(57)気のない奇襲

「そういえば、先輩はよく遊撃に回されますね」


 人通りの途絶えた中島川の畔で、ふと思い出したように阿良川が呟く。

 背中に白いマフラーが流れ、その源に短いポニーテールが垂れている。


「それが何か気になるのか」

「いえ。ですが、私でしたら先輩は最前線に投入すると思いますので」


 振り向いた阿良川の口元がつり上がる。

 果たしてどのような意図を持って言っているのか。

 向こうで呑気にストレッチをしている少女の爪の垢でも、煎じて飲ませてやりたい。


「ま、私をどこにやるのかはいいとして、相手の出方が確定できないときには、自軍の最大火力の一つを手許に置いておく方がいいんだ」

「自分で言いますか」

「そりゃ戦術や戦略の話をするんだから、冷静な戦力分析が要るだろう。で、最初から全力を投入してしまうと、別の戦力が出てきた時に対応できなくなってしまう。下手をすれば戦力を崩されかねない。また、準備をしていてもその戦力が小さいと、持ち堪えることもできずに崩れてしまう。だから、最大戦力の一つである方がいい。特に余裕がある時には、な」


 言いながら、一つ疑問が浮かび上がってくる。

 川の流れる音が遠くを行く救急車の音に追い払われ、冷たい風が頬を掠めた。


「ん、何かあったの、博貴」


 霧峯が勘付いたのか駆け寄ってくる。

 こういう時の勘の強さには驚かされるが、それ程に表情に出てしまっていたのだろうか。


「いや、一つ気になることがあってな。この戦いが終わったら、一緒に先生に聞いてみよう」


 ふーんという間の抜けた返事と共に、携帯電話が闇を切り裂く。

 液晶に映し出された無機質な文字が、淡々と事実を伝える。


「やられた。島原半島方面から唐比を抜けて百人弱の一隊が進軍中。急いで対応しないといけない」

「あらら、じゃあ、どうしよっか」

「蛍茶屋の先で待ち受けて、今いる部隊の全員で叩く。北の方が気になりはするが、ここで回り込まれたらそれこそ全滅だ。ただ、阿良川は戦闘よりも川平方面と福田方面に召喚獣を放って情報収集に徹してくれ」

「あら、いいんですか」

「遊撃部隊は柔軟性が要る。そのためには、情報が絶対的に必要だ。先生の指示だから間違いはないと思うが、念には念を入れておこう」


 全員を集めてから急ぎ、中島川を駆け上がる。

 電車通りに突き当たり、そのまま東へ向けてさらに走る。

 通る者が無くなった狭軌を一丸となって進むうちに、戦いへと思考を切り替えていく。

 やがてその車庫に至り、左手に墓標の連なる山肌を携え、広く展開する。


 車通りが途絶え、静寂が周囲を覆う。

 その中で息を潜め、闇に身を隠す。


「今上隊と木國隊はさっき言ったタイミングまで確実に気配を消して、隠れておいてくれ。阿良川は異変があったらすぐに報告を。霧峯は突っ込む準備を」


 坂の向こうから濃密な気配が漂ってくる。

 対抗するように、光陣を広く展開し、気配を放つ。

 僅かに動きの鈍った隊列は、しかし、そのまま勢いを増して突っ込んできた。


 展開された光陣に、先頭の敵が突っ込む。

 技令を流し、跳ね返す。

 その圧で敵の強さを計るよりも先に、霧峯が短刀の豪雨を叩きこむ。


 敵一人一人の戦力は倉本や毛利などの一年達よりもやや劣る。

 とはいえ、統率の取れた集団の攻撃は単純な和ではなく、大きな力へと変化する。

 現に展開している光陣を破ろうと共同しての攻撃は強い。


 だからこそ、できる限り二人で引きつける。

 活魚陣で乱しながら、霧峯が併せながら、敵軍全てをひとつに集める。

 強い二人が全体の指揮官だろうか。

 それでも、リトアスにも及ばない。


「四方の門を護れ英霊よ。四方の皆を統べ仇敵を破れ。我が声の下に集え、光の戦士たちよ。正方陣」


 詠唱と共に、周囲の光が増し、隠れた二隊が斬り込む。

 指示した通りに開始された敵両翼後方への攻撃は、俄かに相手の混乱を誘う。

 訳もない、これで向こうは三方を包囲された形となる。

 加えて、わざとらしくばら撒いた技令のおかげか、気付かず戦っていたようだ。

 霧峯も好機と見たか、攻め手を強める。


「先輩、山ノ井先輩の部隊が、西山の方から来たと思われる部隊に側面攻撃を受けました」


 退却を始めた敵軍を前に、阿良川の報告が木霊する。

 追走に入る足が止まる。


「今上隊も木國隊もそのまま追撃。日見トンネルで停止して以後は迎撃態勢をとってくれ。阿良川は偵察を増やして大橋に移動、霧峯は――」


 言うよりも早く、足が同じ方を向く。


「こういうことでしょ」

「ああ。全く、説明が省けて楽でいいな」

「これだけ一緒に戦ってたらね。でも、阿良川ちゃんはいいの?」

「ああ、こいつをもらったからな」


 懐から飛び出したハムスターが、私の左肩に乗る。


「阿良川の召喚体だ。先にもらっておいて助かった」

「いいなぁ、可愛い子。私も貰っとけばよかったかなぁ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながらも、霧峯は闇を駆ける。

