第4話 「アレイヤの過去」

 アレイヤの生まれ故郷は戦地だった。民族や宗教や経済……様々な要因が重なって収拾の付かなくなった戦争。この時代に戦災孤児は少なくなかった。

 アレイヤも赤子の頃に両親を失っていた。親の顔は覚えていない。孤独に死んでいくはずのアレイヤを拾い育てたのはグリミラズという男だった。


 グリミラズは戦火の及んでない田舎に小さな校舎を建てた。各地から孤児を集め、その学校で育てた。三十人近い子供達の親として、そして先生として、グリミラズは教壇に立った。子供達にとって唯一の、頼れる大人だった。


 グリミラズはあらゆる事を教えた。一般的な学校で学ぶような教養は勿論、グリミラズが旅して経験した事や、人生の教訓、そして何より『人術』を伝授した。

 人術は教え子達にとっても未知の技術だった。グリミラズだけが知っている、強くなるための力。生死懸けた戦場でも生き残れる力。故にアレイヤ達は必死に学んだ。


 アレイヤは学校を家だと思っていたし、学友は家族に等しかった。争い合ってばかりの残酷な世界にいながらも、クラスのみんなは大好きだった。

「ねぇ、アレイヤ。こうして隣にいられるの、とっても幸せだって思うの」

 アレイヤと特に親密に暮らしていたのはミリーナという同い年の少女だった。お互い将来を約束した仲だ。ミリーナとアレイヤは日頃から愛を語り合っていたし、その関係は周囲からも祝福されていた。

「俺もそう思うよ。この毎日がずっと続きますようにって、神様にお願いしたいんだ」

 あまりにも満たされた日々だった。戦時に生まれたとは思えないくらい、幸福な生活だった。

 これも全てグリミラズ先生のおかげだ。強くて賢くて優しいグリミラズ先生を、アレイヤを含め子供達はみんな尊敬していた。


「明日はついに卒業式なのね。みんな別々のとこに行ってしまうなんて、寂しい」

「一生の別れじゃないさ。それに、俺達は卒業しても一緒だ。そうだろ? ミリーナ」

「……うん。アレイヤがいてくれたら、私大丈夫」

 長い長い学校生活も、終わりの日が近付いていた。卒業式だ。学業の修了を意味し、孤児から大人への成長を意味する。クラスメイト達は独り立ちし、それぞれの道を歩むのだ。グリミラズはそう言っていた。


 愛する校舎や仲間達との別れを惜しむ声は当然多かった。そんな子供達にグリミラズは言葉を送った。

「皆さん、僕が想像する以上に立派に成長してくれました。とても誇らしいです。僕はここを離れなくてはいけなくなりましたが、皆さんの事は忘れませんよ。皆さんは僕の中で生き続けてくれますから」

 グリミラズは涙一つ見せずに笑顔を浮かべた。別れの悲しみより旅立ちの祝福を示す恩師に、子供達は元気を貰った。

 これは一生の別離ではない。新たな人生への第一歩なのだ。希望を抱いて、生徒達は卒業の日を待った。


 そして、その日は訪れた。


 アレイヤは卒業式の朝に遅刻してしまった。緊張のあまり眠れなかったせいで、朝寝坊したのだ。

「うぅ……首席がこんなんじゃみんなに笑われちゃうな」

 幸先の悪さを抱えながらアレイヤは教室に向かった。アレイヤは人術教室で最も優秀な生徒だった。「頂点を目指しなさい」というグリミラズの教えを一番に守り、圧倒的な才能を見せた。

 そんな優等生でも寝坊してしまうのだ。こんな日に何やってんだと、仲間達に茶化されるかもしれない。

 だがアレイヤは知らなかった。この失敗が最大の幸運だったと。或いは、やはり最大の不幸だったのかもしれないが。


 廊下は妙に静かだった。既に他のクラスメイト達は教室にいるはずなのに、話し声の一つも聞こえない。この時点で異変を感じられるはずだったが、慌てていたアレイヤには気付けなかった。

「おはようございます、先生! すみません遅刻しました!」

 元気よく挨拶し、教室に入ったアレイヤ。彼の目に真っ先に映ったのは地獄だった。

「あぁ、アレイヤ君。卒業式に遅刻するなんて優等生らしくありませんね。悪い子です」

 ニコニコと笑うグリミラズ先生。その周囲には、血塗れの死体がいくつも無造作に転がっていた。


「…………え?」

 真っ赤な惨劇が視界を支配して、その意味を理解するより先に濁った匂いが鼻を貫いた。

「もう少し遅れてたら、君を食べ損ねるところでした。君は一番成績が良かったですからね。逃したままこの世界を追い出される訳にはいきません」

「先生……。先生。ねぇ、先生。どういう事ですかこれ。教えて下さい」

 アレイヤは錯乱して舌が上手く回らなかった。体がどうしようもなく震える。幸せな日々が消えてしまったとようやく理解したから。

「いいでしょう。特別授業です。僕が編み出した固有の『人術』、君達には初めて見せますね」

 グリミラズはあくまで冷静に、授業のように語った。この状況においても彼は『教師』の面の皮を剥がさない。

 グリミラズが手を挙げると、周囲の死体に一斉に歯が突き立てられた。紛れもない人間の歯が、死体の至る所を噛み千切る。まるで歯だけの生き物が死体から現れたかのようだった。

