第38話 ユメの国の支配者

「よっこいせ!!」


 頭部を失って動かなくなったエリュシオンの体を、忍は念入りに引き裂き、踏み砕いてバラバラにする。

 エリュシオンの皮膚一枚捲った下は機械部品がみっちり詰まっており、どの程度壊したらいいのか判然としたかった。微小なビスやナットのような部品も丹念に破断させた上でそこらにバラ撒いたので、自動修復能力があったとしてもすぐには復活しないだろう。


「……余計に時間食っちまった。さぁて、と」


 今から上階へ戻って生存者を探すのは、さすがに迂遠過ぎた。加えて戦闘の余波が原因か、周囲の肉塊が割れて不定形の天使が続々と出現しつつあった。

 揃いも揃って殺気立ち、体を引きずって忍の方へ向かってくる。足が出来てない個体は這いずりながら低く唸り声を上げていた。

 はっきり言って怖い。


「……保管庫は〜、あっちだな!!」


 そんなのに触るのも嫌なので、忍は肉の壁を壊してさっさと走り去ったのだった。

 だが残された未成形の天使たちもまた、緩慢な足取りでゾロゾロと忍を追いかけて行く。

 やがて動くものが無くなり、残ったのは肉塊と壊れた機械だけ……という有様の訓練場で、クフフと含み笑う声が微かに響いた。

 ユラユラと影が起き上がるよう、どこからともなく現れたのは、全身が光沢のある黒一色の粘液で構成されたである。

 人型を保ちながら四肢は半分溶けかけで、顔にも凹凸がない黒い塊でしかない。

 塊は、肉の床をベチャベチャと歩きながら無造作に転がっていたり白い球体を拾い上げる。

 ――忍が削ぎ落として放置した右胸であった。


「検体げと〜げっと♪ ごくろ〜さん、エリュシオン。シャンバラにも良い土産ができたよ〜、くふふ〜♪」


 ニチャリとした笑顔を浮かべた塊は、右胸を体内に取り込むと肉の床と融合するように沈んでいき、音も立てずに消失したのだった。




 訓練場を出てから数十秒と経たず、魔晶の保管庫は見つかった。


『GYAOoooooo!!』


 扉がまるで一個の生物のように変質し、鋭い牙を持って襲ってくるのを蹴り一発で粉砕し、忍は保管室へ飛び込んだ。


「はえ?」


 その瞬間、忍は足が空を切った。

 勢いをつけていたことも災いし、踏み留まることもできず真っ逆さまに転落していく。

 そこでようやく気付いた。保管室には床も天井もない。本来の構造を完全に無視し、澄み切った青空がどこまでも広がっていたのだ。

 忍が落ちてきた出入り口を確認すれば、何も無い大空に切り取られたようにぽっかり口を開けている。


「仕事しろよ、物理法則……っと」


 身を翻した忍は、落ちてきた入り口へと昇っていく。両胸の傷が結構しんどく痛んだが、放置していても再生されるハズなので、今は食いしばって我慢した。

 が、そこへ辿り着く前に入り口がフッと消滅してしまった。目標地点を見失った忍は「あ……」と悲しげに呟くのだった。

 呆然としたまま、忍は連続で空中を蹴ることで落下の勢いを殺し、ホバリングしながら周囲を見渡した。

 どこまでも広がった青空に、巨大な雲が悠然と浮かぶ光景は素直に美しい。しかし肌をピリピリと刺激し、無味無臭でありながら吐き気を催すような独特の瘴気は、紛れもなく異界のものだ。

 加えて、さっきまでの肉々した廊下よりもなお一層、異界の侵食度は上回っていた。


「この空気……普通のヤツなら一呼吸で即死だな」

「そ……れが全く、堪えていないお前は……果たして人間、なのか?」

「ん?」


 鼓膜に直に斬り込んでくるような甲高い音が、後方から猛スピードで迫ってくる。

 忍は空中を蹴る足に力を込め、背後から迫る青い影を思いっきり開脚して跳び超えた。

 青い影は忍の正面に回り込んで静止する。それは全身青づくめの装甲に覆われた、三角型の飛行機だった。

 テレビで観たステルス戦闘機に近い形状をし、全長は人間とそう変わらない。それでも人がちゃんと乗っているが、コックピットではなく機体の上で胡座を掻いていた。

 パイロットではないであろう、ジェット機の上で味のある笑顔を浮かべるのは、派手な電飾のVRゴーグルで顔を隠した、金髪を両サイドで結んだ少女である。

 首から下を服とも呼べない、無数のケーブルやコードが絡み合って全身を覆っており、露出している手先足先だけだ。それも生身なのは左手だけで、他はいずれも無骨な五指のマジックハンドだった。


