8 仲直りと事件発生

「梨々花さん、ちょっといいかしら」

 昼休み。

 私は突然知らない女の人から声をかけられた。

 このクラスには同じ名前の子はいないから、私のはずだけど……誰だろう、この先生?

 私は頭にはてなマークを浮かべながらその先生に近寄る。

「書道部の顧問の丸山よ。会ったのは初めてかしらね?」

「よろしくお願いします」

 顧問が教室にわざわざ訪ねてくるなんて……。

 そんなこと、普通はないよね……?

 書道部を無断で休んでいること、まずかった……?

「突然で申し訳ないのだけれど……梨々花さん、書道部に来てないんだって?」

 私はギクッとする。 

 やっぱり、きた。

「何か行けない理由があるの?」

 私は言葉に詰まる。

 今陸先輩をのぞく部員と仲が悪いんです、なんて言えるわけない……!

 言いたくないけど、書道部にはいきたくないんだよ……っ。

 どうしようと考えて私は手をひねっていることを思い出した。

 そうだよ。書道部に行ってないのはこっちの理由で、だから!

「今手をけがしていて……書道できないから行かないんです」

「そう……。でも今の時期に行かないとみんなと仲良くなれないわよ。書けなくてもできることはあると思うし、行ってみた方がいいんじゃない?」

 丸山先生は優しい声で私に語り掛ける。

 本当は行きたくないけど、先生に言われたらいかないわけにもいかないよ……。

「すみませんでした。今日からちゃんと行きます」

 しぶしぶ頭を下げる。

 先生はふっと微笑んだ。

「何かあったら相談するのよ」

 書道部に行って、普通に部活動できるようにするためには、謝るしかない。

 私はすみちゃん、そしてこのはちゃんに謝ることを強く決意した。

 すごく、こわい。

 私が言ったことは取り返しのつかないことだから、謝ったって、許してもらえるとは限らない。

 でも、このままじゃだめだってわかっているから。

 逃げない。

 今日こそ素直になって謝ろう。


 ☆★☆


 その日の放課後。


 活動場所に行くとそこにいたのは、陸先輩。

 ほかの三人じゃなくてよかった、とちょっと安心。

「こんにちは」

 私は恐る恐る声をかける。

 相変わらずの無言。

 いつも熱心に取り組んでる。

 まだ陸先輩の書を見たことがないから、少し、気になっちゃった。

 どんな風に書いているのか、見せてほしい。

「あの、先輩の書、見せてもらってもいいですか」

「みるな」

 発せられた低い声に私はビクッと肩を震わせる。

「ごめんなさい……」

 私も書き始めようかな……、とそこまで考えて自分が書道をできない状態にあることを思い出す。

 あきらめて陸先輩の姿を遠くから見ることにした。

 近くにいると邪魔って言われそうだし……。

 先輩、一字書き終わる前に別の半紙に変えてる。

 一字目から納得できないのかな。

 あ。

 一字目から右はらいがあるんだ。

 それでいつも半紙からはみ出ちゃうみたい。

 もう少し左から書き始めればいいのに。……でもそんなこと、陸先輩もわかっているよね。

 言うだけ無駄っていうか、怒られそう。やめとこ。

 私は先輩の筆に目をやる。

 書きやすそうな筆。

 ……私の筆に似てる。

 同じ筆、なのかな……?

「こんにちは」

 その時このはちゃんが入ってきた。

 誰が来ても大丈夫なように身構えてはいたけど。

 口が、動かない。

 このはちゃんの焦点が私に合う。

 初めてあった時と同じ人とは思えない、鋭さだった。

「陸先輩。お隣失礼します」

「おう」

 でも。

 ここで話さなかったらいつ話すの?

 ほかの人が来たらもっと話しづらくなっちゃうんだよ?

 私は勇気を出して口を開く。

「このはちゃ――」

「もう話しかけないでくれない?」

 その言葉に私は傷つく。

 だけど、ごめんねって、言わなくちゃ……!

 それだけはどうしても伝えたいの。

 私はこのはちゃんと目を合わせるとその苦しげな表情に驚いた。

 このはちゃん、どうしてそんなに苦しそうなの……?

