君は知らない

 大須賀杏子と種田あやめは公園のベンチで肉まんを頬張りながら談笑していた。帰宅途中に吹く夕暮れの風は、冬の気配を運んでいる。


「あやめちゃんは最近、何書いてるの?」

「川柳です。川柳に目覚めたようです、この秋に」

「なんでまた」

「ラクですね、字数が少ない、ラクですね! けど必ずしも五七五にこだわる必要なし、といった利便性がなんとなく合いました。いうなればアナログ版のツイッター」


 俳人やその筋の研究者が聞いたら激怒し、のみしらみが湧いている小屋に監禁された上、草履で顔を踏みつけられても仕方ないような軽い理由を、あやめは笑いながら白状した。


「センパイは最近何か、書きました?」

「ううん」

「なぜですか書かない理由はなんですか」


 日常会話でもそのリズムを続けるつもりかと杏子は吹き出し、少し考えた後に腕を組んで重々しく返答。


「おもしろきこともなき世をおもしろく」

「死ぬるおつもりで?」


 奇跡的に意味の通じている会話に二人はケラケラと笑う。


「辞世の句で笑いを取るとは、高杉晋作も草葉の陰で泣いてますよ」

「どうだろう。平和で良かったって笑ってくれてるんじゃないかな」

「で、なんで書かないんですか? また読みたいんですけど」

「いや、数学ってやつがね、私の自由時間を奪うんですよ」


 西の空が赤から紫へと鮮やかに染まっていく。頭上ではカラスがアーアー、アアーと会話を交している。徐々に、陽が短くなってきている。冷たい風が、二人の髪を揺らした。

 ところで、と切り出したあやめは真面目な顔で話を切り替えた。


「センパイは、バクスター効果って知ってます?」

「ん〜ん、知らない。なにそれ」

「簡単に言うと、植物に感情がある、とされる反応のことなんですけど」


 1960年代、嘘発見器(ポリグラフ}の専門家であるバクスターが行った実験で、熱帯植物にポリグラフを装着し「火を点ける」と念じただけで針が振れたという結果を記録した、とされている。


「面白いね」

「はい。当時はとても話題を呼んだらしいんですが……」


 これに待ったをかけたのが生物学の教授や植物学者である。「植物には神経が無いから感情の伝達できねぇから、な?」と否定され、ある学者には「必要ねぇ研究だから、な?」とまでこき下ろされてしまう。


「サボテンにポリグラフの針刺したとか」

「……ふーん」

「センパイは、この話には興味あり?」

「サボテンに感情、ねぇ……」


 杏子は考え込んだ。気づけばあたりは暗くなっている。


「寒いから、帰りましょうかぼちぼちと」

「そうだね」


 ゴミをカバンに入れ、ベンチから立ち上がった。二人がいなくなった少しだけあと、食べこぼしを狙ったカラスが舞い降り、哀しげに一声鳴いた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



 駅までの大通りを歩きながら、あやめは独り言にしては大きい声でつぶやいた。


「まっすぐな道でさみしい」

「そう? 街頭も明るいし交番もあるよ?」

「違います! 種田山頭火の有名な句です!」

「それ俳句なの?」

「俳句です」


 そっかそっかと笑いながら返答しつつ、杏子は目を細める。幾度となく繰り返されたやりとりを思い出し、幸せな気持ちになった。そしてまた、自分の行いを恥じた。


「……どうしようもない私が歩いている……」

「あ、知ってるんじゃないですか!」

「え? 何を?」

「それ、山頭火の俳句ですよ」


 同好の士を見つけたと言わんばかりにあやめは喜んでいる。


「私、俳句のつもりで言ったんじゃないよ?」

「センパイが言うと俳句じゃないけど、山頭火が俳句といえば俳句なんです」

「左様ですか」


 駅へ到着し、別々のホームへ向かう前、杏子があやめに呼びかけた。


「あ、あのさ、さっきの話しだけど」

「さっきの? なんですっけ?」

「サボテンにポリグラフをって話」


 ああ、あれですかとあやめは首をかしげる。


「もしサボテンに感情があるなら、知覚機能もあるのかな?」

「ないでしょう。両方」


 首を戻してためらいなく言い切った。


「『水にありがとう』とか水素水と同じものだと思いますよ?」

「そうだよねえ」


 少しホッとしたような杏子の表情が気になったが、電車が到着したあやめは手を振りながら走り去っていった。

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