第37話 妖精王国へようこそ、死ね

 階を下るごとに酷い様相を呈していたが、地下六階ともなると壁がうごめき、無数の管が縦横に走る、完全に巨大生物の体内のように変わり果てていた。

 生臭い血肉の臭いに肺を満たされ、堪らず吐き気がこみ上げた。


「過去最悪の異界だな、こりゃ」

「いいい行かせません!!」

「おっと!」


 熱線とともにエリュシオンが降りてくるので、忍は一足お先に手近な部屋の壁を切り裂いて中へ踏み込んだ。腐ったような肉の臭いと感触に耐えながら、記憶を頼りに狛犬用の所得物保管庫を文字通り一直線に目指した。

 背後から幾条もの熱線が迫るのを、疾走しながら体をくねらせ回避する。さらにエリュシオンからの「動きがキキキモイです」との精神攻撃すら退けた忍は、一際広い空間に転がり出た。昨日、ゼノビアと一戦交えた訓練場だ。

 たった一日の間にすっかり様変わりした訓練場は、天井で照明の代わりにぶら下がった巨大な心臓が脈打ち、人の形をした肉の塊が徘徊する気色悪い悪夢に塗り潰されていた。


「弥恵が見たら発狂確実だぜ、おい」


 などと軽口を叩いていた忍の顔色も、次の瞬間、青冷めた。

 訓練場を突っ切っていく最中、肉の塊が蠢き、内側から引き裂いてピンク髪の天使が襲って来たのだ。


「ひえっ……」


 思わず引きつった声を上げ、忍は足を止めてしまった。

 顔の半分の皮膚が無く、眼球と筋肉どころか骨まで剥き出しのピンク髪天使は、なまじっか原型を知ってるせいで余計に恐ろしい。


「こんにゃろー! とーとー生産地にまで攻め込んで来――」

「フォトンブラスター!!」

「ぎゃあああああああっ!!」


 幸い、ピンク髪はエリュシオンの熱線が誤射してせいで忍が触れるまでもなく焼き肉となって転がった。吐き気を催す酸っぱい臭いにゲンナリさせられながらも、忍はエリュシオンへと向き直った。


「もうににに逃げないのですね」

「本音を言えば今すぐ帰って風呂入りてえがな」


 うっかり立ち止まってしまったしわ寄せは大きかった。比喩でも何でもなく光速の飛び道具には、ある程度の距離がなければいくらなんでも対応できない。さっきのように走りながらでは回避できない間合いまで接近を許してしまった以上、この場で倒してしまった方がよほど安全だ。