「イラッシャイだね、エデン様と人間の混ざりもの。確か〜……しのぶくんだっけ?」


 ケラケラと、ゴーグルの女が馴れ馴れしく呼び掛けて来た。口許こそ笑っているが、むしろ敵対的な表情として笑顔を向ける者も多いので、油断はできない。他でもない忍がそうだ。


「おうよ。そっちはどちら様だ、おい?」


 相手の出方を伺いながら、いつでも殴り掛かる準備だけはしておく。ゴーグル女よりも、戦闘機がさっきから突き刺さるような殺気を向けてくるのだ。


「睨むなよ〜。ティルナノーグってんだ。でも長いし、言い難いからティルでもいいよん♪」

「……この異界、創ったのはてめえだな?」

「正確には『創ってる最中』かな。……ん〜と、君って僕ら『楽園の女神』についてどこまで知ってるのかな?」

「興味ねえよ、壊れた機械なんか」


 忍がそう吐き捨てた瞬間、戦闘機の機首からバルカン掃射が放たれる。しかし、さっきの熱線と比べれば威力も速度も格段に劣る攻撃だ。

 忍はさっと相手の右サイドへ滑り込み、楽々と弾丸を回避した。


「こら、アルカディア!」


 ティルナノーグが、戦闘機の機首を殴りつけた。


「今は僕が話してるんだぞ? 邪魔すんじゃない!」

「に……ん間に見下される……のは、もう我慢ならん……! あの……小娘の前に、こいつを……っ!!」

「止めろっつってんでしょうが!」


 ガンガン、とマジックハンド硬そうなゲンコツを喰らった戦闘機は、大人しく対空飛行に戻った。


「まったくもう……ごめんねぇ、しのぶくん。こいつ昨日、人間にメタメタにされたばっかだから。ゼノビアちゃん、だっけ?」

「へえ。倒しそびれたとは聞いてたけど、案外簡単に復活するんだな」

「ま、コアの脱出が間に合ったからね。……じゃ、話を戻すけど。君が言う通り、今の僕らは機能が完全じゃない。中枢システムだったエデン様が君に破壊されてしまったからね」

「らしいな。まあ運が悪かったと思え。こっちは仕事上、人間に危害を加えた妖物は生かしちゃおけなくってな」

「そいつは見解の相違ってもんだよ、しのぶくん」


 両手を軽く広げたティルナノーグの周囲に、空間設置式の光学ディスプレイとコンソールが出現する。右手がマジックハンドにも関わらず、タイピングする手付きは滑らかだ。

 さらに、忍の正面にも大画面のディスプレイが出現する。画面には、地中を走る木の根のような、放射状に広がった無数の光線が映し出される。


「僕らは人間にとって敵ではないんだ。僕らの役目は、僕らが創られた時代に訪れた『世界最期の日』を回避することにある」


 ティルナノーグの操作で、光線の一本が強調された。


「これが本来の時間の流れ。この時代からおよそ1万2千年後、地球人類は一人残らず滅亡してしまった」

「へえ。何があったの?」

「色々さ。本当に色々……って言っても、僕らが直に体験したことじゃない。飽くまでもデータさ」


 その『色々』を説明する気は無いらしく、ティルナノーグは口を噤んでコンソールに指を走らせた。

 画面をスクロールさせつつ長く伸びていた光線は、突然プツリと途切れてしまった。しかし、その周囲にはまだまだ無数に、伸び続ける細い光線が続いていく。


「僕らは過去に遡り、滅亡の根本的な原因を排除しようとした。タイムワープで過去へ遡り、人類という種そのものの改良に踏み切ったのさ」

「改良ねえ……」

「あ、何だよ、その目は? いいかい、つまりだね? いざ最期の日に直面した際、それを乗り越えていけるぐらい強靭な種族に人類を人工的に進化させたってことさ。僕らがタイムワープした先は紀元前2億年以上も前だ。出現したばかりの哺乳類に手を加えるのは容易かった」


 画面には、ネズミのような生物が、早回しで二足歩行する猿人へと進化していく映像が流れていく。


「でもねぇ、そうそう上手くはいかないもんさ。順調に進化を続けていたハズが、気付いたらこっちの予想もしなかった方向へ暴走していた」


 猿人の映像はいくつも枝分かれしていく。あるものは人間へと進化したが、ほとんどは人間とは異なる存在へとしていった。

 そういった異形の進化種に、見覚えがある。妖怪や悪魔、天使や神と呼ばれる存在である。


「こっちのコントロールを離れてしまった地球の生命は混沌のと化した。僕らの造られた時代じゃ神話や伝承の存在が、この世界では当たり前に存在し、一般に認知されている。これは看過できないエラーなんだよ」

