まるで自分の魂がそこに閉じ込められたと感じてしまったのだろうね。


 おもしろいひとたちなのね。そんなばかなことありえっこないのに。


 -そう、今でこそそう言えるが、当時はまだみんな妖怪などを心の底から信じていたからね。それに真映子だって、もし目の前にあるボタンを押しただけで自分と全く同じ姿の人間が出てきたとしたらびっくりするだろう


 からかわないでよ。そんなことあるはずないじゃない。わたしはこどもじゃないのよ。それくらいわかるわ


 -ははは、そうだね。からかってすまない。でも決してあり得ないことじゃない。あり得ないなんて事はあり得ないのだから。だがね、当時の人々も写真のことを今真映子が感じたように"そんなばかなこと"と思っていたのさ。人は受け入れられないものを遠ざける。まあ、一種の自己防衛のようなものなのだろうが、例えどんなに大丈夫と言われようと、自分の頭で理解できないもの、自分の目で見えないものは人を不安にさせる。


 それじゃあ、どうすればいいの?


 -そうだね。まずはそのことに歩み寄ることが大事だ。どんな物でも、自分から近づいて行かないと、判らない事はたくさんある。例えば家があるとして、その中を知りたい時、窓の外から眺めるのと、実際に入って見るのとでは、見えるものが確実に違う。だからね真映子。君は噂で全てを判断するようにはなってはいけない。自分の目を信じなさい。自分からその一歩を踏み出す努力をしなさい。世界は広い。そして見たものを写真に残しなさい。撮った写真は、後の世の人々の不安を和らげ、同時に自分の生きた証になるのだから


 うーーー。マエコよくわかんない


 -ははは。いつかわかるさ。きっと真映子が、今よりずっと、大きくなったその時にね



 祖父の優しい笑い声が、暖かな春風に乗って遠い遠い空の上で弾けた、気がした。


 心地の良い夢は、目覚めてしまえば悪夢になると、このとき初めて知った。

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