(52)行為の交錯

 荒野に男が一人。


 赤銅しゃくどうのような剥き出しの岩肌が広がり、草木もまばら。

 そのような中でひるがえ直垂ひたたれは、蒼天を朱に染め上げるようにして在った。


「どうして、貴方は主に逆らうのですか」


 三歩ほど離れたところに立つ青いヴェールに包まれた人影は、その背丈をゆうに超える杖を手にして男に問う。

 声からして女と分かる。


 男はこちらに背を向け、女もまた見据えるのみ。


「私は彼らを掬うと約束した。しいたげられた彼らを救うためだけに私はこの剣を揮い、かの陣を敷く」

「それは、私が敵になったとしても、ですか」


 荒野に一陣の風が舞う。

 その向こうに騒ぎ立つ砂塵が映り、けたたましい金物の声が追うように至る。


 陽光を跳ね返すほどの輝きを帯びた剣を、男は前へと構えなおし、静かに告げる。


「仮令どのようなものが敵になろうとも、私はこの戦いを止めることはない。グラニアが立ちはだかるというのなら、私は等しく剣を向けるのみ」


 男の言葉に、一つ溜息。

 導かれるように現れた黒い点は人影となり、やがて大群となる。

 呑み込まれんとする男の横に、女は並んだ。


「でしたら、その剣で私を護って下さい。私も貴方と戦いますから」


 ローブの女が杖を天に掲げる。

 かたどられた月の三態が銀色に輝き、青空より銀色の粒が降り注ぐ。

 変化に男は何も言わず、ただただ下段に構え直した剣を従え、黒の群像の中へと身を投じた。


 やがて陽が楕円に沈む頃、雲霞のごとき人影は消え、あるいは血に塗れ、地に蹲る。

 その中を二人の男女は大地に足を立て、前へと進む。


「これでもう、戻れなくなったが、大丈夫か」


 男の言葉に、女は無表情な声で返す。


「どちらにしても、地獄へ落ちる身です。でしたら、私は私が選んだ道で落ちたいんです」


 女が一歩前へ歩み出すと、男は一度顔を背けてからその後を追うように歩み出した。






 また、あの男の夢を見た。


 三時を指す時計の針が、夜の闇に浮かび上がる。

 一時前までまた話をしていたように思うのだが、気付けば眠ってしまっていたようだ。

 他の皆も寝息を立てており、土柄のいびきがその中でも一際響き渡る。


 その時、ふと小さな技令の気配を感じ取る。

 戦いにしてはあまりにも微弱で、しかし、はっきりとした気配。

 私は司書の剣をズボンに詰めて、気配を消して廊下に出る。

 見張りの大森先生を催眠技令で少しだけ眠らせて階下に向かうと、そこには廊下に胡坐を掻いて目を閉じる霧峯の姿があった。


 静かに上下する黄色いリボンに合わせるように、静かに僅かに時間技令が練られていく。

 それは何とも幻想的で、私は思わず息を呑んでしまった。


「あ、ごめん、起こしちゃった?」


 気付いた少女が、私に顔を向ける。


「いや、目が覚めた時に、偶然気付いてな。技令の練習をしてたんだろ」

「うん。おじいちゃんからやり方教わって、いつもやるようにしてるんだ。今日は、水無香ちゃんとお話してて遅くなっちゃったけど」


 既に技力は霧散してしまっているが、確かに霧峯の技力も最近は強くなっている。

 元々は体則の素養の方が高いのだが、その差は少しずつ埋められている。


「そう言えば博貴さ」

「うん」

「今日の夕方って、ほんとは山ノ井君に仕掛けられたんでしょ、水無香ちゃんを賭けて」


 息を呑む。


「いやいや、だから今日のは」

「辻杜先生が本当に模擬戦やらせるなら、水上君に私と水無香ちゃんを止めさせたりしないし、見学させるはずでしょ。それに、二人の特訓が実戦に変わってるし。きっと、後で気付いた先生が、かばってくれたんじゃないかな」