 こういううところが少女の強みであり、また幼気の残るところであるのだが、駆けながら自分の心音の高さに気付く。

 それもそのはず、既に片淵に至り登坂態勢に入った身体は、全身に血液を送り届けるべく躍動する。

 それは寒月の下に援けんとする我が身と重なり、路面のアスファルトが苦笑する。


「阿良川、山ノ井の方の状況はどうだ」

「部隊を広く展開して持ち堪えているようです。合わせて三百弱のようですが、側面は内田先輩が先頭に立って防いでいます」

「山ノ井はどうしている」

「一歩引いた形で北からの攻撃を防ぐ指揮を執っています。地味な戦い方ですが」

「それなら大丈夫だな。控えた山ノ井がいる限り、抜かれることはない」


 ハムスターから漏れる溜息を背に、坂を下る。

 重力の援護を受けての加速は、笑みを影を置き去りにしていく。


「水無香は前線で華々しく戦うのがいいが、山ノ井は後ろで着々と勝利を積み上げる方がいい。それが出来ているなら、私達がやるべきことは一つ」

「一気に叩けばいいんだよね」


 単純明快な答えをありがとうと、少女に答える。

 ハムスターから乾いた声が漏れる。毒気の抜かれる言い方ではあるが、判断としては正しい。

 足の回転を更に高めて加速する。


 そう、やるべきことは一つ。

 勢いを増しての突撃。

 長崎大学のキャンパスを見下ろし、抜刀。

 見えた一群の影に、


「活魚陣」

「レイニン・ナイフ」


――斬り込む。


 威力よりも分断を優先する。

 敵の動揺が手に取るように分かる。

 手は緩めない。

 水無香も勢いを増す。

 きっと分かっていたのだろう。

 天上を貫く雷鳴が敵影を裂く。


 奇襲を奇襲で返す形となった戦いは、最早、追いかけっこに変わった。

 相手側は数による優位を失い、山ノ井の指示によってそのまま追走されるままとなる。

 渡会の方もまた追走に入ったそうで、緊急集合のわりには呆気なく大勢が決した。


 つい二週間ほど前に生死の狭間を駆けた大橋の地で、今夜は山ノ井と呑気に佇んでいる。

 吐き出される白い息にはしゃぐ少女を眺めながら、水無香はストレッチを欠かさない。


「二条里君に来ていただいたおかげで、無事に済みましたね。本当にありがとうございます」

「いやいや、確かに奇襲にはなったけど、そうしなくても今回は勝てていたさ。山ノ井の戦い方は何といっても万全だった。あのまま戦っていても押しきっていたはずだ」


 地道な陣地構築をしたうえで、味方の能力強化を積み上げ、基礎技令で攻撃にも加わる。

 人の配置も適確で、無謬といっていいほどの出来であった。

 それでも、皆さんの頑張りのお陰ですよと遜った山ノ井は、夜空を見上げ、呟くようにして言った。


「それに、僕は僕のできることを精一杯にやっただけですから」


 穏やかで、どこか寂しげな言葉が刺さる。

 しかし、一時のような悲愴さが失われたのは、修学旅行の結果なのだろうか。

 下がった目尻がひどく目に映る。


「そういえば二条里君、これまでの戦いで一つ気になったことがあるのですが」

「お。山ノ井もか。私もひとつ先生に聞いてみないといけないと思っていることがあってな。山ノ井は何が気になってるんだ」

「いえ、考え過ぎなのかもしれませんが、辻杜先生は初めから別働隊があることを知っていたのではないかと思いまして」


 胸が鳴る。

 近くの信号が赤に変わる。

 まるで私の憶測を見透かしたような一言に、汗が伝うのが分かる。


「知っていて、敢えて伏せた、と」

「ええ、あまりに出来過ぎていますから」


 山ノ井の言う通り、これまでの戦いを考えてみても舞台が揃いすぎているというのは感じるところであった。

 今回は特に、最も戦力の厚いところで奇襲を受けている。

 当初の状況であれば三方面である以上、それぞれに部隊を配置しても良かったはずだ。

 しかし、辻杜先生はそれを選ばず、結果として奇襲に即応できる形となった。


「不測の事態を想定したと言われてしまえばそれまでですが……」

「あまりにお膳立てが揃っている、と言いたいんだな」


 突然の声に、思わず振り向く。

 穏やかな目でありながら全く笑みのない顔で仁王に立つ先生の姿。

 黒いジャンパーはまるで闇に溶けるようにしてあり、浮かび上がるのは白い吐息だけであった。


「まあ、悪くはない推理だが、ちょっと方向がずれてるな。折角の機会だ、この先の戦いの見通しを少し話してやろう」


 先生の提案に、思わず息を呑む。

 言われてみれば、これまでは相手こそ知っていたものの、その先が分からない中で戦ってきた。

 襲撃に対するだけでは、戦いは終らない。

 決着に向けた指針があるのかという驚きと、それを知りたいという欲とが渦を巻く。


 街灯と一台過ぎる車のヘッドライトがいやに眩しい。

 そんな中で、先生は煙草に一つ火を点けた。

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何もない日常が好きな図書室の少年は美少女に襲われ英雄を騙られ世界を護るために戦うⅡ 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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