 私はその顔を見て私がこのはちゃんにしてしまったことの大きさを知る。

 もう、口を開けなくなっていた。

「お疲れ様ー!」

 入ってきたのは夢佳先輩だ。

 夢佳先輩は私を見るとあれ? という顔をする。

「梨々花ちゃんじゃん。どうしたの?」

 想像と違う夢佳先輩の言葉に私は一瞬答えられなかった。

「私は丸山先生に言われて……」

「あー、丸っちね。そーいや私がお願いしたんだった。梨々花ちゃん来ないから大丈夫かなーって思って」

 この前の夢佳先輩と話し方が全然違くて、私はこの前の出来事が夢だったのではないかという錯覚に陥る。

「でもよかったー、梨々花ちゃんが来てくれて」

「私、手をけがしてて、それで――」

 違う。私は夢佳先輩にけが『させられた』んだった……!

「そっか、じゃあ赤林神社はむずかしいかもね……」

「え?」

「今週締め切りなんだ」

 赤林神社の競書大会に、出せない?

 私は真希ちゃんと約束したのに……!

 最高賞とらなくちゃいけないのに……!

 最高賞とって、真希ちゃんに会いたかったのに……!

「あ、陸。これまーちゃんから手紙届いてたから」

「マジで!?」

 陸先輩は目を輝かせて手紙を受け取る。

 そして廊下に出て行った。

「そうだ、梨々花ちゃん。書道部あてに赤林神社から募集要項とか届いているはずだから丸っちのところに行ってくれない?」

「わかりました」

 どうせここにいても何もできないし。

 夢佳先輩から離れられるのは嬉しいし。

 私は夢佳先輩に足を引っかけられないように慎重にドアまで歩いて行った。

 ドアを出る前にこのはちゃんのほうをちらっと見たけど、このはちゃんはもうすでに書き始めていた。

 熱心に手紙を読んでる陸先輩を横目に、逃げるように歩いていく。

 本当は走りたかったけど、ケガのせいで、走れない。

 走りたくなるたびに夢佳先輩の冷たい声が頭によみがえってきて、怖くなる。

 私はその声を振り払うように首を振った。

 その時。

「梨々花さん……」

 目の前には丸眼鏡をかけたおさげの、可愛い女の子。

 私が、傷つけてしまった、大事な友達。

「すみちゃん……!」

 謝らなくちゃ、謝らなくちゃ……!

 すみちゃんが立ち去る前に早く言わないと……!

「ご、ごめんねっ!」

 家で何回も練習した言葉を伝える。

「私……」

 あんなこと言うつもりじゃなかったの。

 本当はすみちゃんと仲良く書道をしたい。

 このはちゃんとだって……!

 けれど、すみちゃんの言葉が私が口を開くのをさえぎる。

「ごめんなさい」

 すみちゃんからの思ってもみなかった言葉に私は思わず顔を上げる。

 彼女のおさげが揺れた。

 ごめんなさいって、どうして?

 悪いのは、私なのに。

「すみが間違っていました。家で何回も梨々花さんの書を見返していたんです。私の、大好きな書を」

 ゴクリ、と息をのむ。

「それで、やっぱり梨々花さんは、あんなこと言うはずがないって思ったんです。梨々花さんは、優しくて、穂先も整っていて、一字一字まとまっている書を書くんです。なのに、自分のことしか考えていないようなことを、言うはず、ないんです。あんなことになったのは、何か理由があるんだろうなって」

 違うよ、すみちゃん。

 私の書はそう見えるかもしれないけど、私は、本当はすごく汚い心を持っていたんだよ。

 本当にやさしいのは、すみちゃん。

 胸が苦しくなってぎゅっと目をつむる。

 すみちゃんが私の手をそっと握る。

「よく考えたら、あの日の梨々花さんはいつもと違っていました。その……泣いていましたし……。梨々花さん。教えてくれませんか? 夢佳先輩に何を言われたのか」

 私は大きく目を見開く。

「何で夢佳先輩って……」

「あの時は陸先輩もすぐに帰っていましたし、すみとこのはさんは長い時間一緒に行動していました。梨々花さんに何かした人がいるとしたら夢佳先輩しかいません。それに……あの時は本当に止めようとしただけだと思っていましたけど、夢佳先輩、梨々花さんの足を引っかけていましたよね」

 すみちゃんはその手に力をこめる。

 一筋の涙が光った。

「すみ、なにも気づかなくて……それだけでも友達として信じられない行為なのに……梨々花さんにひどいことを言ってしまいました。すぐに気づけなくて、本当にごめんなさい」