「だからどうした。俺らにとっちゃそれが常識、当たり前なんだよ」

「あはは、そう返されると立つ瀬が無いんだけどね。だけど――」


 ティルナノーグは苦笑しながらも、忍に対して敵意を剥き出しにする。


「それでもコントロールは出来ていたんだ。エデン様の未来予測と、魂の輪廻に直接干渉する二つの機能によってね。それも君のせいで台無しにされてしまったけどね」

「……へえ」


 忍はティルナノーグから向けられる強い敵意に臨戦態勢を取りながら、視線で話の続きを促す。

 表情の消えたティルナノーグは、コンソールを叩いて画像を切り替える。マリルとゼノビアが女神と戦った記録だった。


「彼女たちのように、人の枠を越えたものから順にコントロールを外れていく。僕の予測では、あと二週間を過ぎたら例え完全な形でエデン様を取り戻しても、この世界は二度と僕らのコントロール下に戻ることはない」

「ほーん。で? それが俺とどういう関係があるっての?」

「君を素体にエデン様を復活させる。君だけじゃない、この街一つ分の生命体と建造物全てを素体に用いれば、原型アーキタイプまでは復元できるハズだ」

「おっけ、そんだけ聞ければ充分だ」


 忍は相手の返答に口許を狂喜的に歪め、ティルナノーグに向かって空間を蹴った。

 空気が弾けた炸裂音を置き去りに、忍は空を裂く流星となって機械の女神たちに殴り掛かる。


「おわっ!?」


 ティルナノーグがアルカディアの上から跳び、忍は彼女の股下を潜る形で回避された。

 だが即座に急停止、空間を蹴って再加速し、背後からもう一撃殴りに行く。


「おいおい!?」


 ティルナノーグの両腕を覆っていたコードが盛り上がり、クッション状に膨らんで忍の拳を包み込んで受け止めた。

 その衝撃で一旦は放射状に広がり、形を失ったコードの束は、すぐに忍の腕から肩、胴体へシュルシュルと伸びて巻き付いた。


「おおう!? 器用だな、おい」

「抵抗しないでおくれよ。未来の為に君が必要なのさ」

「アハハハ!! 馬鹿言ってんじゃねえよ、世界の為に死んでくれって言われて死ぬ奴がいるか! しかも一万年後の話じゃねえか!!」


 体に絡みついたコードを鷲掴みにした忍、その両手が翡翠色をした炎のような光を噴き出した。

 ティルナノーグが両目を見開く前で、まとめて無造作に引き千切ってみせる。


「それに、この街全部を素体にする? はっ、やってる事の是非を問うまでもねえ。てめえは俺の敵だ。……あいつを害するヤツは例外なく殺す」


 三度振るわれた忍の拳を、ティルナノーグは空中を滑るように後方へ移動し、間合いを離してやり過ごした。

 その背中に、機首を垂直に上げたアルカディアがピタリとくっついた。

 ゴーグル越しのティルナノーグの眼が、ギラリと闘志に滾ったのを察した忍は、同じように好戦的な笑みを返して敵の出方を窺った。


「話し……合いで済む、はずが……ない」

「だよね〜。ま、しゃーないか。……こっちも全開で殺しに行くよ。一応エリュシオンの仇討ちといこうじゃないか」

「……ザナドゥと、ニルヴァーナもだ……」

「はーい。じゃあ……合身!!」


 ティルナノーグの掛け声を合図に、アルカディアの機体が半ばから折れるようにして彼女に覆い被さった。

 ティルナノーグの体はコードとケーブルに解け、無数のパーツに分解されていくアルカディアの隙間を埋めるように張り巡らされる。青かった装甲は艶消しされた黒へと変色し、完成するのは漆黒の鎧騎士であった。

 どこか未来的なデザインだったアルカディア単体とは異なり、鉄板を重ねただけの無骨なデザインだ。しかし張り合わされた板金の間からは無数のスラスターが覗いており、背中には鋼の翼とジェットパックまで搭載されていた。


「ふぅん……ダッサ」


 忍からの辛辣な意見に、黒騎士が空中なのにズッコケる。


「むう。この良さが分からないとは……ま、まあいいや! やるよzアルカディア!!」

「ああ、今度は……遅れは取らん!! 確実に……殺す!!」


 重なり聞こえた二つの声には、どちらも突き刺すような殺気が籠もっていた。

 それを嬉々として受けて立つ忍もまた、明確な殺意と闘争心を持って拳を突き出した。


「来やがれ、二体まとめてスクラップにしてやらぁ!!」

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