 都合よく広い場所にも出られた。天井の高いここでなら、戦闘の余波でうっかり建物を倒壊させ、生き埋めになるリスクも低い。


「一応、確認すっけどよ。あんた死んだら異界は消えんの?」

「さあ? 殺ろろしてみたらどどうでフォトンブラスター!」

「うわおっ!?」


 まさかの不意打ちを仰け反って避け、続く三連射も転げ回ってどうにか躱した。

 肉の上をのたうち回ったせいで、気付けば髪もドレスもヌタヌタして悪臭を放ち、熱線が直撃した地面の肉からもジュワジュワと腐臭を帯びた黒煙が上がる。


「どうやらななな殴り合うよりこっちの方が効果かかか的なのですね」

「んのアマ! ビーム吐きながら喋ってんじゃねえよ!!」

「音声はスピーカからししし出力してままますので」


 肉の塊から羽化するように天使が出現する合間を縫って、忍は絶え間なく連射されるエリュシオンの熱線を潜り抜ける。ついでにとばっちりで天使の焼き肉が量産されていった。


「ちょこざいななな!」


 一際極太な、それこそ忍の全身がすっぽり収まる熱線が放たれる。それを前にして、忍は待ってましたとばかりにエリュシオンへと全力で突貫した。


「どぉりゃああああっ!!」


 迫る熱線を、渾身の裏拳で弾き飛ばし、大技直後で硬直しているエリュシオンに肉迫、肩から胸部へ思い切りぶつかった。


「いっ!?」


 しかし、忍の作戦を裏切ってエリュシオンは一歩後退するだけで踏み留まり、お返しとばかりに頭突きを喰らわしてきた。

 分厚い金属同士が衝突したような重低音が響き、忍の方がたたらを踏んで後退させられる。


「ぐぬっ! んなろう!!」


 忍は歯を食いしばって戦闘態勢を維持し、もう一度エリュシオンへ殴り掛かった。

 多角的なラッシュで攻め立てる忍、その猛攻をエリュシオンは正面から迎え撃つ。双方ノーガードでの殴り合いが始まった。

 拳が互いの体を叩くたび、余波によって肉塊や整形途中らしき天使が粉砕され、亀裂が走った床から鮮血が噴き出す。


「ふぐっ!?」


 強度と重量で勝るエリュシオンの一撃が、カウンター気味に忍の頬に突き刺さる。

 僅かに間合いの外へ押し出した瞬間を狙い、エリュシオンが大きく口を開いた。


「フォトンブラスター!!」

「ぐおっ!?」


 最大限に警戒していた攻撃だけあり、紙一重で体を強引に捻り、ブリッジ姿勢で回避した……つもりだった。

 だが、ここに来て超越的なサイズの圧倒的バストサイズがストレートに裏目に出る。ギリギリ回避できたハズが、左胸だけ熱線に晒されてしまったのだ。

 左の乳房が半分以上も抉られて消失、傷口が高熱で焼けただれたお陰で出血こそしてないが、気を抜くと意識が途切れかねない激痛が襲ってくる。


(ぐっあーっ!? このっ、邪魔くさいと思ってたけどこんなときにーっ!?)


 忍の動きが目に見えて鈍っていた。


「もももらった!!」


 エリュシオンは大きく後方へ跳躍、充分な間合いを確保して、再び熱線を連続照射する。


「しゃらくせぇ――ん!?」


 直撃コースの一発をまた弾き返してやろうとした、その刹那であった。

 左半身の体幹がズレて思うように拳に体重が乗らず、熱線に叩きつけた裏拳が衝撃に負けてしまう。

 直撃こそ免れたが、右腕の肘から先を丸ごと焼かれてしまった。


「あっつ!?」


 焼失こそしていないが、状態はよろしくない。拳を握ろうにも力が入らず、人差し指と小指しか動かなかった。原型が残っているだけ幸運だった。


「……なななんで『熱い』で済むのです?」

「うっせえ、馬鹿野郎! 勝負はこれからだオラァ!!」


 気炎を吐いた忍だが、さらに予想だにしない異常が起きる。

 本人は真っ直ぐ走ったつもりがどうしても軌道が右に寄ってしまう。ほんの些細なズレとはいえ、光速の熱線を発射寸前で避けながら距離を詰めるという、突進力と繊細さが同時に求められる戦法上、このズレは致命的な隙となった。

 理由は単純明快。大き過ぎる胸の片方が削がれ、重心が狂ってしまったのである。

 回避に専念せざるを得ず、思う様に攻撃に転じることのできない忍は防戦を強いられた。


「しぶぶぶといですね!」

「じゃかあしいぜ、能面女ぁ!」


 エリュシオンもなかなか有効打に繋がらずに焦りを見せているが、単純に苛ついているだけであり、戦況的に不利なのは忍の方だった。

 持久戦を挑もうにも異界を解除せねばならない戦略上難しく、文字通り鉄面皮なエリュシオンからは疲労度合いを察することができない。


(拉致が明かねえ! ……こうなりゃもう、玉砕覚悟で特攻すっきゃねえな、おい!!)


 硬直しつつあった戦局を打破すべく、忍は覚悟を決める。

 足を止めた忍は、熱線の一発をサイコキャッチで正面から受け止めたのだ。


「あっつぅぅぅっ!?」


 堪えはしたものの、左掌から焼き肉の匂いがしてくる。だが気にしてはいられないのが辛いところ。そのまま熱線を固定し、手元まで引き寄せようと力を込める。


「ふふふファーンスティック! しかしそいつは詰めが甘いスウィートネイル!」

「なっ!?」


 エリュシオンは両踵から鉤爪を展開して下半身を固定し、さらに両手首もワイヤーで伸ばして地面を掴んだ。


「フォトンブラスター、まままマキシマムドらららライブ!!」


 熱線のパワーが爆発的にパワーが増大し、引き寄せるどころか忍の体が押し返えされていく。


「う、うおおおおおおーっ!!」


 かろうじて動く右腕も使って熱線を抑えに掛かる。


(うぐっ!! ま、まず――)