 立ち上がった少女を呆然と眺める。

「あとは、水無香ちゃんが謝ったときの山ノ井君の顔見てたら、全部分かっちゃった。ああ、いけないって思って仕掛けたのが、山ノ井君の方だったんだって」


 笑顔が暗い廊下にあっても酷く眩しい。

 反論も頷きも全てがそれで封じられてしまう。


「たまに霧峯は、急に鋭くなるな」

「そっかなー、博貴が鈍いだけだと思うけど。でも、どっちが勝ったの。最初っから準備してた山ノ井君の方、それとも、水無香ちゃんのこと大切にしてる博貴の方」


 霧峯の畳みかけるような言葉に苦笑しながら、私は先程の会話を思い返していた。






「気付いてしまったんだ、自分の気持ちに」


 両手を伸ばしてから、再び前を向く。

 立ち込める湯気は少し薄らいだようで、向こうに夜の京が見える。


「私は、霧峯が好きだったんだ。前から、それこそ、出会って間もない頃から」

「近くに、大切にしたい人が居ながら、ですか」

「ああ。確かに、水無香も大切な存在ではあるし、女性として見ても魅力的だとは思う。ただ、霧峯の笑顔には勝てる気がしない」


 一瞬、全ての音が湯水に消えた。

 鼓動も呼吸も会話も全て。ただ、山ノ井の眼差しだけが突き刺さる。


「凶悪なんだ、霧峯の笑顔は。どんなに不条理な襲われ方をしても、どんなに不合理な誘われ方をしても、どんなに辛いと思っていても、そんなことをお構いなしに、私をどうにもできなくしてしまう。あいつも、苦しい目に遭っているはずなんだが、いや、だからこそなのかもしれないが、凄く眩しい笑顔をするんだ。そして、私はあいつの笑顔をずっと見ていたい」


 言いながら、顔がさらに熱くなってくるのが分かる。

 胸もどこか締め付けられるような感じがする。

 想いを言葉にすることが、これほどきついものなのかと思い知らされる。

 ただ、一つ救いであったのは、それを山ノ井が確りと聞いてくれていることであった。


「その想いには、いつ気付かれたのですか」

「さっきの戦いの時さ。水無香のことをどう思っているのかを考えるときについてきたんだ。本当はとっくの昔に恋に落ちてたんだろうけど、それを整理できないなんて、情けないなぁ」


 自分で笑いながら、なおも顔が熱くなる。

 覚悟をしたはずの頭など、所詮はまやかしに過ぎなかったのだと思い知らされる。

 それでも、こうして話をしていく中でさらに想いが膨らんでいくのが分かる。

 その膨らんだ想いが、さらに私を苦しめるのが分かる。


「何だか二条里君、苦しそうですね」

「ああ、そうなんだよ。何か、こう身体の中で大きくなっていくものがあって、それが、私の中を押しつぶすようにしてあって、弾けそうになって」

「そういうことでしたか。でも、それが僕や内田さんがずっと抱え続けてきたものでもあるんですよ」

「これじゃあ、何だか石でも抱かされている気分だ」

「然し君、恋は罪悪ですよ、と言ったところですか」


 山ノ井が珍しく悪戯っぽく笑う。

 それは湯船という装置の中で心を裸にしての付き合いをしたお陰なのかもしれない。

 その悪戯が何とも文学的なところが山ノ井らしいといえばらしいのであるが。


「それで、二条里君はどうされるんですか」

「どうする、って何をだ」

「自分の想いをどのようにされるか、ですよ。そのまま抱え続けられますか、それとも、抱えたままもう少し熟成されますか」


 山ノ井の問いに、私は思わず口ごもってしまう。

 湯気の揺らめきが霞んで見え、間もなく訪れるであろう湯あたりが隣に控えているのを感じていた。






 思ってみれば、なかなかにない機会なのではないのだろうか。

 修学旅行という舞台に、京の夜という背景、そして人の往来のない空間というのは、自分の想いを伝えるのであれば最高の雰囲気である。


 鼓動が早くなっていく。

 口の中から水気が奪われていく。

 楽しそうに私を覗き込む少女との距離が驚くほど近く、その姿は触れれば崩れてしまうのではないかというほどに儚い。


「ねぇ、どっちが勝ったの」


 改めて霧峯を見ていると、級友たちが沸き立った理由も少しだけ分かるような気がする。

 整った顔立ちから繰り出される満面の笑みはそれだけで破壊力が高い。

 撃ちぬかれた胸を抱えながら過ごすというのは、果たしてこれからの私は我慢ができるのだろうか。


 しかし、それと同時に廊下に漂う肌寒さが襲う。


「引き分け、だった。霧峯が言うように、確かに山ノ井の申し出で始まった力試しだったんだが、その実は違う。個人戦でも団体戦でも私と霧峯が勝ったもんだから、どこまで戦えるのかを試したかったらしい。だから山ノ井は辻杜先生にも言えなかったし、他の邪魔を入れたくはなかった。山ノ井も同じ技令士の素養の方が強い私に勝てなかったのが悔しかったんだろう」