 『歯』は物言わぬ子供達を咀嚼する。ただひたすらに、食欲のままに食い尽くす。

「《歯蝕ししょく》。これが僕の人術です。皆さんとても美味しかった。丹精込めて育てた甲斐がありましたよ」


 先生が、クラスメイト達を殺した。尊敬していた先生が。信じていた先生が。

 大切な子供達を皆殺しにして、食っていた。


 受け入れ難い現実だった。恐怖と困惑が混じって、心が意味不明に乱れていく。乱されていく。

「何で……何でこんな事を! 俺達は家族じゃなかったのかよ!」

「家族? はて。そんな事教えた覚えは無いのですが。餌と捕食者が家族なはずないでしょう」

 グリミラズの平然とした顔に、アレイヤは察した。グリミラズは最初から、子供達を食うために育てていたのだ。家族ごっこも先生ごっこも、『養殖』のための作業でしかなかった。

 敬愛する恩師なんて、最初からいなかった。


「知ってますか? 人術使いの肉は美味しいんです。食べると元気になれますし。君もよく鍛え上げられた肉だ」

 グリミラズの品定めするような目付きが光る。その時「ゴトリ」と音がして、アレイヤの足元に丸い物体が転がった。

 それは、首を切られたミリーナの頭部だった。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 絶叫。

 大切なものが全て失われた絶望が、アレイヤの心を粉々にした。腰を抜かして泣きじゃくるアレイヤは、抵抗する術を持たない獲物だった。

「では、満を持して」

 グリミラズは涎を垂らし、アレイヤに手を伸ばす。


「い た だ き ま す」


 アレイヤは捕食される寸前だった。だが何故か、グリミラズの手が止まる。アレイヤは息を乱し、怯えきった表情でグリミラズを見上げる。

「……残念。もう時間ですか。ゆっくり食べている余裕は無いようですね」

 それが何を意味するか、アレイヤは分からなかった。

「僕は呪われているんですよ。異世界転移の呪縛。いつまでも同じ世界に居られない呪いです。そろそろな気はしてましたよ。だから間に合うように卒業式に『収穫』したのに。メインディッシュの君を食べずに終わるとは」

 グリミラズは説明したが、それでもやはり理解出来なかった。呪い? 異世界転移? 少しだけ授業で教わった記憶はあるが、こんな状況で言われてもピンと来ない。

 「僕はここを離れなくてはいけなくなりました」。前にグリミラズが告げた言葉の意味が、今まさに目の前に現れようとしている。


 グリミラズの周囲が歪んで見えた。アレイヤの絶望が見せる幻ではない。本当に空間が歪んでいた。

「仕方ありません。君も一緒に来て下さい、アレイヤ君」

 グリミラズの体がぐにゃりと曲がる。空中に生まれた穴のような何かに吸い寄せられていく。

「君を手放したまま異世界に行くなんて勿体ないですよ。君だって僕を追いかけたいでしょう? いや、追わなければならない」

 グリミラズは手を伸ばした。もう体の半分は穴に吸われていた。


『君は、僕が憎くてたまらないはずだ』


 その言葉が引き金となった。言われた瞬間、アレイヤは憎悪以外の感情を失った。あれだけ足が竦んでいたのにスッと立ち上がれる。何かに背中を押されるように進む。ひたすらにグリミラズを殺したいと願って手を伸ばした。

「待て! グリミラズ! 逃げるなあああああああああああああああああああ!!」

 アレイヤは空間の穴へと手を伸ばした。完全に穴に飲まれたグリミラズを追って、アレイヤも歪みに飛び込む。

 アレイヤは全身が液体になるような不思議な感覚を味わって、穴の重力に身を任せた。


 そしてアレイヤは異世界へと飛ばされた。体は元に戻り、はっきりと全身の感覚を感じている。周囲にグリミラズはいない。彼は別の場所に飛ばされていた。転移した時の時間さえもアレイヤとは別だ。前後の記憶は曖昧だが、確固たる意志だけは存在していた。

 グリミラズを許さない。大切な大切な仲間を、愛する人を奪ったあの男を。絶対に見つけ出して殺す。


 かつてグリミラズは「頂点を目指せ」と言った。一度はあの教室で頂点に立ったアレイヤだが、もう一度目標が生まれた。

 グリミラズがこの異世界のどこかにいるのなら、アレイヤを食うために探すはずだ。アレイヤとしても、グリミラズに会うために自分を見つけて欲しい。そのためにはとにかく目立つ必要があった。誰もが噂するような有名人に。それはきっと、何かしらの「頂点」に立つ者だ。


 アレイヤは復讐すると決意した。故に。

 復讐者はこの世界でも頂点を目指す。


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