 しかしまたもや重心のズレと、何より先の負傷が足を引っ張った。ジリジリと押し込まれた忍は、やがて熱線に全身が呑み込まれて訓練場の生肉化した壁まで叩きつけられた。

 巨大な火柱が生じるほどの爆発が起き、忍もろとも周囲一帯が吹き飛ばされる。

 もうもうと立ち上る黒煙を見つめ、エリュシオンの左目、カメラレンズのフォーカスが絞られた。


「しまったたたた、検体の回収……まあいいいいいか」


 エリュシオンは溜息を吐くように肩を竦め、服の埃を払うとその場を立ち去っていく。

 ……かと思いきや、二、三歩進んだあたりで急に足を止める。未だ黒煙が上がる壁に振り向き、ダメ押しとばかりに熱線を照射する。


「ドゥアァァ!!」


 熱線は忍によって明後日の方向へ殴り飛ばされ、振り抜いた拳が煙を切り裂く。

 忍は髪が縮れ、ドレスもほとんど焼け落ち、スカート部分が腰蓑のように残っているだけだ。特注ランジェリーも金属フレームが溶けて肌と癒着していた。

 しかし忍は、全身を煤だらけにしながらも確かな足取りで肉の床を踏みしめ、ギラついた険しい視線でエリュシオンを睨んでいた。

 エリュシオンがまたも呆れ気味に肩を竦めた。


「なな何で出来てるんですかかか、あなた? 生体ぶぶぶ物質のたえられる出力ではわわありませんよ、今のは」

「鍛え方が違うんだよ。一発で俺を殺したけりゃ水爆でも持ってこい……チッ!」


 微かに視線を下げた忍は、ランジェリーの支えを失ったことで動くたびに盛大に揺れる、残った右の乳房を見下ろして舌打ちする。

 それを上手く動かない右手の甲に乗せて支え、左手の手刀を構えた。歯を食いしばり、右胸を根本から削ぎ落とす。


「ひっ!?」


 エリュシオンが、表情を変えないままに息を呑んだ。

 忍は切除した胸をその辺へ無造作に投げ捨てると、痛みを堪えて食いしばったまま口許を強引に釣り上げた。実に凄味に溢れた、見るものを戦慄させる魔王の微笑だ。


「これで……軽くなったぜ」


 改めて左拳を握ると、翡翠色の炎のような光が噴出される。炎は忍の左腕全体に絡みつくように拡がり、殺気立った微笑を一層際立たせた。


「だ、だだだからなんだというのです!? パワーがあああ上がった訳でもない! 振り出しに戻ってすらいななない! 受けただだだダメージの分だけマイナスではないでででですか!」

「声が震えてるぜ、おい。今さら芋引いてんじゃねえよ、ポンコツが」

「誰がポンコツですフォトンブラスター!」


 またも不意打ちの一発が来るが、二度目であれば対処は容易い。射線上からサイドに寄って躱し、性懲りもなく突撃を敢行した。


「ばば馬鹿の一つ覚えですか!」

「言ってるてめえもビームばっかだな、おい!!」


 熱線の発射タイミングで左右に跳び、回避しながらも確実にエリュシオンとの距離を詰めていく。

 体幹を取り戻したからか足取りは軽快で、胸の痛みと出血に目を瞑れば先程よりも動きが滑らかですらあった。

 対するエリュシオンも、熱線を掃きながら後ろ向きにジャンプして、忍との間合いを保とうとする。


「しゃらくせえ!!」


 だが忍は、ダメージ覚悟の最小限の動きでギリギリ躱し、あるいは殴り飛ばして熱線に対応して強引に斬り込んでいくことで、逃げるエリュシオンとの距離を確実に詰めていく。


「ええい! まままマキシマム――」


 放火が僅かに止み、エリュシオンの口内で白色エネルギー光がスパークする。


「ドラいいいいいイブッ!!」


 忍の全長を優に超えた最大出力の熱線――それが放たれる寸前で忍は自ら巨大熱力に飛び込んでいった。


「うおるあっ!!」


 空中での前方一回転を加えた蹴りが、熱線の先端と激突。

 周囲の肉、天井の心臓すら粉砕する暴風が訓練場で荒れ狂う。

 しかし双方の力が拮抗したのは一瞬で、またも熱線が忍を押し返し始めた。


「大馬鹿が! さっき競り負けたのを忘れ――」

「忘れてねえよ!!」


 その時だ。忍はなんと熱線を蹴って真上に跳躍し、その上に飛び乗ってみせた。


「はぁっ!?」


 面食らったエリュシオンの左目で、カメラレンズの焦点が絞られる。

 忍は熱線上を水切り石のように伝い、エリュシオンと一気に肉薄した。


「でりゃあ!!」


 エリュシオンの鉄面皮を目掛け、斜めに突き刺すようなドロップキックを放つ。

 それをエリュシオンが両腕を交差させて受け止めた。


「そそそそうは――」

「まだまだァ!!」


 そのままエリュシオンを飛び越えて背後に着地し、振り向きざまに左ストレートで殴り掛かる。

 エリュシオンも全く同じタイミングで、拳を突き出し、二人はほぼ同時に互いの顔面を殴打する。

 所謂、クロスカウンター状態であった。


「ドタマァ、もらったァ!!」


 そのまま拳を開き、エリュシオンの顔面に掴みかかる。さりげなく親指をカメラレンズに突き刺しつつ持ち上げ――、


「死ねぃ!!」


 突き出した自分の膝に、思い切り叩きつけた。


「ぐひゃぁっ!?」


 剥き出しの機械部分が潰れ、続くもう一撃でフェイススキンにまで亀裂が生じる。

 しかしタダでは終わらぬエリュシオンは、忍の左腕を掴み返して大口を開けた。


「フォトン――」

「しつけえ!!」


 エリュシオンの口は意外と大きく、忍の右拳がするっと入るほどだった。


「ブラス――あっ!? ストップストッ――」


 中止命令も虚しく、口内で熱線を暴発させたエリュシオンは、首から上をキレイに吹き飛ばし、その場で膝から崩れ落ちるのだった。

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