嘘を貫き通す男

 教室の扉を開け、高浜稲穂と水里波濤が入ってきた。杏子は何気なく親友の名を呼ぶ。


「稲穂」

「半年後には高浜先輩になるよ」


 入室と同時に内角高めの危険球を投げてきた高浜稲穂は、まっすぐ杏子に向き合った。


「いやだよね? 私のこと先輩とか呼びたくないよね? 私だって杏子に先輩なんて呼ばれたくないよ!」

「いや、私は」

「なんとかするから! 水里なんか数学だけはすごいんだから教えてもらいなよ! 私も杏子より少しだけ数学できるからどこが分からないのか分かるかもしれないし、物理は無理だけど現代文も英語も、あと古文とか歴史も無理だけどなんとかするから!」


 杏子の理数系が壊滅していることは知っていたが、まさか落第一歩手前とまでは聞いていなかった稲穂は、早口でまくし立てた。毎日楽しく笑いながら過ごしていただけで、悩みを聞いてあげていなかったという罪悪感の現れである。

 実際のところ、二人の間で勉強の話をしたことはなかった。高校生なのに学業が最重要事項ではなかったのである。特に杏子は、数学以外で苦労をしたことはなかった為、努力というものを知らなかった。その為「これが限界か」と早々に見切りをつけていたのである。


「大須賀さんが数学できないことは知らなかったよ」


 水里波濤は、机に腰掛けながら杏子に優しく話しかけた。


「杉山先生にも言われたんだよね。『大須賀の数学をどうにかしてくれ』って。だから、どうにかしてあげたい。数学なら得意だから」

「教えてくれるのはありがたいんだけど……」

「大須賀さん、僕の『現実世界で最弱だったオレがチートスキルを駆使して異世界最tueeeeとなりモテすぎて困ってしまった挙げ句孤児院のオーナーとなりスローライフを満喫している件』、略称“弱オレ”は読んでくれたよね」


 いきなり話が替わったのとどうでもいい略称を告げられたことにより、杏子の頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。


「努力もしない主人公が異世界最tueeeって、都合がいいって思わなかった?」

「まあ、うん」

「若いうちにスローライフでハーレムとか、人生なめすぎって感じなかった?」

「まあ、うん?」


 波濤が何を言いたいのかが分からない。


「あれは君の今の状態と同じなんだよね」

「う、んん?」

「努力もしないで文系だけは得意だけど、理系は壊滅的にダメで、早くも進級を諦めて次の人生を考えているところとか。僕は大須賀さんに自分のダメなところに気づいてほしくて”弱オレ”を書いたんだ」


 全てが嘘で固められた言動を、波濤は表情一つ変えず、いけしゃあしゃあと口にした。

 ”弱オレ”に関するすべての発言が嘘である。自分では心底傑作だと思っているが、すでに作品に対する杏子の感想を稲穂から聞いていたのだ。

 そこでこの男は文芸部部長の杏子に対して優位に立つべく、自らの最高傑作をも踏石にし精神的な揺さぶりをかけることにした。杏子のことが好きだからとか文芸部の部長になりたいとかの理由はない。ただ単にバカにされるのが嫌なのだ。


 話の全てが嘘なだけにかえって信憑性を増すかと思いきや、やはりそんなことはない。


「このビンタも財布からお金をとるのも『全てお前の為だよ』とか言ってくるダメな男が実は本当に恋人の為に頑張ってました的な都合の良い後付要素に加えて節々から見えるマウント取りたさのせいで素直に勉強教えてくださいと言う気になれない!」


 感情がほとばしった割には長すぎる呪詛を吐いて、杏子はうわっと机に突っ伏し、さらに続けた。


「絶望! すなわち望みが絶たれた状況! 垂れてきた蜘蛛の糸の先では後付大好きDV男が満面の笑みを浮かべている!」

「まだ余裕あるだろ、杏子」


 先程から笑いながら様子を見ていた稲穂が、机に伏したままの杏子の頭をポンポンと叩いた。


「まあ、ここじゃなんだから、部室に行こう。まだあやめも杏子のこと待ってるし」

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