 詭弁だ。

 胸の奥がちくりと痛む。


 山ノ井と話をして、雁字搦めになった心を解いたのは良かったものの、前よりも余程苦しくなっているのは気のせいだろうか。


 山ノ井は気を利かせて「熟成」という言葉を使ったのかもしれないが、これは熟成どころではなく自分の想いの塩蔵という方が近いのかもしれない。

 このまま想いを告げられれば気は楽なのかもしれないが、その一方で、今までの関係は確実に崩れてしまう。


 屋根伝いに突然やってくることも、朝からおはようと挨拶を交わすことも、重箱弁当を見ながら昼食をとることも、図書室で他愛のない話をすることも。

 きっと、何もかもが変わってしまう。

 それが良い方向で転がればいいのだが、人生はそううまくはできていない。

 特に、やたらと水無香と付き合うことを推すというのは、私に対する興味のなさの表れではないだろうか。

 友人としてであれば付き合いやすいが、恋愛の対象としては目を向けられていないのかもしれない。


 不安が、私に欺瞞ぎまん石膏せっこうを塗る。

 こうした苦しみを山ノ井もまた抱え続けてきたのかもしれない。だからこそ、彼は無謬むびゅうを求め、無理を重ねようとした。

 今ならその思いが少しは分かるような気がする。


 少女の前では、私は少しでもいい姿でありたいという我儘わがままが、どうやら梅よりも一足先に芽吹こうとしているようだ。

 ただ、それを重ねる度、私は少女に罪を重ねていくということだろう。


「ふーん、そうだったんだ」


 少女の笑顔が何かを見透かしているようで恐ろしい。

 確かに私は何か一歩を踏み出したのかもしれないが、踏み出したら踏み出したでまだその先を進む力が必要ということだろう。

 今の私にそれだけの活力はない。


「山ノ井は私と違ってかなり真面目だからな。真直ぐの、護る力を手にするべく自分の中で闘い続けている。私なんか比べ物にならないぐらいな」

「そんなこと言っちゃって。博貴だってそうじゃん」

「そんなことないだろ。いつも巻き込まれるような形で戦ってるだけじゃないか」

「ううん。博貴はずっと闘ってるんだと思う。敵でも味方でも、できれば傷つけたくないって思って戦ってるから、それは凄く苦しいことなんじゃないかな。この前だって、すっごく苦しそうにしながら戦ってた。多分、ハバリートさんの命を取ったことを、自分の家族みたいに考えて苦しんでた」

「そんなこと、私は一言も言ってないはずだが」

「そんなの、博貴の顔見てたら分かるよ。だって、あの時は特に苦しそうだったもん」


 やはり少女の言葉は技令よりも私には効くらしい。

 今までであれば少し緊張したぐらいで済んでいた一言も、息継ぎができなくなるほどの呪文に変わっている。


「あの時の博貴、デルミッションさんの話を聞いていくうちに、どんどん顔が青くなっちゃって。やっぱり博貴は周りのこと考え過ぎちゃうんだろうな、って」


 霧峯の笑う声が真っ暗な廊下に華やぎを与える。

 それが酷く心地よくて、それが酷く心細く感じるのは果たして今日の戦いがあったからなのだろうか。


「でも、それも霧峯のお陰で立ち直ることができた。戦う者としては弱すぎる私の尻を、時々叩いてくれる霧峯がいるからこそ、今の私は戦えるんだろうな」

「そんなこと言っても、何もでないよ」

「うん。霧峯の笑顔があればそれでいい」


 小さな声を上げて二人して口籠る。

 何とも言えない気まずさの中で、旅の最後の朝を迎えようとしていた。

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