 慌てて私はすみちゃんの涙をぬぐう。

「違う、すみちゃんは何も悪くないよ。私が何も言わなかっただけだから」

 すみちゃんは首を振る。

「先輩に何かされたとしたら……そんなの、誰にも相談できないじゃないですか。そういう時は友達が早く気付かなくちゃいけないんです……!」

「すみちゃん……ありがとう」

「すみじゃ頼りないかもしれないですけど……もし、話して梨々花さんの心が少しでも楽になるのなら……教えてください」

 私は小さく頷いた。

 正直、今まですごく怖かった。

 このはちゃんには悪口を言っちゃったし、すみちゃんには嫌われたと思ったし、遥大くんには言いづらいし……誰にも相談できないって思ってた。

 でも、誰にも頼れないのが、すごくつらかった。

 一人で抱え込むのは、想像していた以上に、つらかった。

 私は……すみちゃんに、聞いてもらいたい。

 夢佳先輩に言われたことを一つ一つ説明していく。

 思い出して泣きそうになったけれど、すみちゃんがそばにいて優しく頷いてくれることに安心した。

 すべてを話し終えると、すみちゃんはそっと私を抱きしめる。

 何も言葉は発せられなかったけど、それだけで、すみちゃんが私を思う気持ちが伝わってきて、一人じゃないって思うことができたんだ。

 長い間、私たちはそうしていたけど、急にすみちゃんは私から離れてあれ? と首をかしげる。

「そういえば梨々花さんは、なんでここに来たんですか?」

 なんでだっけ……? と一瞬考えてここに来た理由を思い出す。

 夢佳先輩からたのまれてて……!

 やばい……、すっかり忘れてた……!

 血の気がさっと引く。

「実は、夢佳先輩から赤林神社競書大会の書類を持ってくるように言われてて……」

 するとすみちゃんは怪訝そうに眉をひそめる。

「梨々花さん、よく考えてください。赤林神社の競書大会は締め切りまであとちょっとしかないんですよ!? なのに今書類が来るはずないですよ!」

 私は一瞬怒られているのかと思ったけど、すみちゃんが言いたいことに気づき、理由のわからない焦りに襲われる。

 じわり、と脂汗がふきでて、背筋を伝う。

「梨々花さん、夢佳先輩に嘘つかれたんですよ!……今部室には誰がいますか?」

「夢佳先輩と、このはちゃん……」

「このはさんには異常なほどやさしくしているって言ってましたけど、もしかしたらこのはさん、梨々花さんと同じような目にあわされているかもしれません……!」

 すみちゃんと私は目を合わせて頷きあう。

 そして全速力で走っていった。

 ―—すみちゃんは。

 私は足がうまく動かないのを忘れて走ろうとしたものだからまた変にひねってしまった。

「梨々花さん!?」

「私は大丈夫だから……先に行って! このはちゃんを助けてあげて……!」

「でも……」

 私は必死に目で訴えると、すみちゃんはその気持ちにこたえるように走り出す。

 痛い……!

 なんで、こんな時に。

 このはちゃんを助けたいのに……!

 その時。急に駆け寄ってくる音が聞こえた。

 すみちゃん、戻ってきちゃったの? なんで。

 そう思って顔を上げると……。

 私はその姿に目を疑った。

「梨々花ちゃん大丈夫!?」

 あれ……? このはちゃん、私のこと、嫌いなんじゃないの……?

 私のこと、心配してくれた……?

「このはちゃん……?」

 私の声にこのはちゃんははっとしたように手を後ろに隠す。

 何か動くものが見えた。

 それの一部は完全には隠れていなくて。

 それはまるで……筆の軸のようだった。

「このはさん、それって……!」

 いつの間にか戻ってきていたすみちゃんが悲鳴のような声を上げる。

 ——このはちゃんが持ってる筆、私と同じ種類の筆だ……。でも——

 このはちゃんは走り出した。

「このはさん、待ってください!」

 すみちゃんは走り出したけど、私は慌ててすみちゃんの袖をつかむ。

 すみちゃんはその手を見て「どうしてですか!」と言う。

「だってあの筆は梨々花さんが憧れの先輩からもらった大事な筆なんですよね!?」

 私は静かに首を振る。

「ちがうよ」

「っ、すみに嘘ついていたんですか!?」

 あ、と自分の失言に気づき、慌てて首を振る。

「そういうわけじゃなくて! ——私、今日筆持ってきてないの」

「どういうことですか?」

「私、今日部活に行くつもりじゃなかったから。家においてある」

「え……? じゃあ、このはさんが持っていた筆は……?」

 脳裏に筆を持つ陸先輩の姿が浮かぶ。

 たぶん、あの筆は……。

 私は口を開けようとすると、突然大声が聞こえた。

「俺の筆が、ない……!」









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