9 このはちゃん

 急いで部室まで行くと頭をきょろきょろさせている陸先輩の姿が目に入る。

「陸の筆ってどんな筆だっけ?」

 夢佳先輩が反応する。

「イタチの毛で。『美葵』っていう筆なんだけど……」

 やっぱり陸先輩と私の持ってる筆、同じ種類だ……!

 てことはこのはちゃんがさっき持っていた筆は陸先輩の筆……?

 私はすみちゃんと顔を見合わせる。

「あれ? それ私最近どこかで見たような……」

 夢佳先輩はそう言って考えるようなそぶりを見せる。

 そして思い出したように私のほうを見る。

「梨々花ちゃん、筆見せてよ」

「私、今日筆持ってきていません」

 どこか狼狽したような夢佳先輩の顔。

 私は疑問を覚える。

 どうして、そんな顔をするんですか……?

「え……? どういうこと?」

「今日部活行くつもりなかったので……、家に置いてあります」

「で、でも梨々花ちゃんの筆って、陸と同じ種類の筆でしょ?」

「そうですけど……」

「お前か! 俺の筆を盗った奴は!」

 陸先輩がツカツカと歩み寄ってきて乱暴に胸倉をつかむ。

「ち、違います!」

「今どっかに行ってたのは筆を隠すためなんだろ?」

「盗んでもないですし、隠してもいません! ただ夢佳先輩から書類を取ってくるように言われただけで……!」

「はあ? お前書類なんて持ってねーじゃねえか!」

「そ、それは……!」

「陸先輩、梨々花さんから手を放してください。通報しますよ」

 ひんやりとした声が響く。

 まっすぐな瞳ですみちゃんが陸先輩を見つめる。

「通報? こいつが筆盗んだんだから、通報されるのはこいつのほうだろうが!」

「証拠はあるんですか?」

「夢佳が同じ筆をもってるって……」

 急に陸先輩が私から離れて私はヘタっと座り込む。

「それだけですか?」

「ああ。れっきとした証拠だろうが!」

 すみちゃんはふっと微笑む。

「すみも確かに梨々花さんが陸先輩と同じ筆を使っているの、見てましたよ。まあ、その時は似ているな、程度にしか思っていませんでしたけど」

 陸先輩は安心したように頬をゆるめる。

「なんだよ、じゃあやっぱりこいつが盗んだことは間違ってねーじゃねーか」

 すみちゃんは鋭い目で陸先輩を見つめる。

「陸先輩、何か勘違いしてませんか?」

「は? どういうことだよ!」

「すみは陸先輩と梨々花さんが同じ時に同じ筆を使っているのを見ていた、と言っているんです。つまり、同じ種類の筆は二本あったと、こういっているんです」

 陸先輩は目を大きく見開く。

「同じ種類の筆が、二本……? そんなの、なかなかないだろ……?」

「確かにそうですね。……陸先輩はまだ信じてくれていないようですので、客観的に考えてみましょうか」

 すみちゃんは夢佳先輩に目を向ける。

「夢佳先輩。梨々花さんに書類を持ってくるように頼んだのは間違っていないですよね?」

「……そうだけど」

「その時陸先輩は何をしていましたか」

 陸先輩に向きなおる。

「こいつがいつ書類を取りに行ったかなんて知らねーよ」

「夢佳先輩は陸先輩が何をしていたか知っていますか?」

「……陸ならまーちゃんの手紙を読んでた」

「てことは、一番怪しいのは夢佳先輩とこのはさんですね。二人でなにか企んでいたかもしれませんし。……現に梨々花さんはありもしない書類を夢佳先輩に取りに行かされています」

 夢佳先輩は眉間にしわを寄せる。

 陸先輩が机をバンッとたたいて私を指さす。

「ちょっと待てよ。こいつが書類を取りに行く前に盗んでいたかもしれないじゃないか」

「梨々花さんに会った時、すみは梨々花さんが何も持っていないのを見ていましたが」

「お前の証言は信じられねーよ」

 すみちゃんは肩をすくめる。

「そうですか。夢佳先輩、梨々花さんが筆を持っていたのを見ましたか?」

 夢佳先輩はあごに手を当てて考えるようにしてから口を開く。

「……そういえば梨々花ちゃんが筆を持っていた気がする」

「持ってませんでした!」

「ほらな!」

 陸先輩と私がほぼ同時に言葉を発する。

 夢佳先輩に嘘つかれたらもうここで終わりだよ……!

 陸先輩の筆を盗んでないって証明できない……!

 すると、すみちゃんはニヤッと笑う。

「へえ~。夢佳先輩、ここで嘘をつくんですか? いい度胸ですね」

 その目は笑ってない。

 冷たい瞳が夢佳先輩に向けられる。

「私は本当のことを言ったまでで——」

「じゃあすみも本当のことを言いましょうか」

 すみちゃんはその首を廊下に向ける。

「すみたちは先程このはさんに会いました。彼女は慌てて筆を隠していましたよ」

「このはが……?」

 陸先輩の、声。

 私は陸先輩がこのはちゃんのことを下の名前で呼んでいることに驚きぱっと振り向く。

 さっきとは違う、震えたか細い声。

 どういうこと?

 二人はどういう関係なの?

 けれど、陸先輩が次に発した声はもういつものトーンに戻っていた。

「このはが俺の筆を盗むわけねーよ」

「それこそ証拠ないですよね。……なんだか先輩の個人的感情が含まれている気がしますが」

 陸先輩は一瞬で顔を赤くする。

 その時私は夢佳先輩の顔が変にゆがむのを見てしまった。

 何か、信じられないような顔で、泣きそうな顔で、それをたえているような。

「ち、ちがう」

「赤くなってますけど」

 すみちゃんは「はー」と息をつく。

「とにかく私たちはこのはさんが筆を持っているのを見たので、あとは陸先輩自身が何とかしてください。その調子じゃ何かしらの関係があるんですよね?」

 陸先輩は言葉に詰まる。

「もう付き合ってられません。早く行ったらどうですか?」

「お、おう」

 陸先輩は瞬く間に走り去った。

「さて」

 すみちゃんは鋭い眼光で夢佳先輩を射すくめる。

 夢佳先輩の顔は元の顔に戻っていた。

「どういうことだか説明してもらいましょうか、夢佳先輩」

 夢佳先輩は眉をひそめる。

「なんのこと?」

「さっき確実に梨々花さんを陸先輩の筆を盗んだ犯人にしようとしていましたよね?」

 


 









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